稲盛和夫がJAL再建に成功した最大の理由

 

2010年、戦後最大の負債額を抱えて経営破綻した日本航空(JAL)。誰もが不可能と断じたその再建を見事成し遂げたのが稲盛和夫さんです。稲盛さんが奇跡のV字回復に成功した最大の理由とは何か。

利益なくして安全なし

「新・経営の神様」の呼び声高い稲盛和夫さん。京セラやKDDIを創業し、それぞれ1・5兆円、4・9兆円を超える大企業に育て上げ、倒産したJALの会長に就任するや、僅か2年8か月で再上場へ導いたことで知られています。

2010年にJALが倒産した時、稲盛さんは政府から会社更生法に基づく会社再建のために会長を引き受けてほしいと頼まれました。日本を代表する経営者とはいえ、航空業界のことは全くの素人であり、最初は固辞していたといいます。実際、多くの人から「あんな巨大な組織の立て直しは絶対に無理だ」「晩節を汚すことになる」と言われていました。

しかし、倒産したJALを救うことには、3つの大義があると思い至ります。1つは、残された3万2千人の従業員の雇用を守れる。2つ目は、日本経済全体への悪影響を食い止めることができる。そして3つ目は、ANAとの正しい競争環境を維持して、国民の利便性を図る。

世のため人のために尽くすことが人間として大切だという信念から、勝算があるわけではないけれども、必死に頑張ってみよう。そう思い、火中の栗を拾ったのです。

その時、稲盛さんは京セラから2人の幹部社員だけを連れて、再建に乗り出しました。その1人が稲盛さんの秘書を長年務め、取締役執行役員常務として稲盛さんから絶大な信頼を寄せられていた大田嘉仁さんです。

大田さんは倒産当時のJALの状況をこう振り返っています。

「どの部署の人も言い訳しかしないんです。自分は一所懸命やってきたし、悪くないと。そしてあからさまに他の部署を批判するのが当時のJALという会社の特徴でしたね。さらに問題だったのは、利益を追求し過ぎるとろくなことがないという考えが支配していたことです。航空業界は特殊なところで、利益を追求し過ぎると安全面にしわ寄せがくるし、組合員は賃上げを要求してくるし、国は運賃を下げろと言ってくる。だから、利益というのは出せばいいというものではないんだと」

この発言に対し、JALの生え抜き社員として、倒産当時は整備本部長を担い、後に稲盛さんのもとで、副社長に抜擢された佐藤信博さんはこう述べています。

「恥ずかしい話ですが、当時のJALではそれが正論だったんです。私が稲盛さんの言葉で最初に印象に残ったのが『利益なくして安全なし』という言葉でした。それまでは、飛行の安全を維持するためには、とにかくいい部品を使って、いい整備作業をやって、品質を高めていかなければということで、いまにしてみれば湯水のようにお金を注ぎ込んでいました。利益のことは他の誰かがやってくれているはずだという考え方だったんです」

そのような状態からいかにしてJALは再建を果たしたのでしょうか。

☆こちらの稲盛和夫さんの記事も読まれています⇒【稲盛和夫】 京セラ創業期秘話(前編)

君は誰のために仕事をしているんだ?

稲盛さんが「JALを社員の意識の高さにおいて世界一にする」と述べたように、社員の意識を変えることが改革の第一歩でした。

かつてのJALは役所と同じだったといいます。東大をはじめ優秀な一流大学を出た幹部10名くらいで構成される企画部というところがあり、そこがすべての経営方針を決めて、あらゆる指示が出されていく。そのメンバーは現場経験のない人間ばかりだったため、稲盛さんは企画部を廃止して、現場で働いたことのある人たちを幹部に引き上げました。

また、JALは倒産後も便の運航を止めることなく更生に入ったので、倒産したことを実感できない、あるいは潰れても誰かが何とかしてくれるという意識の従業員が多かったといいます。そういう中で、稲盛さんは「皆さんが目覚めて立ち上がり、自分たちで会社を立て直そうとしなければ誰もできませんよ」と、再建の主役は社員であるという当事者意識を植えつけていきました。

