冤罪で勾留164日——村木厚子を支えた酒井雄哉大阿闍梨の言葉

〔写真右が村木氏、左が増田氏〕
2009年6月、官僚としてキャリアを重ねる中で突然、身に覚えのない罪で逮捕・勾留された村木厚子さん。5カ月半という長い期間、思いがけない困難に襲われた村木さんの心を支えたものはなんだったのでしょうか。逮捕や取り調べ時のご経験を振り返って語っていただきました。
(対談のお相手はスポーツジャーナリストの増田明美さんです)

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人は一夜にして全く違う立場に置かれる

〈増田〉 
それにしても村木さんは、本当に大変な事件を乗り越えてこられましたね。

〈村木〉
そうですね。あれは「凜の会」という組織が障害者団体を装って、格安料金で郵便物を発送していた事件でした。凜の会の偽の障害者団体証明書が、私の指示で発行されたという疑いをかけられて、逮捕されたわけです。
 
偽の証明書が発行されていることが分かった時にはまさかと思っていたんですけど、係長さんが逮捕され、取り調べが進むうちに、なぜか全部私の指示で行われたことになっていって、マスコミに追いかけられてどこにもいられない状況になってしまったんです。
 
ですから、20日後にやっと検察から呼び出しを受けた時には、これで分かってもらえると思ったんですけど、半日取り調べを受けた後で、「あなたを逮捕します」と。

〈増田〉 
どんなお気持ちでしたか。

〈村木〉 
びっくりしました。最悪のことが起こったなと。
 
すぐに家族に知らせなければと思ったんですけど、あいにく夫は海外出張中でした。自宅にいる娘がテレビをつけたらお母さんの逮捕が報じられていた、という状況だけは避けたかった。
 
ちょうど検事から、「家族への連絡はこちらからするので、連絡先を教えてほしい」と言われた時に、電話番号を探すふりをして、夫にこっそり「たいほ」と3文字だけ打って送信しました。漢字を変換する時にミスするのが怖くて、ひらがなのまま送ったんですけど、これで後のことは夫が全部やってくれるだろうと思いました。
 
そのまま拘置所に連れて行かれましたから、そこから先は自分では何もできないんです。あぁ、人って一夜にしてこうなるんだ、一つの瞬間を境に全く違う立場に置かれるんだと思い知らされました。

すべては一日の積み重ね

〈村木〉
取り調べは20日間、毎日午後の早い時間から始まって、夕方の食事を挟んで夜の21時か22時くらいまで続きました。公務員ですから取り調べにはちゃんと協力するつもりでしたけど、どこかで罠にはめられるんじゃないか、自白を取られるんじゃないかという恐怖がすごくあって、本当に苦しい戦いでしたね。

〈増田〉 
取り調べはどのように進められるのですか。

〈村木〉 
取調室で机を挟んで検事と向き合うんですけど、相手はプロですから本当に緊張しました。検事に聞かれたことに対して私が答え、検事が取ったメモをベースにパソコンで供述調書がつくられます。打ち出されたものを確認してサインをするんですけど、その内容が私の言ったとおりではなく、検察側の都合のいいところだけを繋いである。時にはひと言も言っていないことが書かれていたりするんです。それを少しでも真実に近づけるために訂正の交渉をするわけで、本当に神経の磨り減る思いでした。

毎日ヘトヘトになって部屋に戻ると、壁に貼ってあるカレンダーを見ては、1日終わった、2日終わったって確認していました。カレンダーを眺めたからって勾留期間が減るわけじゃないんですけど、眺めずにはいられない。毎日穴があくほど眺めていました。

〈増田〉 
よく耐えられましたね。

〈村木〉 
仲のよい人たちが差し入れてくれた本の中に、千日回峰を2度も満行なさった酒井雄哉大阿闍梨の『一日一生』という本がありましてね。すべては一日の積み重ね、きょう一日を大切に生きるという教えがあって、それがものすごく救いになりました。

それまでは、いつまで続くか分からない戦いを頑張らなきゃいけないと思っていました。けれどもその本を読んでから、きょう一日頑張ればいいんだ、と毎日気持ちを切り替えて取り調べに臨むようになりました。そう考えるようになると、同じ状況でもまるっきり景色が違って見えるんですね。

