脳は紙の本でこそ鍛えられる。言語脳科学で明らかになった読書の知られざる効能(酒井邦嘉)

電子書籍の普及に伴い、紙の本はこれからなくなってしまうのではないか、と懸念する声が上がっています。言語脳科学の分野から「脳は紙の本でこそ鍛えられる」と提言を行ってきた東京大学大学院教授・酒井邦嘉さんに、紙の本がなぜ必要なのか、語っていただきました。

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紙の本は電子書籍に凌駕される?

〈酒井〉
日本人の読書離れが一層加速している要因としてまず考えられるのが、インターネットの普及に伴う過度の情報の氾濫です。

パソコンを操作すれば瞬時にして必要な情報が入手できるネット環境が、人々から読書の習慣を奪い、今日の出版不況といわれる現実をつくり出してしまったことは想像に難くありません。その結果、大手出版社ですら赤字に転落し、街角の書店は次々に姿を消しています。

そしてその流れの中で、近年、出版界の流れを大きく変えるある出来事がありました。

辞書に始まった電子書籍の登場です。古典的名作から新刊まで多くの作品が電子端末によって手軽に読めるというので、急速に普及している現実は申すまでもないでしょう。

一部の識者からは「紙の本はいずれ不要になる」という声すら聞かれます。しかし、もしこのまま紙の本が電子書籍に凌駕され、万が一にでもなくなるようなことがあれば、従来の出版文化を再興するのはほとんど不可能になるでしょう。

紙の本は様々な意味で大きな岐路に立たされているのです。

私は大学の研究室や自宅のスライド書架を埋め尽くした紙の本に対して愛着を覚える愛書家で、「紙の本を絶やしてはいけない」という思いは人後に落ちません。

しかし、それは単に私的感情に止まらず、私が専門とする言語脳科学でもすこぶる重要な視点です。紙の本は脳本来の特性に適っており、電子書籍ではまだまだ肩代わりできないものだからです。

文字が人間の脳を育む

動物の中で人間だけが持ち合わせているもの、それが言語です。

言語脳科学とは、その言語を中心にして人間の脳の働きや機能を研究していくサイエンスの新分野です。人間を対象とした脳科学に私が興味を抱き始めたのは約20年前、ちょうどMRIによって人間の脳が安全に可視化できるようになり、脳機能イメージングの方法論が確立され始めた頃でした。

以来、言語や音楽などが脳にどのような影響を与えるか、人間だけがなぜ言語を発達させ、クリエイティブな活動ができるのか、という最も難しくて好奇心をそそられる研究を今日まで続けています。

2002年には、こめかみ近くの奥に位置する左前頭葉下部に、文法を司る中枢が存在することを私は見出し、ここに外部から刺激を与えると文法の誤りを見つけ出す判断に影響することを実証しましたが、研究はやっと緒に就いたばかり。読書と脳の関わりを含め、分からないことが山積みです。

まずは言語に関する脳の働きを簡単に述べておきましょう。文字を見ると、その視覚情報は脳の視覚野に入り、次に音声の情報に変換された後、膨大な記憶の中から単語や「てにをは」などの文法要素が検索されます。

その情報が言語野(音韻・単語・文法・読解の四つの領域)に送り込まれることで文章として理解される。これが基本的な言語のメカニズムです。

言語といっても文字で読む場合、音声で聴く場合、映像で見る場合など様々ですが、脳に入力される場合のそれぞれの情報量を比較すると、多いほうから映像・音声・文字の順になります。

朗読などの音声には、文字では出せないニュアンスやイントネーションなどの韻律が含まれ、映像は音声に加えてさらに多くの視覚情報が加わるため、音声は文字より、映像は音声よりそれぞれ情報量が豊富だということになるのです。

視点を変えると、文字のように情報量が少なければ、当然足らない部分を想像力で補う必要が生じてきます。想像力で補われる情報量を比較すると、今度は多いほうから文字・音声・映像の順番です。

ここでいう想像力とは、「自分の言葉で考える」ことです。脳の中でこの想像力を司るのは言語野であり、分からない所が多いほど、脳は音韻・単語・文法・読解の4つの領域を総動員して「これはどういう意味だろう」と考え始めます。

見たり聴いたりするものが即座に消え去ってしまう映像や音声に対して、文字の大きく違う部分がまさにここです。活字を読むことは、単に視覚的に脳にそれを入力するだけでなく、能動的に足りない情報を想像力で補い、曖昧な部分を解決しながら「自分の言葉」に置き換えるプロセスなのです。

入力の情報が少ないほど脳は想像力を働かせるわけですが、逆に脳の出力はどうでしょうか。

出力の場合は、入力とは反対に情報量が多いほど物事を想像して補うことになります。

例えば、相手に何かを伝えたいと思った時、少ない情報で用件を済ませてしまう電子メールに比べて、人と直接会って会話をする場合は、様々な言葉を駆使し自分の意思が相手に伝わっているかを想像力を働かせながら確認しなくてはいけません。つまり、メールよりも会話のほうが脳の働きを促すことになります。

