2024年05月21日
報徳仕法という独自の理論によって600を超える村々を窮乏から救った農政家・二宮尊徳(金次郎)。他に類を見ない財政家であり思想家、土木技師でもあった尊徳ですが、その存在は日本人の間から次第に忘れられつつあります。その歩みや思想を二宮総本家当主・二宮康裕氏と、弊誌にて「二宮尊徳 世界に誇るべき偉人の生涯」の連載を始めた作家・北 康利氏に語り合っていただきました。 ◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
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勤労の大切さを説き続けた金次郎
<二宮>
金次郎は富が富を生み出す仕組みを図に描いています。
収入の半分で生活して余剰を来年に繰り越す、来年も収入の半分で暮らし余剰はまた翌年に繰り越す。これを続けることによって次々に余剰が蓄えられて富が生み出されるというとてもシンプルな図です。
一方で、これとは逆に人がますます貧乏になっていく循環も挙げています。
貧乏になる原因は働かない、節約をしない。この2つです。
働いて節約すれば富むようになる。しかし、富んだとしてもそこに怠け心が起これば再び貧乏になってしまう。そこからまた頑張って働いて豊かになる。人はこの循環を永久に繰り返しており、だからこそ日々の勤労が大事だと説いているんです。
<北>
安田善次郎が描いた循環図も、富を得た者が修養の道を選ぶか傲奢の道に落ちるかで人生が大きく変わることを示しており、金次郎の考えそのままです。
このような逸話があります。常陸国・青木村(現・茨城県真壁郡)の人たちが荒れ果てた村の惨状を金次郎に訴え「青木村にも仕法を実施してほしい」と嘆願したところ、「堰が壊れ田んぼに水が引けなくなって米が穫れないなら畑をつくればいいではないか。そこまでの真剣な思いがないから怠惰に流れて博徒が増え、村がますます荒廃するのだ。そんな村に大事な報徳金を出すことはできない」と最初はポーンと突き放すのです。要は頭も身体も働いていないというわけです。
<二宮>
おっしゃる通り金次郎は頼まれても一度断る。
そこで農民たちが諦めてしまったらそこまで。何度も依頼に来て本気であることを確認した上で要請を受け容れるんですね。
この青木村の例で申しますと、仕法を引き受けた金次郎は、農民たちに対して村を覆っていた茅を刈り取るよう指導しました。その上で刈り取った茅を高額で買い上げ、その茅で農家や神社の屋根を綺麗に葺き替えてあげるんです。
そうやって農民の心を一新させ、やる気にさせた上で一気に仕法を進める。これが金次郎のやり方なんです。
<北>
最初は厳しいことを言っても、困っている人たちを助けないではいられない。金次郎は情の人そのものですね。
<二宮>
曽比村の仕法では村人298人が参加して僅か2日間で堀の掘削を終えています。それもやはり金次郎が率先垂範したことで村民の心を動かしたからこそできたことなのでしょう。
<北>
金次郎の門弟は1,400人を超えると言われます。この数が金次郎の人望を何よりも雄弁に物語っていると思うのです。金次郎の日記や手紙のほとんどは粗末な反故紙に書かれているのですが、それが逐一現存されるのを見ても、金次郎のことをいかに弟子たちが慕っていたかが分かります。
弟子の富田高慶は入門を請うた時、金次郎から「学者は必要ない」と散々厳しいことを言われています。にも拘らず富田は一番弟子として相馬仕法を成功させ、金次郎の伝記『報徳記』を世に残している。
<二宮>
私はこれを「たらいの水」と言っているんです。たらいの水の真ん中に手を入れて水を相手に押しやると自分に返ってくる。
この原理を金次郎が教えたのは有名ですが、厳しいことを言われて怖じ気づいていた人たちが、やがて金次郎の言っていることは正しいと悟って戻ってくる様も、まさに「たらいの水」そのものだと思います。
金次郎の次のような道歌があります。
「おのが子を恵む心を法とせば、学ばずとても、道にいたらん」
要するに自分の子を可愛がる気持ちで人々に接せよと。金次郎の思想の集大成がそこにあるように思います。
★北康利さんには、2024年4月号より、弊誌の連載「二宮尊徳 ~世界に誇るべき偉人の生涯~」をご担当いただいています。詳細はこちら
◉『致知』2024年5月号 特集「倦まず弛まず」◉
対談〝「二宮尊徳の歩いた道」〟
二宮康裕(二宮総本家当主)
北 康利(作家)
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◆史料で明らかになる二宮金次郎の実像
◆日本人が忘れた金次郎の存在
◆SDGsの魁となった報徳仕法
◆目で教え、口で教え、体で教える
◆勤労の大切さを説き続けた金次郎
◆辛い洪水体験が思想を決定づけた
◆成田山参籠と「一円思想」の開眼
◆小田原藩はなぜ金次郎を追放したのか
◆自立を促してこそ真の推譲
◆倦まず弛まず「譲りの道」を
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◇二宮康裕(にのみや・やすひろ)
昭和22年神奈川県生まれ。東北大学大学院博士課程前期(日本思想史)修了、同後期中退。出版社編集部、公立学校教員を経て、二宮金次郎研究に専念。二宮総本家当主。著書に『日記・書簡・仕法書・著作から見た二宮金次郎の人生と思想』(麗澤大学出版会)『二宮金次郎正伝』(モラロジー研究所)『日本人のこころの言葉 二宮金次郎』(創元社)『二宮金次郎と善栄寺』(スポーツプラザ報徳)など。
◇北 康利(きた・やすとし)
昭和35年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券業務企画部長等を歴任。平成20年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社)で第14回山本七平賞受賞。著書に『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)など多数。近著に『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一』(プレジデント社)がある。