2024年09月25日
「腹八分目が健康にいい」。昔から言われていることですが、そんな〝節食〟を健康の基礎としてのみならず、運の重要な要素だとして考察した人がいます。江戸時代の観相家・水野南北です。食を節することによって開運をもたらす――健康がより問われる不確実な時代だからこそ、水野南北が唱えた「節食開運説」に学びたいものです。語り手は、中矢伸一さん(日本弥栄の会代表)です。
慎み深く感謝の心を持って食す
〈中矢〉
水野南北が「万に一つの誤りなし」と自負し、「幸運を招来する法」と広言した節食開運説とはどのようなものか。その基本は言葉どおり、食を節することにある。
その要点をまとめると、次の10項目に整理できる。
一、 食事の量が少ない者は人相が不吉な相であっても、それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉となる。
二、 食事が常に適量を超えている者は、人相が吉相でも調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えず、晩年は凶となる。
三、 常に大食、暴食の者は、たとえ人相がよくても運勢は一定しない。もしその人が貧しければますます困窮し、財産家でも家を傾ける。大食、暴食して人相が凶であれば、死後に入るべき棺もないほど落ちぶれる。
四、 常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉でも運勢は凶になる。美食を慎まなければ家を没落させ、出世もおぼつかない。まして貧しくても美食する者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。
五、常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相でもいずれは財産をなし、長寿を得、晩年は楽になる。
六、食事時間が不規則な者は、吉相でも凶となる。
七、小食の者には死病の苦しみがなく、長患いもしない。
八、怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者は成功しない。成功、発展しようと思うならば、自分が望むところの一業を極め、毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変えるように努めれば、自然に成功するだろう。
九、人格は飲食の慎みによって決まる。
十、酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達はない。
この10項目とともに水野南北が強調するのは、感謝の心である。そのことを南北はこのように表現している。
「いつもご飯を3膳食べる人なら2膳だけにしておいて、残る1膳を神に献ずるのである。 実際に神棚にお供えしなくともいい。神仏を思い浮かべ、その神仏に向かって、ありがとうございますと念じればよい」
3膳どころか、いつもは2膳も食べていない、という人がいるかもしれない。だが世界中から食材が入ってくる現代の食事と違い、副食に乏しく主食が中心だった江戸時代の食事をもとに南北は述べているのである。
日常の心掛けがさらに運を強くする
先に述べた10項目の節食も、このことを前提にして解釈する必要があるだろう。主食ばかりでなく副食も含め腹八分目で箸を置く心がけがポイントである。さらに南北は、これらの節食の実践とともに、表裏一体のものとして日常生活での心掛けを説く。
節食とともに日常の心掛けを実践することで運はさらにひらけ、強運となるというのだ。 その主なものを拾い出してみよう。
毎朝、昇る太陽を拝むこと。朝は早く起床し、夜は早く就寝すること。夜に仕事をするのは大凶である。衣服や住まいが贅沢すぎるのは大凶である。
倹約は吉であるが、けちは凶である。これもまた、電灯もなかった江戸時代のことである。現代の文明社会に置き換えて解釈する必要がある。
《中略》
水野南北は言っている。
「(食を節すれば)小さい願い事なら1年で、普通の願い事なら3年で、そして大望なら10年で叶う」
これは人生50年の時代の感覚である。80、90は当たり前の現代で運を考えるには、もっと長いスパン、20年とか30年とかで運をとらえる必要があると思う。
いまは盛運のようでも、20年後30年後はどうか。少なくともこれだけの視野でとらえるのが、本当の運というものなのである。
さらに運について、私が最も強調したいことがある。それは、運とは自分一人のものではないということである。自分は運がよく、幸運に恵まれているかもしれない。では、家族は盛運か。一族や係累はどうか。国はどうか。
運を自分だけのものとしてとらえていては人格が下がり、幸運は掴めない。自分の開運を他に及ぼしてこそ、本物の運なのである。
(本記事は月刊『致知』2007年9月号 特集「運命を切りひらく」掲載「水野南北に学ぶ 節食で運命を切りひらく法」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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◇中矢伸一(なかや・しんいち)
昭和36年生まれ。アメリカに3年間留学。帰国後、英語講師、翻訳、通訳の仕事に従事。神道系の歴史、宗教、思想について独自の研究を重ね、神道ノンフィクション作家として活躍。日本弥栄の会を設立し、代表として月刊『たまゆら』を発行、日本民族のアイデンティティー確立と普及に努める。ほかにNPO法人アース・マインド協会理事長。著書に『日月神示――運命大転換法』(ぶんか社)など多数がある。
※情報は掲載当時のものです
◇水野南北(みずの・なんぼく)
宝暦7(1757)年大坂に生まれる。江戸時代最高の観相家。幼くして両親を失い、叔父に育てられたが、性格がすさみ、18歳で悪事を犯し、投獄される。この時囚人の人相の異様さに気づき、観相家を志す。まったくの独学で観相学を研究、節食開運法を唱え、評判を得る。財をなし、78歳で死去。その考え方は『修身録』にくわしい。