2025年02月10日
全国に730店舗以上を構える中華料理チェーン「餃子の王将」を展開する王将フードサービス。先代の急逝を受け、10年前から同社の舵を取り、食材の国産化をはじめとした経営改革を打ち出すことで過去最高の売上高へと導いたのが渡邊直人氏です。元々王将に入社するつもりがなかったという氏が、入社を決意した創業社長との出逢いを振り返っていただきました。
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「俺は日本一の餃子屋をつくるんや」
〈渡邊〉
アルバイト漬けの大学生活を経て、いよいよ就職活動を迎えました。世のため、人のためになることの答えを模索し様々な企業を受けました。そうしてリクルートブックを読み漁っていた折、偶然目にしたのが王将チェーン(現・王将フードサービス)でした。
70年代後半の王将は関西を拠点に約90店舗、知名度も決して高くはないにも拘らず、求人欄には当時としては破格の初任給20万円と記されていたのです。これは胡散臭い会社に違いない、面接で全貌を暴いてやると意気込み、京都にある本社を訪ねました。
「なんや面接に来たんか。わしについて来い」。長靴を履き、手拭いを腰にぶら下げている。現場で働く装いをした偉そうなおじさんは異様なオーラを放っていました。やはりこの会社は普通ではない。そう確信し恐る恐るあとをついていくと、実はそのおじさんこそが創業社長の加藤朝雄だったのです。
唖然とする私を横目に、創業者は1時間以上にわたって自らの夢を滔々と語りました。
「俺は庶民に、お腹いっぱい食べて幸せになってもらいたい。そんな日本一の餃子屋をつくるんや」
話が進むにつれて顔を赤らめ、ますます言葉に熱が帯びてくる。その真剣必死な姿に、あっと言う間に惹き込まれました。
この人についていけば、弱い自分も引っ張り上げてくれるのではないか。社長が思い描く夢を実現することで、世のため、人のために役立つことができる。この会社しかないと腹を据え、入社を決断しました。1979年、23歳の時です。
人生の師と仰ぐ人物に巡り合えたことが、私の人生の大きな転機になりました。人生は人との出逢いによって形づくられるのだと、つくづく実感しています。
(本記事は月刊『致知』2024年2月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)
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消費の低迷をものともせず、個性溢れる経営で躍進を続ける外食の雄がいる。和食レストランのばんどう太郎をはじめ様々な業態の店を展開し、北関東に盤石の礎を築いた青谷洋治氏。豚骨ラーメンの一風堂で世界進出、株式上場を成し遂げた風雲児・河原成美氏。そして不慮の死を遂げた前任社長の志を継ぎ、餃子の王将で年商1千億円を実現した渡邊直人氏。彼らはいかなる道を経て功を成してきたのか。互いを認め合う3人が語り尽くす経営への思い──。
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時代を乗り越えて成長し続けるため、生きるための指針となる『致知』の更なる発展を心より祈念いたします。
◇ 渡邊直人(わたなべ・なおと)
昭和30年大阪府生まれ。54年桃山学院大学を卒業後、王将チェーン(現・王将フードサービス)に入社。関東エリアマネージャー、常務を経て、平成25年前社長の大東隆行氏の死去に伴い、社長に就任。原材料の国産化や最新鋭の餃子製造機械を備えた東松山工場の建設をはじめとした経営改革を断行し一層の躍進を遂げる。令和5年3月期には過去最高の売上高930億円を記録。
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