このように考えていくと、

脳を創るためには、

「適度に少ない情報の入力」
「豊富な情報の出力」

の両方が必要だと分かります。

要は十分な読書と会話を楽しむことであり、これこそ最も人間的な言語の使い方だと言えるのです。

紙の本と電子書籍では脳の働きがどう違うか

以上の説明から、脳を創るには読書はとても大切な要素であるとお分かりいただけたと思います。

では同じ読書でも紙の本と電子書籍では脳の働きはどのように違うのでしょうか。表面的に考えれば、脳自体の働きはそれほど差はないと思われるでしょう。紙の本であれ電子書籍であれ、視覚野に入った言語が音声に変換され、言語野に送られるというプロセスは同じなのですから。

しかし、まだ科学的な解明に至っていないだけで、紙の本と電子書籍とでは脳の働きに違う部分があると、経験から予想されます。

紙の本で読書をする場合、脳は単に書かれている内容だけを読み取っているわけではありません。

例えば、本の厚みや質感や装丁はどうか、本文のレイアウトはどうだったか、書体はどうか、この本は初版かそうではないのか、という本の内容とは直接関係のない様々な情報を無意識のうちに記憶しています。記憶を辿りながらパラパラとページをめくって、すぐに必要な記述に辿り着けるというのはその一例でしょう。

電子書籍でこれらの感覚が得られるかといえば、極めて難しいと言わざるを得ません。まず電子書籍では本の厚さのような量的な手がかりが希薄です。長編小説を読む場合、紙の本では視覚的・触覚的に全体のどのあたりを読んでいるかを把握しながら読むことができますが、電子書籍はスクロール・バーの位置やページ数の表示が唯一の手がかりです。

紙の本にある行間や書体、周囲の余白などは電子化の際に落としてしまいがちで、視覚的な印象はかなり変化します。ページをめくるという感覚自体も、全く異質なものになっているのです。

それに、紙の本であれば学術書、実用書、小説と明確に体裁が分かれるものが、電子書籍のテキストデータではどれも同じように画面に表示されます。これではそれをどのようなスタイルで読むべきものなのか、判断がつきにくくなることでしょう。

脳が記憶した本の厚さや位置など五官に訴えかけてくる情報は、本の内容を探る重要な手がかりとなることも忘れてはいけません。その手がかりが希薄になると、読んだ記憶が曖昧になったり、ミスを起こしやすくなったりします。

その一例ですが、パソコンの画面で文章を推敲した後、改めて印刷した原稿を読んでみると、実に多くの誤字や脱字が見つかるという経験をした人もいらっしゃるのではないでしょうか。何度読んでもパソコンの画面では見つけられなかった誤字が、なぜ印刷した文章だと見つかるのでしょうか。

これは人間の脳が持つ「注意」のメカニズムに起因すると、私は考えています。

コンピュータの画面では文字と画面の位置は一定していません。長い文章になると、スクロールによって前のページは画面から消えてしまいます。一方で文字と紙の位置関係が一定の紙の本では、何頁の右から何行目といったように空間的な手がかりが得られるので、読み飛ばす可能性が減るのです。

具体的なプロセスは省きますが、脳にはこの他にも、

「複雑を好む」

という不思議な特質があります。

電子書籍に限らず、出版界ではできるだけ少ない文字数で画一的に表現しようとする流れになっています。難しい字体は簡単な字体で代用し、似た言葉の表記を統一することで効率化を図ろうとしているのです。

しかし、そこには一つひとつの文字や表現には多くの情報が詰まっているという視点が欠落しています。

例えば『坊つちやん』では、夏目漱石は「子供」と「小供」を明確に使い分けています。「子供」は親に対しての子、「小供」は小さかった時分という意味です。漱石がどういう意図でこの言葉を使い分けたのかを想像してみながら読み取ることは、私たちの脳を育てることと無関係ではありません。

脳の働きを軽視した安易な単純化は、伝統的な出版文化と逆行することにもなってしまうのです。


(本記事は月刊『致知』2013年5月号 特集「知好楽」より一部を抜粋・編集したものです) 

★酒井さんには、2022年8月号連載「意見判断」にご登場いただいています。インターネットや人工知能に過度に頼ることは、人間の脳を退化させてしまう、人間は考える力を失ってしまうと警鐘を鳴ら酒井さんに、創造的な脳を創る秘訣をお話しいただいています。【記事詳細はこちらをご覧ください】


◇酒井邦嘉(さかい・くによし)
昭和39年東京都生まれ。東京大学理学部、同大大学院理学系研究科博士課程修了後、同大学医学部第一生理学教室助手、ハーバード大学医学部リサーチフェロー、マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て、平成9年東京大学大学院総合文化研究科助教授。24年より教授。著書に『言語の脳科学』(中公新書)『脳を創る読書』(実業之日本社)など多数。

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『致知』はただ情報として話を目で追うのではなく、心を動かしながら自分の生き方に照らして読む人間学の読み物です。

誌名の由来にもあるとおり、「ただ知識として取り込むのではなく、生き方に照らして学んでほしい」という想いを込めています。また、脳科学の視点からデジタルの文章は「(情報として)見る」もの、紙に書かれた文章は「(五感を働かせて)読む」ものとも言われています。

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