安岡正篤『百朝集』に学ぶ人間学——田口佳史

東洋思想の研究と後進の育成に生涯を捧げ、政財界のリーダーから師と仰がれた碩学・安岡正篤師。その安岡師が精神の糧としてきた古今先哲の片言隻句を繙いた『百朝集』を40年以上にわたり座右に置いてきたのが東洋思想研究家の田口佳史氏です。毎朝5時から7時まで古典を読むことを習慣としている田口氏が、その読書時間の最初に読むのが『百朝集』だと言います。そんな田口氏に、『百朝集』との出逢いや魅力、特に心に残る言葉などを伺いました。

悩みに対する答えが全部書かれてあった

〈田口〉
漢籍の勉強を始めた32歳の時から自らに課し、80歳のいまなお50年近く続けている習慣があります。それは朝5時から7時までの1日2時間、どんなに体調が悪くても必ず古典を読むということです。

37歳で『百朝集』と出逢ってからは、その2時間の読書時間の最初に読むのが『百朝集』となりました。

「昭和20年5月25日夜の大空襲の為に焼出されて、会館の一室に起居するようになってから、毎日の朝参に古今名賢心腹の語を一題づつ提唱することにしていたが、その中から100題を集めて、ここにこの百朝集が出来上った」

安岡先生が序文に記されているように、私もまたこの本に収められている100の箴言を一語ずつ毎朝味読し、その後古典の本文に取りかかる。100日かけて『百朝集』を読み終えると、また最初に戻って繰り返し読む。

そういう生活を10年くらい続けました。

いま振り返ると、『百朝集』からどれだけ人生の教習を受けてきたか計り知れません。私は、以前は老荘思想研究家と名乗っていましたが、20年ほど前からは東洋思想研究家と称しています。

というのも、日本は稀有な国で「儒教・仏教・道教(老荘思想)・禅・神道」という5つの異なる思想哲学が幾世紀にもわたって蓄積し、発酵することによって、独特な薫りや妙味を以て存在している。

これが東洋思想の素晴らしさだと気づき、その素晴らしさを世界に紹介することを己の仕事にしていこうと期するところがあったからです。

以後、現在に至るまで5つの思想哲学についての講義やニュースレター(英語と中国語に翻訳)の執筆を手掛けているわけですが、その原点はまさしく『百朝集』にあります。

この本には「儒・仏・道・禅・神」に関する箴言がそれぞれ収録されており、特に日本文化の発露ともいえる神道においては、「九一 大神宮參詣」をはじめ、含蓄に富む教えに溢れています。

また、不思議なことに、仕事や家庭で何か重大なトラブルが発生し、どうしたらいいか悩んでいる時にパッとこの本を開くと、それに対処する答えがきちんと書いてある。そういうことが毎回のようにありました。

例えば、当時の私は何をやってもうまくいきませんでした。なぜうまくいかないのか。そう思いながら頁を開くと、ある時は「四 忍耐」に突き当たる。

史を讀むには訛字に耐ふるを要す。
正に山に登るには仄路に耐へ、
雪を踏むには危橋に耐へ、
閑居には俗漢に耐へ、
花を看るには惡酒に耐ふるが如くにして、
此に方に力を得ん。
「醉古堂劍掃」

詳しい説明は本書の安岡先生の解説文に譲りますが、要するに、史書を読むのも、山に登るのも、雪景色を愛でるのも、小閑を過ごすのも、花見を愉しむのも、何事も忍耐が大事である。「うまくいかないのはひとえに忍耐力がないからだ」と諭されるわけです。

またある時は、「二七 男性的交友」に突き当たる。

丈夫氣を以て相許す。
小嫌は胸中に置くに足らず。
唐書「尉遲敬徳傳」

若い頃の私は、相手の小さな欠点を指摘するような男らしくない人間でした。結局、人間関係が良好に築けなければ仕事もうまくいきません。人間関係に問題が生じるのは大抵、自分の性格的欠点に起因することを教えられました。

