2019年11月25日
世界でも例を見ないスピードで進んでいる日本の少子化。このままいけば、社会を支えていくだけの若者がいなくなり、国家存亡の危機に直面するといわれています。その国難ともいえる少子化への対処法を示してくれるのが、意外にも、プーチン大統領のロシアです。国を挙げて出生率向上に取り組んでいるロシアの取り組みを、長年、ロシア社会を見つめてきた名越建郎さんに語っていただきました。
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人口増加を国家プロジェクトに
〈名越〉
1990年代のロシアは、ソ連崩壊によって政治・経済危機に陥り、社会が荒廃しました。そのため、ロシア国民は子供を安心して産めなくなり、1人の女性が生涯に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」は、ベビーブーム期だった1980年代の「2」から「1.16」(1999年)にまで落ち込んだのです。
ソ連崩壊前後、私は時事通信の記者としてモスクワにいましたが、確かに未来に希望が持てないといった雰囲気が社会全体に満ちていました。また飲酒や喫煙、自動車事故などにより、ロシア男性の平均寿命が58歳前後と低かったこともあって、毎年70万~80万人規模で人口が減少していました。
そのような中、2000年5月にウラジーミル・プーチン氏が大統領に就任します。
プーチン大統領は、強権政治で経済・社会を立て直すとともに、2006年の議会演説で、「人口減少は国家危急の問題であり、国家の存続が脅かされている。それは愛と女性と家族に関わる問題だ」と力説、人口増加を「国家プロジェクト」に指定しました。
具体的には、第二子を出産した母親を対象に、25万ルーブル(当時のレートで約110万円)を住宅取得・修繕費、教育費、母親の退職後の年金加算等の形で国が支給することを発表し、翌年から児童手当の増額、母親の産休中の賃金保障も含め実施しました。
「母親資本制度」とも称されるこの一時金は、3人目、4人目と、何人産んでも同様の支援が受けられ、その後、金額は年々増加されていきました。現在のロシア人の月の平均給与が日本円で7万~8万円ですので、子供1人につき100万円というのは、モスクワなどの都市部はともかく、地方ではかなりの奨励金になります。
プーチン大統領自身も、地方を訪れた際には、必ず「産めよ、増やせよ」と言って、“官製ベビーブーム”を盛んに煽りました。
その結果、出生率は導入前の1.30(2006年)から、1.41(2007年)、1.50(2008年)、1.54(2009年)と上昇を続け、2015年には1.75まで上昇しました。
新生児の誕生数も、1990年代は110万~120万人ほどだったのが、2015年には194万人にまで増加しています。
まさに人口問題の改善は、経済・社会の立て直しと並んで、プーチン大統領の大きな功績の1つだと言えるでしょう。
プーチン大統領の人口増加策の問題点
一方、プーチン大統領の人口増加策にも問題はあります。それはロシア国籍であれば誰でも支援が受けられるため、チェチェン人、タタール人らイスラム教徒など、非ロシア系住民の出生率がロシア人以上に上昇し、人口動態に変化が見られることです。
ソ連が崩壊し、ロシアが独立した頃は、ロシアに占めるロシア系の比率は83%でしたが、現在は78%まで落ちていると言われています。
特にイスラム系の人口増加が顕著で、ロシアの人口問題専門家の間では、今世紀末にはイスラム系の比率がロシア系を抜くだろうとの予測もあります。要するに、このままではロシアはいずれ“イスラム国家”になってしまうということです。これはロシア人にとって非常に憂慮すべき問題です。
また、先に少し触れたように、ロシアでは交通事故の死者は年間約2万5千人(日本は約3900人)、他殺約1万5千人(日本は約290人)、麻薬常習者は推定400万人(日本は推定20万人)、5歳未満の児童死亡率が1,000人当たり7.7人(日本は2.7人)となっており、社会環境から短命に終わることが多いのも問題です。
さらに、プーチン大統領の出産奨励策によって順調に増加してきた出生率も、2016年から再び低下しつつあります。
国家統計局によれば、2017年の新生児は計169万人で、前年より20万人、10.7%の減少となりました。
それはベビーブーム期に生まれた女性が高齢となったこと、ソ連崩壊後に生まれた女性の人口層が薄いことが大きな要因です。ロシア国立研究大学高等経済学院人口問題研究所のビシエフスキー所長は、出産可能女性の減少により、ロシアでは今後15年は人口減少が続き、2050年の人口は1億700万人まで減少するだろうと予測しています。
そのため、ビシエフスキー所長は、これからロシアは深刻な労働力不足に直面する可能性があるとして、旧ソ連圏に居住するロシア系住民の帰還促進や外国人労働者の誘致拡を提案しています。
日本は人口問題にもっと危機感を持て
そうした状況を受け、プーチン大統領は昨年11月、人口問題について演説、「ロシアの人口動態が再び悪化しており、包括的な措置を策定することが急務だ」「人口問題が悪化したのは自然の摂理によるもので、驚くにはあたらない。第二次世界大戦と1990年代半ばに続く人口減少時代がまた訪れつつある」とし、人口増加に向けた新たな政策を打ち出しました。
その柱は次のとおりです。
1 2018年1月以降、第一子に対して18か月間、低所得者層向けに生活状況や地域差に応じて子供手当を支給する
2 第二子を産んだ母親への「母親資本制度」を2021年末まで延長し、一部を現金支払いにする
3 出生率の高い地方自治体への子育て関連の連邦予算支給を拡大する
4 2人以上の子供がいる家庭の住宅所得に際し、政府が住宅ローンの金利の一部を負担する
5 保育所の待機児童をゼロにする
6 児童病院を増設し、小児科医の医療水準を改善する
プーチン大統領によれば、一連の出産奨励策の予算は3年間で5,000億ルーブル(約9,620億円)にも上り、政府の国民福祉基金等から拠出すると言います。
欧米による経済制裁や原油価格の下落などによって政府基金が縮小している中で、プーチン大統領がこれだけ巨額の資金を人口問題に拠出するのはなぜなのでしょうか。
その一つには、プーチン大統領、そしてロシア人の人口減少に対する並々ならぬ危機感があります。
プーチン大統領は、アメリカとソ連が東と西に分かれて覇権を争った冷戦時代のように、ロシアを再び世界の大国にする「大国化政策」を全面的に掲げています。しかし人口が減少していけば、経済や軍事、外交など、あらゆる面で国力が低下し、大国としての地位を失いかねないとの危機感があるのです。ロシアにとって、人口問題は自国の存続に直結しているのです。
その一方、ロシアより急激に人口減少が進んでいる日本の政治家や国民には、ロシアのような危機感が全く感じられません。製造業中心の日本では、エネルギー資源が豊富なロシアよりも人口減少の経済的打撃は遥かに大きいにもかかわらず、です。
また、安倍政権は憲法改正、自衛隊の憲法への明記を訴えていますが、そもそも人口が減り続ければ、自衛隊員になる人材がいなくなってしまうでしょう。国論を二分してしまう憲法改正よりも、少子化の進行や移民受け入れなどでの人口増こそ国難であり、最優先で取り組む課題でしょう。
(本記事は『致知』2018年8月号 連載「意見・判断」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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なごし・けんろう――昭和28年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業後、時事通信社に入社。バンコク支局、ワシントン支局で特派員、モスクワ支局長、外信部長を歴任。平成23年に同社を退社。12年より現職。『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)『独裁者プーチン』(文春新書)など著書多数。