あなたは仏様に論文を書かされたんだよ

〈増田〉 
取り調べが行われた20日間も含めて、勾留は164日にも及んだそうですけれども、どんな思いでその長い時間を過ごされたのですか。

〈村木〉 
まず自分に対して問い掛けをしました。一つは、自分は変わったのか。もう一つは、自分は何かを失ったのか。

1つ目の答えは、私は変わっていない。検事もマスコミも私がやったと言っているかもしれないけど、私はやっていないし、やるような人間に変わったわけでもない。

2つ目の答えは、確かに失ったものもあるかもしれない。でも家族はもちろん、友人や職場の人から「信じている」というメッセージをたくさんいただいた。自分はこんなに持っているものがあったんだから、いいじゃないかと。

この二つの答えを見出して、相当落ち着くことができました。二人の娘の存在も大きかったですね。

将来困難に出遭った時、あの時お母さんも頑張ったんだから、私たちも頑張ろうと思ってくれるように、最後まで負けちゃいけない。結果は神様しか分からないけれども、とにかく諦めない姿を娘たちに見せようと思いました。

娘たちのためと思うと意外に強くなれて、最後まで頑張り通せる自信が湧いてきました。逮捕されてからは、すべて支えられる側になってしまったんですけど、そんな自分にもしてあげられるものが見つかった。これは大きな心のつっかえ棒になりました。

〈増田〉 
勾留の身でも、してあげられることってあったのですね。

〈村木〉 
職場復帰してからのことなんですけど、東日本大震災の後に、当時防災担当大臣だった蓮舫さんが郡山に行って、現地の方々を励まして歩いたんです。その随行として大臣の後を歩いていたら、皆さんが私のことに気づかれて、「よかったね、頑張ってね」って肩を叩かれたり、ハグされたり。

激励に行ったはずが逆に励まされて、なんだかいたたまれなかったんですけど、帰って来てさわやか福祉財団の堀田力さんから、「村木さん、いいことをしたね」って言われたんです。

人間は励まされるばかりでなく、自分から誰かを励ましたり、助けたりすると、もっと元気になれる。だから、あなたが被災地で皆さんの励ます相手になってよかったんだよって。

〈増田〉 
いいお話です。感動しました。
それで、勾留が終わったのはいつだったのですか。

〈村木〉 
勾留が164日続いた後、平成21年11月24日に保釈されました。

年が明けて始まった裁判では、検察側の証人として出てくれた人たちが次々と供述調書の内容を覆して私の関与を否定する証言をしてくれ、平成22年9月21日に無罪判決が下りました。すぐ後に、大阪地検特捜部主任検事の証拠改竄事件も発覚して、検察が控訴を断念して私の無罪が確定したんです。

ありがたいことに、先ほどご紹介した酒井大阿闍梨に、事件後にお目にかかる機会に恵まれましてね。なぜ私にあんな事件が降りかかってきたのかって聞いてみたんです。そうしたら大阿闍梨は、

「あなたは仏様に論文を書かされたんだよ」

って穏やかな笑顔で諭されて深く納得しました。あれはいまでも心に残っています。

(本記事は『致知』2017年6月号 特集「寧静致遠」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇村木厚子(むらき・あつこ)
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昭和30年高知県生まれ。高知大学卒業後、53年労働省(現・厚生労働省)入省。障害者支援、女性政策などに携わる。平成21年郵便不正事件では偽装公文書作成容疑等で逮捕・起訴されるも、22年の裁判で無罪が確定し職場に復帰。25年厚生労働事務次官。27年退官。現在は伊藤忠商事社外取締役や、津田塾大学客員教授などを務める。著書に『あきらめない』(日経BP社)『私は負けない』(中央公論新社)。

◇増田明美(ますだ・あけみ)
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昭和39年千葉県生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立。59年のロス五輪に出場。平成4年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動、マラソン中継の解説に携わるほか、ナレーションなどでも活躍中。著書に『カゼヲキル』(講談社)『認めて励ます人生案内』(日本評論社)など。

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