【取材手記】人と人の出逢いは、命懸け。大谷徹奘さんに訊く〈自分の人生を生きる術〉

薬師寺の境内をバックに

1300年の歴史を持つ古刹・法相宗大本山 薬師寺(奈良県)。観光名所としても知られるこのお寺で執事長を務めながら、日夜全国を走り回って法話行脚を続けておられるのが大谷徹奘さんです。命の使い道を説くその法話は、時に笑いあり、時に涙ありで各地に根強いファンがいます。『致知』2023年12月号で担当者が体感した真剣必死な生き方、大谷さんの人柄について綴ります。

温められていたいくつかの機縁


〝(師匠は)まさに「天才の努力家」でした〟

ある新聞記事で紹介されていた、大谷徹奘(おおたに・てつじょう)さんの法話の言葉が、一つの機縁となりました。

実は、大谷さんは10年以上前にこの月刊『致知』の連載「致知随想」に一度登場されており、その後も読者の皆様より何度か推薦を受けたこともありました。また、毎年お正月に弊社主催で開催してきた『致知』新春特別講演会の会場・東京プリンスホテルのほど近くに、当時は知らなかったものの大谷さんの母校があり、掲示板に法話のポスターが貼ってあるのを何度か目にしていました。

いつかお話を伺ってみたい。そんな淡い想念が、今号の特集「敬、怠に勝てば吉(きつ)なり」――敬(つつ)しみの心が怠(おこた)りの心に勝てば吉がやってくる――の企画を検討する場で上記の新聞記事が話題となり、ご登場へ繋がりました。決して目には見えないけれど、心の内側で求め続ける、縁を育んでいくと、いずれ現実となっていくことを感じました。

法話の名人であるお師匠、テレビでもお馴染みだった薬師寺の高田好胤(たかだ・こういん)和上は、努力に努力を重ねて、人を魅了する法話をしていた……。記事では、師匠から「心を育てていただいた」と懐かし気に修行時代を振り返る大谷さんから貴重な証言をいただいています。

「よっぽどの縁」があってのあなたと私

大谷さんは一か月のうち、所属する奈良の薬師寺には数日しかいらっしゃらず、全国を駆け回って法話をしておられます。

今回、本人のご配慮もあって、法話を直に聴く機会を設けてもらいました。日々多忙を極めていると知っていただけに、一切の手抜きを感じさせない、会場全体に気が満ち溢れるお話に惹き込まれました。企業で働く100名以上が座るその場を見渡しても、誰一人眠ったり、退屈そうにしたりしている人がいないことが印象的でした。

なぜ、大の大人が真剣に聴き入っているのか。その背景には、師匠から育てられたという、ある心構えがあります。本誌記事より、まさにそこを説いた箇所を抜粋します。

〈大谷〉
1990年、27歳から「心を耕そう」をスローガンに法話行脚を始めました。行き先はお寺に限らず、幼稚園や老人ホーム、企業、刑務所まで、全国ありとあらゆる場所からお声がけをいただいて話をさせていただいてきました。

私には、どんな会場に行っても絶対に譲らないことがあります。それは話の最初、演壇があれば必ず降りて、座っている皆様には立っていただいて、同じ目の高さで挨拶をするということです。

私は人生の中で、皆さんに逢わなくてもよかった。だけどこうして逢えました。これから○○分、お金では買えない自分の命を削って話をします。ただ、私が命を削るのは勝手ですが、同時に皆さん方の命をいただかなければいけません。ご面倒ですが、ご起立ください。それではご一緒に挨拶をさせていただきましょう。こんにちは!

……こう話に入ります。

人と人の出逢いは、命懸けです。命と命の出逢いなんです。

〝「よっぽどの縁」があってのあなたと私〟

これは若い頃から大事にしている言葉です。よっぽどの縁がなければ、あなたと私、命と命は出逢いません。挨拶の前には必ず深くお辞儀をします。これは目前の方の命に無礼をしたくないからです。

命と命は平等であり、会って話を聞いてもらう以上は、等しく命を削っている。だからお互いに時間を無駄にはできない、自分もそこに無礼はできない。それが大谷徹奘さんの法話の根底にある一つの思想でした。だからこそ、一切妥協が感じられず、同時に聴く側も「ああ、真剣に聴かなければ」という気にさせるのでしょう。

実際に法話を拝聴して感じたことがあります。それは大谷さんが自分の利益や名誉、仏教を単に広めたいという思いで駆け回っているわけではないこと。人生にはいろいろな苦難があるけれども、表面的な自信ではなく、授かった自分の命に対する本当の意味での信頼、敬いを失わずに生きる。同時に他人の命にも無礼せず、常に「敬」の心を持って生きてほしいという願いを込めて話をしているんだということです。

かつては逃げ出したかった

記事には触れられていませんが、大谷さんはこうおっしゃっていました。

「私の血液は高田好胤でできていると思っています」

師匠・高田好胤和上にどれほどの思い入れがあるか、この一言をもって推し量るべしでしょう。

しかし、もともと東京にある別の宗派のお寺に生まれ育った大谷さんは、17歳で得度し、高校卒業とともに奈良へ移るまで、部活やアルバイトに打ち込んだ経験もない、いわゆる〝東京の高校生〟だったそうです。それゆえ、1300年の歴史を有する〈南都七大寺〉の一山である薬師寺に入った途端、厳しい修行を前に疑問や反発を覚えるようになっていました。

「俺は将来、高田好胤になる。こう宣言して寺に来た手前、格好が悪くて自分から出ていくとは言えません。いつしか、心のどこかで出ていけ! と追い出されるのを待つようになっていました」

まさに自分で選んだ道から逸れ、運命を呪うようになっていたのです。では、その心を変え、現在の大谷さんをつくったものは何だったのでしょうか――。

大谷徹奘さん直筆の色紙。この言葉は、修行の最中に掴み取った、まさに「運命」の言葉だったそうです


本記事では下記の通り、〈運命を切り拓く力〉すなわち限られた自分の人生・命を敬い、主体的に生きるにはどうすればよいかを、故・高田和上の生き方と言葉、大谷さんが運命を切り拓いてきた実体験とともに説いていただきます。

◉『致知』12月号 特集「敬、怠に勝てば吉(きつ)なり」◉
大谷徹奘(法相宗大本山薬師寺 執事長)
運命を切り拓く力をどう養うか
~高田好胤和上に育てていただいた心~

  ↓ インタビュー内容はこちら!

◆ 「よっぽどの縁」があってのあなたと私
◆ 〝天才の努力家〟が育ててくれた心
◆ いのちを運ぶで運命 その運転手は自分
◆ 祖師たちが目指したものを目指して
◆ 限りある命をいかに自分のものとするか
◆師匠最後の説法は全く言葉のないものだった

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◇大谷徹奘(おおたに・てつじょう)
昭和38年浄土宗重願寺(東京都江東区)に二男として生まれる。高校在学中の17歳の春、薬師寺住職・高田好胤の誘いを受け出家。龍谷大学大学院修士課程修了。平成11年より「心を耕そう」をスローガンに法話行脚を始める。15年薬師寺執事。副執事長を経て令和元年より現職。奈良少年院・大阪矯正管区篤志面接委員。『人生はいつだって自問自答』『幸せの法則』(共に小学館)ほか著書多数。

▼『致知』2023年12月号 特集「敬、怠に勝てば吉(きつ)なり」
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