2023年07月03日
様々な文明の利器が発達し、リモコン一つで快適な生活が送れる現代社会。一方、その影響で人々の心身に様々な異変が起きていると語るのは、身体論を中心とした教育学を専門とする明治大学教授・齋藤孝さんです。科学研究者の立場から生命の神秘の解明に生涯を捧げ尽くした故・村上和雄さんとともに、昨今の日本人の「身体文化」の変容を紐解いていただいた対談をお届けします。※記事の内容や肩書は掲載当時のものです
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人は憧れに憧れる
〈村上〉
遺伝子は親からもらったものだから、あまり変わらないという固定的なイメージで捉えられていますよね。しかし、最近遺伝子の暗号が解読されて、どうもそうじゃないことが分かってきた。その一つは運動、つまり体を動かすことです。
例えばトレーニングをすれば筋力がつきますね。要するにそれはたんぱく質が増えることなのですが、そのためにはたんぱく質を増やす遺伝子のスイッチがオンにならなければならないわけです。
そういう感じで、遺伝子は常にダイナミックに動いていて、決して固定的ではない。その表現の一つとして、私は遺伝子のスイッチをオンにする、オフにするといっています。
〈齋藤〉
スイッチ・オンというのはものすごくリアルな表現だと思います。実際、僕も子供たちを集めて「齋藤メソッド」という私塾を主宰していますが、例えば漱石や鴎外の名作、あるいは『論語』を音読すると、スイッチがオンになる瞬間が表情で分かるんですね。
そうして、一回オンになると家に帰っても『坊つちやん』の話ばかりしているとか、しばらくその状態が続くんです。
〈村上〉
私自身、長年大学で学生の教育に携わってきましたが、やはり教育というのは生徒や学生たちの眠っている遺伝子のスイッチをオンにすることだというのが実感ですね。
ただ、生徒や学生の遺伝子をオンにするには、まずは先生がオンになってないとダメだと思います。だから自分の遺伝子をオンにするには、オンになっている人の近くにいくのがいいんです。
〈齋藤〉
よく「一流の人に触れろ」といいますが、それってやっぱり一流の人はオンになっているからなんですね。
それで分かりました。いままでいろいろな小中学校の教室も見てきましたが、入った瞬間、教室の空気が明るくて、生徒たちの目が輝いているところの先生は、その先生自体に何か発しているものがあって、それは何なのかとずっと考えていました。
気質的にはいろいろなタイプの先生がいるんですよ。明るい先生もいれば落ち着いた先生もいる。気質はいろいろでも生徒を惹きつけて明るくしている事実を考えると、性格そのものよりも、その先生が持っている多くのスイッチがオンになっているわけですね。
〈村上〉
と思いますね。
〈齋藤〉
僕は「憧れに憧れる」ことが教育の原理だと思っています。例えば吉田松陰が「この日本を何とかしたい」という憧れを持つ。すると高杉晋作がその憧れに憧れる。
いまで言えば、子供がイチローに憧れて野球を始めたくなるというように、憧れに憧れることがスイッチをオンすることに繋がるのではないかなと。その関係をどうやってつくるかが教育の一つの大きな課題だと思います。
足腰が異常に細くなった日本人
〈村上〉
齋藤先生はどういうきっかけで身体論を中心とした教育学の分野に入られたのですか。
〈齋藤〉
先ほど申し上げたように僕は武道をやっていたのですが、やはりプレッシャーに強い心身をつくることが武道では一つの大きな課題なんですね。
集中して緊張感を持続しながら、相手の動きにすぐに反応できるようリラックスした状態をつくる。それってなかなか難しいわけです。リラックスして集中するという状態を身体技能、いわゆる「技」として身につけられないかなと。
〈村上〉
どうやってやるのですか。
〈齋藤〉
まずは呼吸法が大事なんだと分かりました。臍下丹田(せいかたんでん)を意識して、長くゆるく吐く呼吸法を身につけると気持ちが落ち着いて動じなくなるんですね。
同時に自分が活性化されてきて、相手の動きが遅く見えてくる。その時、心身は臍下丹田を中心として上がリラックスして、下が充実している状態となって、「上虚下実(じょうきょかじつ)」といわれ、最も自然体になるのです。
〈村上〉
上というのは脳ですか。
〈齋藤〉
