2024年08月09日
1945年8月9日午前11時2分、長崎に原子爆弾が投下されました。当時、長崎医科大学付属病院にて被爆し、重傷を負いながらも救護活動に身を捧げた医師・永井隆博士。自身が目にしてきた凄惨な光景をありのままに書き記し、原爆被害と戦争の愚かさを訴え続けたその生涯について、弟の永井元さん(長崎市立永井隆記念館館長/取材当時)の口から語っていただきました。
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世界中を感動させた『長崎の鐘』
〈永井〉
終戦後の6年間、原子病に倒れて、寝返りさえ打てない死の床にありながら、『長崎の鐘』をはじめ幾多の著書を残し、それを通じて長崎の人々のために、そして世界の平和のために貢献した兄・永井隆の功績は永遠に語り継がれています。
代表的な著書『長崎の鐘』は原爆被災の昭和20年8月9日から、勤務していた長崎医科大学(現・長崎大学医学部)で自ら右側頸動脈切断という重傷を負いながらも救護活動に奔走(ほんそう)し、原子爆弾、原子病、療法の研究、一坪のバラック住まい、浦上教会合同慰霊祭、そして、20年のクリスマスの夜のミサに浦上天主堂の聖鐘(せいしょう)がふたたび鳴り始めるまでの生々しい体験記録といっても過言ではありません。
彼の妻である緑(みどり)は全焼した上野町の自宅から遺骨となって発見されました。2人の子供は疎開していて被爆を免(まぬか)れたものの、死の淵にたたされた重傷患者でありながら、被災者の治療と敬虔(けいけん)なカトリック信徒としてその復興に挺身した男やもめの日々は、それはもう凄絶の一語に尽きます。
『長崎の鐘』が脱稿したのは21年の8月でした。ところが、占領軍司令部の発行差止めを受け、原稿はアメリカ国防省に送られました。その結果、日本軍が行った「マニラの悲劇」を付録としてつける条件で、ようやく発行が許可されたのは、2年半後の24年1月でした。
しかし、自ら被爆し愛妻を焼かれ、なおかつ医者として多数の被爆患者を治療した永井隆のこの『長崎の鐘』 は、その後数多く出された長崎の証言の第一に挙げられました。
その新鮮な文章力で淡々と綴る、たくましい人間愛の物語は、欧米数か国に翻訳されて世界的反響を呼んだのです。映画にもなり、歌謡曲としても広まり、虚脱した長崎の人々の心に救いの光を与えたのです。
死の床でなお灯された平和への祈り
21年の晩秋のころです。粛々たる原子野の夜風がひとしお心寂しさを覚える夜更けに、茅屋のような自宅で、兄に呼ばれて、私は紙芝居のために二十六聖人の絵を描く手伝いをしたことを思い出します。
その8月に兄は3回めの発作で倒れ、病床に伏しておりました。白血球18万、赤血球は229万まで極度に減少していました。そこへ、兄の友人の片岡弥吉さん(『永井隆の生涯』の著者)がおそるおそる見舞いに訪ねてきました。
長時間にわたって絵を描いていた兄はもう絵筆がとれないほどに衰弱しています。そして、片岡さんの心配そうな顔をローソクの向こうに見ると兄はニッコリとしていうのです。
「何枚かは私が描きましたが、もう描けなくなりましたので弟に指示して描いてもらっとります。説明は吉田さんに口述しています。一所懸命ですばい」
片岡さんはびっくりして必死の声で諭します。
「あんたは重病人じゃないか。こんな無理をしたら死んでしまいますよ」
「死にかけとります。しかし、描いても死にます。描かんでも死にます」
それから、ローソクの灯に目をやりながら語りました。
「このローソクの灯が、まさに燃えきれようとしている時、君はあらあら、燃えきれるといって仕事も手につかないでいますか。あるいは灯のともっている限りは仕事をしますか。どちらです?
私の生命の灯は、燃え尽きようとしている。あなたがたも、あらあらと騒ぐより、生命の灯の続く限り、私に仕事をさせていいではありませんか」
これが永井隆の平和にかけた情熱と信条だったのです。
「戦争は人類の自殺行為」
『長崎の鐘』最終章の「原子野の鐘」にはこう記述されています。
「カーン、カーン、カーン」
澄みきった音が平和を祝福して伝わってくる。事変以来長いこと、鳴らすことを禁じられた鐘だったがもう二度と鳴らずの鐘となることがないように、世界の終わりのその日の朝まで、平和の響きを伝えるように、「カーン、カーン、カーン」とまた鳴る。
人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。
原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の淀にしたがって相互に助け合い、平和に生きてくれ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。
(本記事は月刊『致知』1991年5月号 特集「人生は祈り」より一部抜粋・編集したものです)
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◇永井元(ながい・げん)=長崎市立永井隆記念館館長