星野リゾート創業者が何度も読み返した、内村鑑三の「成功の秘訣十カ条」

キリスト教無教会主義の創始者・内村鑑三。明治時代に西欧社会へ向けて英語で日本精神の真髄を発信した主著『代表的日本人』は、刊行から100年以上が経ったいまもなお不朽の名著として読み継がれています。星野リゾート創業者・星野嘉助氏も影響を受けたという「成功の秘訣十か条」、そして智慧と力に満ちた言葉の源泉とは――。文芸評論家・富岡幸一郎さんに紐解いていただきます。

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内村鑑三の言葉の力

〈富岡〉
(前略)内村の論文や著作のほとんどは文語文や英文で書かれており、その特徴は極めて明確な文法構造にあります。私は多くの文学者の文章を読んできましたが、それとは全く次元の異なる力強さに満ちているのです。それはおそらく内村を突き動かしている信仰の力によるものなのでしょう。

後にカール・バルトがドイツ語で書いた『ロマ書』も読んでみましたが、やはり独特な強い文体であり、彼の文章が時代を大きく動かした理由が理解できるようでした。

二人は『聖書』をヒューマニズム的な視点で読むのではなく、神の超越的な言葉としての『聖書』そのものと向き合い、ぶつかり合いました。その言葉との衝突の中で新たなエネルギーが生まれ、それが強い文体となって読者の心を揺さぶったのです。私が内村から最初に学んだのは、まさにこの言葉の持つ力でした。

人生の逆境を支えた「ヨブ記」

〈富岡〉
内村鑑三は江戸末期の1861年、上州高崎藩士の長男として生まれます。幼少時代から優秀で、長じて札幌農学校(現・北海道大学)に進学。同期には後に『武士道』を著し、世界に日本精神を知らしめるキリスト者・新渡戸稲造がいました。

大自然の息吹とフロンティア精神に満ちた北海道の地で青年期を過ごしたことが、内村の精神形成に少なからぬ影響を与えたことは想像に難くありません。幼少期から儒教教育を受けて育った内村が、抵抗を感じつつも、W・クラーク先生によってキリスト者となった一期生たちと宣教師の熱心な勧めで洗礼を受けたのはその頃です。

農学校を出て農商務省の官吏になった内村は、23歳の時にアメリカ留学を果たします。私費留学だったために病院の看護人として働き、20名を超える子供たちの下の世話や生活、教育訓練をしながら生活費を工面します。そういう非常に厳しい環境と孤独の中、『聖書』と真剣に向き合うのです。

最大の転機となったのは1891年、帰国して第一高等中学校嘱託教授となっていた30歳の時に起きた不敬事件です。前年に「教育勅語」が発布され、同校でも勅語の奉戴式が執り行われました。式典の席上、内村が45度低頭すべき最敬礼を正しく行わなかったと同僚の教師に指弾され、校内外に「不敬漢」として喧伝されることになりました。その結果、彼は教職を追われ、さらにその僅か数か月後には妻の加寿子を病で亡くすのです。

当時、内村は苦悩の中で『旧約聖書』の「ヨブ記」を繰り返し読み続けました。そこには篤い信仰を持つにも拘らず財産や子供たち、さらには自らの健康まで奪われるなど苛酷な試練に見舞われるヨブの姿が描かれています。内村は、そういうヨブと自身を重ね合わせながら信仰とは何かを自らに深く、鋭く問うたことでしょう。

以降、内村は野に下って伝道者としての道を歩むようになります。『聖書』のみを拠り所とする「無教会主義」のキリスト者としての本当の生涯はここから始まると言えるかもしれません。1893年に『余は如何にして基督信徒となりし乎』、翌年には『代表的日本人』という、共に代表作となる著作を英文で脱稿します。1900年には、アメリカ留学以来の夢だった『聖書之研究』というキリスト教の雑誌を刊行します。

この雑誌は教会関係者に限らず、農業者や商人など幅広く愛読されますが、軽井沢の星野温泉(現・星野リゾート)の創始者・星野嘉助も愛読者の一人でした。内村は星野に「成功の秘訣十カ条」を書き与えています。この十カ条を玩味すると彼の思想・信条がよく理解できるのではないでしょうか。

 一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。

一、本を固うすべし、然らば事業は自づから発展すべし。

一、急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし。

一、成功本位の米国主義に倣ふべからず、誠実本位の日本主義に則るべし。

一、濫費は罪悪なりとしるべし。

一、能く天の命に聴いて行ふべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず。

一、雇人は兄弟と思ふべし。客人は家族として扱ふべし。

一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。

一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。

一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はゞ何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。

内村が再臨運動を始めたのは1918年、第一次世界大戦の終戦の年でした。この時、内村は57歳。以来1930年、69歳で歿するまで伝道者としての生き方を貫くのです。
 (後略)


(本記事は『致知』2019年9月号 特集「読書尚友」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇内村鑑三(うちむら・かんぞう)
文久元(1861)年~昭和5(1930)年。キリスト教無教会主義の創始者。札幌農学校卒。雑誌『聖書之研究』を創刊し、講演・著述による伝道で当時の青年層に大きな感化を与えた。主著に『余は如何にして基督信徒となりし乎』『代表的日本人』『基督信徒の慰』『求安録』など。

◇富岡幸一郎(とみおか・こういちろう)
昭和32年東京都生まれ。中央大学文学部在学中に書いた文芸評論で第22回群像新人文学賞(評論部門)優秀作を受賞。以来、文芸評論家として活躍。現在関東学院大学教授、鎌倉文学館館長。著書に『使徒的人間カール・バルト』(講談社文芸文庫)『内村鑑三』(中公文庫)『川端康成 魔界の文学』(岩波書店)『虚妄の「戦後」』(論創社)など。近刊に『生命と直観―よみがえる今西錦司』(アーツアンドクラフツ)他多数。

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