児童文学の名作『ちいちゃんのかげおくり』『ぐりとぐら』が生まれた原点【あまんきみこ×中川季枝子】

写真左があまんさん、右が中川さん

 

『ちいちゃんのかげおくり』『白いぼうし』など教科書に掲載される作品で知られる児童文学作家のあまんきみこさん。発売から60年が経つ大人気絵本『ぐりとぐら』、童話『いやいやえん』などの作品を通じて多くの子供たちの心に灯をともしてきた同じく児童文学作家の中川李枝子さん。数多の物語を紡ぎ出してきたお二人に約90年の来し方を振り返り、人生で邂逅を果たしてきた本や人について、またそれぞれの作品に込めた思いなどについて語り合っていただきました。

創作活動の始まり

〈中川〉
あまんさんはどういうきっかけで童話を書かれるようになったの?

〈あまん〉
お恥ずかしい話で、もともと作家になりたかったとか、そういう動機ではないのです。私は大連で育ち、終戦は女学校(中学)2年生の時でした。

旧満州からの引き揚げはその年に始まりましたが、大連港は封鎖され、私たちは二冬を過ごして帰国しました。大阪の女学校に転校し、新制高校二期生で卒業しています。そして卒業した歳に婚約し、20歳で結婚しました。それで早く母親になったのです。

その頃、幼い子供たち二人に「お話」をよく語り聞かせていました。もともと「お話」をつくるのが好きだったので。子供って同じお話を聞きたがるでしょう? 「あのお話」とせがまれ、それが思いつきでいい加減だと必ず訂正が入る(笑)。それでノートに「お話」を書き留めるようになりました。

〈中川〉
それが童話を書き始めるきっかけに。母親の愛情ね。

〈あまん〉
それに、私は早く結婚しているから、上の子が小学校に、下の子が幼稚園に上がった時、高校の続きで受験勉強を始めました。その時、新聞に、大学の通信教育が10周年を迎えたという広告が大きく出ていて、これなら子育てしながら学べるかなって考えたのです。その新聞に日本女子大学家政学部に児童学科があると知った時、嬉しかったですね。

〈中川〉
ああ、それで児童学科に。

〈あまん〉
私は母親が永眠し、いなかったので、自分が母として心細い思いが強かったと思う。

日本女子大に通うようになって、児童学概論という科目があって、附属幼稚園の園長さんも兼ねておられる教授でしたが、その授業は最初にレポートを提出しなければならなかったのです。何を書いたらいいか分からないので、私は、うちの子2人、その友達3人に自分がつくったお話を読んでやり、それを聞いた5人が描いた絵や会話、それに私の感想を書いて提出しました。そうしたら教授が、詩人で童話作家の與田凖一先生のもとに行くようにと紹介状と、お家に行く道筋まで書いて渡されたのです。

〈中川〉
それはすごい。

〈あまん〉
ところが私はそのすごさを全然理解していなかった。ただ、與田先生が翻訳された『まりーちゃんとひつじ』が大好きで、子供たちもその絵本の言葉を暗記しているくらいだったものですから、最初に與田先生にお会いした時にそんなことをぺらぺらと喋ってしまったの。紹介状に何が書かれているか知らないままだから。それで先生の印象に残ったのでしょうか。その後ご連絡をいただくと、お家に伺うようになりました。

與田先生はシャイな先生で、あまり童話の話はなさらないし、ご自分の本はくださらないの。「これ面白いよ」と他の方の本を薦めてくださり、文学に関する様々なお話をしていただき、本当に得難い出逢いをしました。

ある時、與田先生が、坪田譲治先生が創刊された童話雑誌『びわの実学校』の創刊号を「ほら、モデル」とくださって、びっくりしました。それは自分の子に物語を語り聞かせるへんてこなお母さんの話でした。そこからご縁を得て投稿した『くましんし』が『びわの実学校』の十三号に掲載されたんです。この『くましんし』が『車のいろは空のいろ』シリーズの原形になるんです。

〈中川〉
すごい出逢いの連続ね。あの頃、いろいろな童話雑誌があったけれど、いい縁に恵まれたのね。

〈あまん〉
もう本当にそう。あの頃、夫の仕事の関係で東京に住んでいたから子育てをしながら4年間で大学を卒業することができましたし、先生方ともご縁をいただくことができて、本当に恵まれていました。何か一つの出逢いが欠けていてもいまの私はいなかったと言えますよね。