そんな中、再建の原点になったのが「リーダー教育」と呼ばれる勉強会です。これは役員や部長クラス、あるいはノンキャリアでも将来性のある若い人など、選抜された52名を対象に、ほぼ毎日、1回1時間、稲盛さんが講義し、懇親会を行うというもの。

この勉強会で稲盛さんが語り掛けたこととは何か。元副社長の佐藤さんが特にインパクトを受けたのは、「利他の心」の話だったといいます。

「利他という言葉はそれまで聞いたこともなかったんですが、『君は誰のために仕事をしているんだ?』と問い掛けられた時には、それまでいかに自分勝手な仕事をしていたかを思い知らされました。やはり社員のため、お客様のため、それから多大なご迷惑をおかけしている銀行の皆さん、株主の皆さんのためにも、心を入れ替えて再建に邁進しなければと、それまでにも増して強く思うようになりました」

一方、JAL社員の意識改革を担当した元専務の大田さんは、改革に当たってあることを心掛けていたと述懐します。

「常に意識していたのは、幹部の皆さんの人物を見極めることでした。リーダー教育を始める時に稲盛さんから『参加者の人物をよく見ておいてくれ』と言われていました。『どのような人にJALの将来を託すべきか、君の評価基準はなんだ?』とも聞かれました」

その問いに、大田さんは次のように答えました。

「『JALのことを一番愛していて、真面目で一所懸命で明るい人です』と答えたら『それでいい』と。佐藤さんなんかまさにその基準どおりの人なんですよ」

さらにこう続けます。

「言い訳から入るような人は絶対ダメでした。会社を本当によくしようと思ったら、そういうことを吐いてもしょうがないんだと。稲盛さんはそういうことを積み重ねながら、半年のうちに幹部の皆さんの意識をガラッと変えてしまいました。幹部一人ひとりの経営者意識が高まったことが、JAL再建の一番の成功の要因でしょうね」

会社をはじめ、あらゆる組織の盛衰はそこに所属する一人ひとりの人間がどういう意識で過ごしているか、その集積によって決まることを心したいものです。

(※本記事は月刊『致知』2018年8月号特集「変革する」より、佐藤信博さんと大田嘉仁さんの対談「かくてJALは甦った」を一部、抜粋したものです。全文は本誌をご覧ください。詳細・ご購読はこちから

☆対談「かくてJALは甦った」≪7つの読みどころ≫

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point1

【JALはなぜ倒産したのか】

――そこから見えてくる組織の盛衰を分けるもの

point2

【稲盛氏がJAL再建に向かった時の心境】

――リーダーとしての決断力をどう養うか

point3

【改革の道のりと心掛けてきたこと】

――どんな不可能でも実現できる!?

point4

【直面した困難や試練、転機となった出来事】

――反発必至のリーダー勉強会が成功した要因

point5

【組織を変えた言葉の力】

――いかにして世界一意識の高い社員に育てるか

point6

【稲盛氏に学んだリーダーとしてのあり方】

――愛情がなければ変革は成せない

point7

【人や組織を変革し、繁栄に導く要諦】

 ――本気であること、工夫し続けること

◇稲盛和夫(いなもり・かずお)

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昭和7年鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、27年より名誉顧問。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。著書に『人生と経営』『「成功」と「失敗」の法則』『成功の要諦』(いずれも致知出版社)など。

◇佐藤信博(さとう・のぶひろ)

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昭和25年大分県生まれ。44年日本航空入社。羽田整備事業部長、整備本部副本部長などを経て、平成22年2月日本航空執行役員整備本部長、JALエンジニアリング代表取締役社長に就任。24年2月専務執行役員整備本部長、JALエンジニアリング代表取締役社長。26年4月代表取締役副社長(28年3月退任)。29年6月公益社団法人日本航空技術協会代表理事会長に就任。

◇大田嘉仁(おおた・よしひと)

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昭和29年鹿児島県生まれ。53年立命館大学卒業後、京セラ入社。平成2年米国ジョージ・ワシントン大学ビジネススクール修了(MBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、22年12月日本航空専務執行役員に就任(25年3月退任)。27年12月京セラコミュニケーションシステム代表取締役会長に就任、29年4月顧問(30年3月退任)。現職は、稲盛財団監事、立命館大学評議員、日本産業推進機構特別顧問。

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