2022年11月16日
「炎のマエストロ」と称される世界的指揮者・小林研一郎さんと、『地球交響曲[ガイアシンフォニー]』最終作と銘打った第九番を制作する映画監督の龍村仁さんは、共に1940年4月生まれの81歳〈掲載当時〉。
分野こそ異なるものの、いまなお新しい何かを創造しようと情熱を燃やし続けているお二人は、いま何を求め、どのような思いで目の前の仕事に取り組んでいるのか――。映画制作を通して再びの邂逅を果たした盟友同士で、いつまでも溌剌颯爽と生きる秘訣を語り合っていただきました。
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指揮者は楽譜を見てはいけない
〈龍村〉
同じ年、同じ月に生まれたり、幼い頃からベートーヴェンが好きだったり、僕たちは何かと共通点が多いですね。しかし、一番の共通点は80歳になるいまなお、何かを創造し続けているということではないでしょうか。
〈小林〉
おっしゃる通りですね。幸いなことに僕はこの年になってもひたむきさというものがあるんです。まだまだバラ色の人生なんですね。
僕はいろいろなオーケストラで指揮をしていますが、一人ひとりの顔をじっと見ていなくては指揮ができないんです。指揮者の中にはメンバーを見なくても指揮ができるという人がいるかもしれませんが、僕にはできません。となると、楽譜を見ることができないわけですから、全楽器の楽譜を全部覚えなきゃいけない。
先日もある地方の交響楽団の演奏会があったのですが、地方ですから何となくほのぼのとした空気が漂っている。そういう雰囲気を覆すためにも、僕は事前にメンバーのネームリストをいただき、楽譜をすべて覚えた上で練習に臨むんです。
演奏の途中、僕は指揮を止めることがあります。しかし、そこで一人ひとりを注意することはしません。そういうことをするとその人が受けるショックが周りにも伝わって、決していい演奏にはならないからです。
ただ、止める時には全員がハッとするような、炎になれるような、そんな言葉を発しなくてはいけません。そして、その時、指揮者は決して楽譜を見ちゃいけないんです。楽譜を捲る僅か0・1秒という時間が彼らの意識を大きく後退させてしまうことがある。団員の顔を見ながら「すみません。では594小節からお願いできませんか」。これって効くんですね。
そのようなニュアンスで僕はこの年齢になっても「失敗しても皆が許してくれるだろう」という甘えを一切はねのけて、まさに太平洋の真っ只中に一人でボートを漕ぎ出しているわけです。後戻りもできない、前に進むこともできない。そこにはただ死が待っている。そういう世界で生きているわけです。
〈龍村〉
まさに「炎のコバケン」そのものの気魄ですね。
僕は2017年、自転車で転倒して大腿骨を骨折し、この時はどうなることかと思いましたが、おかげさまで回復しました。全盛期のように気力、体力が漲っているとは言えないところもあるのですが、それでも『地球交響曲 第九番』を望む声があるならば、精いっぱいそのお役目に応えたいと思っているんです。
ただ、時代が変化するにつれて映像技術も大きく進化してきました。これまでの僕の制作姿勢とは違ったり、何かと大変な部分もあるわけですが、スタッフと力を合わせて知恵を出し合い、乗り越えていこうと思っています。
年齢を重ねないと見えない世界がある
〈龍村〉
僕も約30年間、『地球交響曲』をつくり続けてきましたが、どこまでいってもこれでいいという感覚はありませんね。作品をつくる度に新しい課題が見えてきて、それを克服するとまた別の課題が見えてくる。その繰り返しです。
〈小林〉
常に最高の作品をつくり出していこうという監督の思い、僕もまたそうですから、とてもよく分かります。人生というのは本当に手探りだと思うし、「この先に進めばもっと面白い世界が見られる」という思いで80歳まで生きてきましたけど、80階段まで上がって初めて見えてくる景色というのが確かにあるんですね。
僕は以前、アフリカに行った時、ヌーの群れに出合ったことがあります。何千頭というヌーが一つの方向に向かって、しかも何一つぶれることなく進んでいく。
「彼らは何を考えているのだろうか。きっと何も考えていないだろうな。無心なのだろうな」
などと思いを巡らしながら眺めていると、
「ああ、自分も幼い頃にベートーヴェンを聴いて、それ以来、ひたすらその背中を追いかけてきたな。ヌーと自分と何の違いもないな」
という思いが湧いてきて、思わず感動したことを覚えています。
〈龍村〉
どうですか。ベートーヴェンの行間がある程度掴めてきたという感覚を抱いていらっしゃいますか。
〈小林〉
とんでもありません。先ほども申しましたが、太平洋に小さな小舟を漕ぎ出して、どこまで行っても水平線しかない。近づこうとすればするほど、さらに水平線が遠のいてしまうという、いまもそんな感覚で生きているんです。
この地球はベートーヴェンという素晴らしい人物を250年前に、この地球に誕生させてくれた。そのために僕たちはその後を追うことができるという喜びが、常に心の中にありますね。
(本記事は月刊『致知』2020年6月号 特集「鞠躬尽力」より一部を抜粋・編集したものです)
◉本誌登場後も意欲的な活動を続けるお二人。『致知』2022年12月号では小林研一郎さんに再び登場いただき、世界的指揮者としての実力を養った若き日の過ごし方について、人気連載「二十代をどう生きるか」で語っていただきました。
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◇小林研一郎(こばやし・けんいちろう)昭和15年福島県生まれ。東京藝術大学作曲科、指揮科の両科を卒業。49年第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞を受賞。その後、多くの音楽祭に出演するほか、ヨーロッパの一流オーケストラを多数指揮。平成14年の「プラハの春音楽祭」では、東洋人として初めてチェコ・フィルを指揮。ハンガリー国立フィル桂冠指揮者、名古屋フィル桂冠指揮者、日本フィル音楽監督、東京藝術大学教授、東京音楽大学客員教授などを歴任。
◇龍村 仁(たつむら・じん)
昭和15年兵庫県生まれ。38年京都大学文学部美学科卒業。同年NHK入局。49年映画『キャロル』を制作、監督したのをきっかけにNHKを退職、独立。以後、ドキュメンタリー、ドラマ、コマーシャル等の制作に邁進。平成4年より『地球交響曲』の公開を始め、現在『地球交響曲 第九番』を制作中。著書に『地球(ガイア)のささやき』(角川ソフィア文庫)などがある。