二通りの考え方があって、全身を捉えて、肩などの上半身はリラックスして、足腰などの下半身はしっかりしているという意味と、お腹の部分だけを指して、お臍の上のみぞおち辺りはリラックスしていて、臍下丹田は充実しているという意味があります。
いずれにしても、いま学校ではそういう東洋の遺産ともいうべき身体技法を学ぶ機会はほとんどありません。ヨガや禅、道教や日本の武道のエッセンスを子供たちに教えることで、心と体のよりどころになったらいいなと。そういう思いが出発点でした。
〈村上〉
確かにいまの体育の授業はバスケットとかサッカーをやっているみたいですね。
〈齋藤〉
東洋の身体技法では型が重要なんですね。心は捉えどころがないので、まずは身体で型を何度も練習していくとそれに見合った心の形ができてくると考えます。
例えば何度も四股を踏んでいると、グッと力が入るような精神状態ができてくると。その型の訓練が強さなのだと僕は感じたのです。だから『声に出して読みたい日本語』なども、一つの日本語の型を声に出して覚えようというものですから。
〈村上〉
日本では昔から四書五経の素読を行ってきましたからね。その文化が戦後まったくなくなってしまいました。
〈齋藤〉
そうですね。GHQの方針で武道も禁止されたのですが、特に警戒されたのが掛け声、要するに気合なんですね。気合が危険だと感じたGHQはある意味勘がいいと、三島由紀夫は書いています。
〈村上〉
日本人はその策に見事はまってしまったわけだ。
〈齋藤〉
そうなんですね。いまの日本人の傾向として、身体の力強さや気力が軽くなっているような気がするんですね。おとなしく、真面目にまとまった身体になって、外にパッと開いた身体ではないんですね。特にこの20年でそういう傾向が強くなりました。
〈村上〉
身体にも変化がある?
〈齋藤〉
顕著なのは足腰の線が異常に細くなっています。いまの若い子の着るスーツはズボンがものすごく細いんですよ。この前スリムスーツというやつを試しに着てみたら、僕の腰や太ももは全然入らない(笑)。僕は昔から相撲が好きなんですが、「これじゃ相撲は取れないな」と思いました。
〈村上〉
そうか。だから日本人が横綱になれなくなったんだ(笑)。
〈齋藤〉
関係していると思いますね。「腰を入れる」とか「腰を割る」とか、日本語には「腰」に関する言葉も多いのですが、たぶんそういう感覚も分からなくなってきていると思います。
昔は誰もが天秤棒を担いで坂道を登ったり、子供をおんぶして何里も歩いたりしていて、日本人全員の足腰や臍下丹田のスイッチがオンになっていたと思うんですが、いまは軒並みオフになっている感じがします。そのことが声の弱さやまなざしの弱さに繋がっていると思うのです。
(本記事は月刊『致知』2010年8月号 連載「生命のメッセージ」より一部を抜粋したものです)
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「痩蛙 まけるな一茶 是に有」「春風や 牛に引かれて 善光寺」など、耳馴染みのよい名句で知られる俳人・小林一茶。65年で2万句を産み落としたその生涯は悲愁に始まり、悲愁のうちに終わっています。自らも長く一茶の句を愛誦し、この度弊社より『心を軽やかにする小林一茶名句百選』を上梓する齋藤孝さんが、稀代の俳人の足跡、出版に込める思いを語ります。詳細は下記バナーをクリック↓
◇齋藤孝(さいとう・たかし)
昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』『楽しみながら日本人の教養が身につく速音読』(いずれも致知出版社)など著書多数。
◇村上和雄(むらかみ・かずお)
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程修了。53年筑波大学教授。平成8年日本学士院賞受賞。11年より現職。23年瑞宝中綬章受章。著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』『君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話』『〈DVD〉スイッチ・オンの生き方』『〈CD〉遺伝子オンの生き方』(いずれも致知出版社)など多数。令和3年4月逝去。
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