【五木寛之×青山俊董】90年の年輪を刻む中で掴んだ「人生の大事」

片や作家として、片や尼僧として、90歳を超えたいまなお、それぞれの立場から人々に多くの示唆を与え続ける五木寛之氏と青山俊董氏。一筋の道を辿ってきたお二人は、人生の大事をどう捉え、いまをどう生きているのでしょうか。自身の半生を交えながら、人生の大事を説き明かしていただきました。

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育てられていたのは自分だった

〈青山〉
五木さんに比べたら、私は何の苦労もしておりません(笑)。

〈五木〉
いやいや、青山さんこそお若い頃からずっと厳しい修行を続けてこられて。

〈青山〉
私はね、人生には授かりの人生と選ぶ人生があると思うんです。授かりというのは、例えば女に生まれるとか男に生まれるとか、どの親の元に生まれるとか、日本人として生まれるとかいうのは授かりですわな。

その意味で私は、母親のお腹の中で命を授かった時に、「今度お腹にできた子は出家するだろう」と予言されたんだそうです。既に亡くなっていた私の祖父が御嶽山と立山の大先達で、実家で毎月開かれていた御講の時にお坐に出てきてそう予言したそうです。それで信州で出家していた伯母が大喜びして五歳の時に迎えに来たというのが、私が仏道に入った事の次第で、授かりの人生から出発したわけです。

けれども、尼僧堂の修行だけでは満足できずに大学へ行きましてね。若いというのは欲張りなもので、仏教より素晴らしい教えがあったらそっちに行こうというくらいな気持ちで、キリスト教を覗いてみたり、マルクスを嚙ってみたり、10年以上大学に在籍した末に、31歳で田舎の山寺へ帰りました。

大学へ残れとか、結婚してくれとか、いろんなお誘いをいただきましたが全部断って、尼僧堂での雲水との修行の道を選び、それから60年この道一筋に歩んでまいりました。授かりの人生から始まり、選ぶ人生に転換したわけなんです。

五木さんも、どこかで小説の道を選ばれたのでしょう。

〈五木〉
まぁいろんな偶然が重なりましてね。これをしゃべり出すと何時間もかかってしまうのでここでは控えますけれども(笑)。

私は、ある夕刊紙に「流されゆく日々」という連載を45年くらい続けていて、立場としてはそのタイトルの通りなんですよ。流されていく人たちがいる。それを救うとか止めるとかいうのではなくて、皆と一緒に自分も流れていこうと。これが自分の気持ちですよね。

世の中というのはどんどん移り変わっていくけれども、それに抵抗するとか、塞き止めるとか、皆を救い出すとか、そういうのではなくて、同じ時代に生きている皆と一緒に流れていこうと。

そういう気持ちでいると、新聞の三面記事を読んでいても、名もない人を巡る出来事に、「あぁ、これは」と身につまされることがあります。大先輩の吉川英治さんが「われ以外みなわが師」とおっしゃったけど、本当にその通りだなと思いますね。

〈青山〉
私も尼僧堂では、雲水を育てているつもりが、逆に雲水に育てられてきました。

『碧巌録』に「驢〈ろ〉を渡し馬を渡す」という話がございます。中国唐代の趙州という禅僧がいらっしゃって、その人が住職を務める観音院へ行くには、橋を渡らなければならなかったそうです。そして趙州は、「驢を渡し馬を渡す」と。ロバでも馬でも、選り好みなし、落ちこぼれなしにすべてに救いの手を差し伸べると言っています。

いい言葉だなと思いましてね。私も尼僧堂へ来る生徒を落ちこぼれなく全員抱きかかえ、かの岸に渡したいと決意したものです。

ところが実際は、私自身が皆に渡されっぱなしであったなと。皆のお陰で私が勉強でき、皆のお陰で私が修行させてもらえる。皆に育てられていまの私があるんだと。

「驢を渡し、馬を渡す橋にならばやと願えども、渡さるるのみの吾にて」と、つくづく実感しておるところなんです。


(本記事は月刊『致知』2024年1月号特集「人生の大事」より一部抜粋・編集したものです)

本記事では全10ページにわたって、作家として、尼僧として、それぞれの立場から人々に多くの示唆を与えてきたお二人に「人生の大事」について語り合っていただきました。共に90代の坂に差しかかったお二人が説き明かす人生の大事、いまを生きる術――。

◉『致知』2024年1月号 特集「人生の大事」◉
表紙対談「一大事とは今日只今の心なり
五木寛之(作家)
×
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)

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▼生かされている自分を自覚する
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 この頃しきりに良寛さまの「人間の是非一夢の中」の一句が脳裏を去来する。人類の歴史は、小さくは個人から大きくは国と国との関係まで、勝つか負けるか、成功するか失敗するか等の追っかけっこといえるのではなかろうか。人間の是非は立場が変わると逆転する。正義の名のもと、神・仏の名のもとに限りなく争いが繰り返されてきた。
 かつて「勝ってさわがれるより負けてさわがれる力士になれ」の一言で講演の結びとされた二十八代立行司、木村庄之助氏の言葉が忘れられない。勝ってさわがれるのは技と力の世界。負けてさわがれるのは勝ち負けを越えた世界をにらんで生きる世界。時と処を越えて変らぬ永遠の一点をみつめて生きる。それが「人間の是非」を越えた世界ということであり、『致知』のめざす「木鶏」が語ろうとしているのもこの一点ではなかろうか

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◇ 五木寛之(いつき・ひろゆき)
昭和7年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、22年に引き揚げる。27年早稲田大学露文科入学。32年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、41年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、42年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、51年『青春の門・筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は平成13年度『BOOK OF THE YEAR』(スピリチュアル部門)に選ばれた。14年菊池寛賞を受賞。22年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。日本藝術院会員。

◇ 青山俊董(あおやま・しゅんどう)
昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年大本山総持寺の西堂に就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『さずかりの人生』(自由国民社)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。

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