子供たちが一番厳しい先生

〈あまん〉
中川さんは確か保育園の先生をされていらしたのよね。

〈中川〉
そう。世田谷区にあるみどり保育園に17年間勤めました。戦後間もないあの頃の子供たちの楽しみって、紙芝居なの。紙芝居をやるよって言うともう喜んでね。日本昔ばなしとか、とっかえひっかえに読み聞かせてやるんだけど、一番短いお話は12枚しかないの。そうすると、「ちぇっ、きょうは12枚かよ」って言うのよ(笑)。

〈あまん〉
長いのを要求するのは子供たち?

〈中川〉
子供たち。私にとっては子供たちが世界一厳しい先生でした。気に入らないお話にはそっぽを向き立ち上がってどこかへ消えてしまいます。反対にいったん気に入ると、何十回でも何百回でも読んでとせがみ、毎回、大真面目に聞いて、同じところで笑い転げるのです。中でも一番子供が喜んだのが『ちびくろ・さんぼ』の絵本を基に私がつくった紙芝居。子供たちを喜ばせようと思って、結構長いお話をつくってね。

〈あまん〉
あのお話はうちの子供も孫も大好き。

〈中川〉
喧嘩をしたトラがグルグル回っているうちにバターになってしまい、そのバターを使ってホットケーキを食べるっていうお話ですけど、あまりにも子供たちに人気だったので、園長先生が子供たちに実際にホットケーキを焼いてくださったの。その時の皆の喜びようったらすごくてね。

それで、ホットケーキよりももっとおいしいものを登場させた物語をつくって子供たちを喜ばせたいと思って出来上がったのが『ぐりとぐら』のカステラをつくるお話なんです。

当時は最高のお菓子と言えばカステラ。そして大きなカステラをつくるために、主人公を小さくしようと考えてネズミにしたの(笑)。〝ぐりとぐら〟というネーミングも、子供たちに人気だったフランスの絵本『プフとノワロー』の中に「グリ、グル、グラ」と囃子歌を歌う場面があって、その音の響きが子供たちに大受けだったから、主人公の名前に拝借したの。

〈あまん〉
子供たちを喜ばせたい一心で生まれた絵本なのね。


(本記事は月刊『致知』2023年10月号 特集「出逢いの人間学」より一部抜粋・編集したものです)

◎あまさんさんと中川さんの対談には、

・岩波少年文庫で育った少年時代
・子供への語り聞かせが創作の始まり
・教科書に掲載される作品への思い
・60年以上の創作活動を通じて後世に伝えたいこと

など、名作の創作秘話、本を読む大切さ、創作活動から得た幸せな人生を送る秘訣を語っていただいています。貴重な対談の詳細はこちら「致知電子版」でも全文をお読みいただけます】

 

◇あまん・きみこ(本名・阿萬紀美子)
昭和6年旧満州に生まれる。20歳で結婚し一男一女をもうける。日本女子大児童学科(通信)卒業。與田凖一に出逢い児童文学の道に入る。坪田譲治主宰の「びわの実学校」に「くましんし」が掲載される。『車のいろは空のいろ』で日本児童文学者協会新人賞、野間児童文芸推奨作品を受賞。『ちいちゃんのかげおくり』(上野紀子・絵/あかね書房)『きつねのかみさま』(酒井駒子・絵/ポプラ社)など多数。令和5年『新装版 車のいろは空のいろ ゆめでもいい』(黒井 健・絵/ポプラ社)で第70回産経児童出版文化賞。

◇中川李枝子(なかがわ・りえこ)
昭和10年北海道生まれ。都立高等保母学院卒業後、17年間保育士として働きながら、児童文学グループ「いたどり」の同人として創作を続ける。昭和37年に出版した『いやいやえん』(絵・妹の大村百合子/福音館書店)で厚生大臣賞など数々の賞を受賞。絵本に「ぐりとぐら」シリーズ(絵・妹の山脇百合子/福音館書店)、童話に『ももいろのきりん』(絵・夫の中川宗弥/福音館書店)など多数。

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