このように本当に不思議なのですが、全部この本に答えが書かれているのです。そういう意味で、現在の私を創り上げてくれた人生最大の指南書と言っても過言ではありません。

積み重ねこそ自己修養の第一歩

私の『百朝集』が付箋だらけになっていることからお分かりいただけるように、推薦したい言葉ばかりですが、とりわけ私の心に響いている言葉をご紹介したいと思います。

まずは100の箴言とは別に、巻頭に掲げられている3つの言葉です。

易簡而天下之理得矣。
『易経』繋辞上傳

簡潔は智慧の妙諦なり
シェークスピア ハムレットⅡ

冗長になることは、いつでも容易であるが、簡潔にするには容易ならぬ努力が要る。壓縮し要約しそして最後はきりっと緊めることである。
(佛)E・アラン

この言葉の如く、100の箴言と安岡先生の解説が平易かつ簡潔に書かれているため、まるで鋭利な刃物で刺されるかのように、一つひとつの言葉がグッと心に迫ってきます。

同時に、こういう言葉に接すると、自分の発言や文章がなんと冗長なのかと恥ずかしくなりますし、それだけ真剣に言葉を紡いで伝えなければいけないと自省自戒を促される教えです。

私はこの言葉と出逢ってから、東洋思想を誰よりも平易で簡潔に語れる人間になることを目指し、「平易で簡潔」ということを常々心懸け、実践を重ねています。

田口氏が40年以上にわたり愛読し、座右に置く『百朝集』。
たくさんの数の付箋が貼られている

続いて本文の言葉に移ります。
最初は「一 我」です。

世の中を夢とみるみるはかなくも猶おどろかぬわが心かな
西行法師「山家集」

ここで注目したいのは安岡先生の解説文です。

「……楠正成が奈良の途上、見知らぬ法師と道づれになって法話を交へながら歩いてをると、貴方は何とおっしゃるお方かと僧が尋ねた。楠多聞も兵衛正成といふものです。しばらくして僧は呼んだ、正成! 唯と答へる正成に、すかさず僧は切りこんだ、その正成は何でありますか。正成これによって大いに得るところがあった……」

この一文を初めて読んだ時、「おまえは何者だ」と問われている気がしてなりませんでした。

そう聞かれた時に自分は何と答えるのか。医者に見捨てられ、何も肩書がない時期を経て経営者となったけれども、どういうテーマを持って生きているのか。この「我の自覚」を深めていったのが30代後半から40代にかけての時期でした。

次に紹介するのは「二八 男子吟」です。

一男子と作らんと欲すれば、すべからく四般の事を了すべし。
財・よく人をして貪らしむ。
色・よく人をして嗜ましむ。
名・よく人をして矜らしむ。
勢・よく人をして倚らしむ。
四患既に都て去る。豈に塵埃の裡に在らんや。
( 宋)邵康節

つまり、立派な人間になろうと思ったら、財産・好色・名誉・勢力の4つは「どうぞ、どうぞ」と人に譲りなさい、と言っているのです。

若い頃の私はそういう利他や推譲の精神を持たずに、独り占めしようと自分本位に生きて失敗しましたから、この言葉もすごく身に沁みました。

それから何と言っても外せないのが、「五八 六中観」と「五九 六然」です。

死中・活有り。苦中・樂らく有り。
忙中・閑有り。壺中・天有り。
意中・人有り。腹中・書有り。
安岡正篤

自ら處ること超然。人に處すること藹然。
有事斬然。無事澄然。得意澹然。失意泰然。
(明) 崔後渠

安岡先生は前者の言葉に、「私は平生窃かに此の観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないやうに心がけてゐる」と付け加えられており、後者の言葉をこう訳されています。

「自分には一切捕はれずに脱けきってをり、人に対しては、いつもなごやかに好意を持ち、何か事があれば活気に充ち、事がなければ水のやうに澄んでをり、得意の時はあっさりして、失意の時もゆったりしてをるといふことは、よほど修練を要する」

ここに掲げられている12項目はすべて、ややもすると正反対の状態に陥りやすいのですが、「継続は力なり」で修養を積み重ねていくことによって、少しずつ身についていくものでしょう。


(本記事は月刊『致知』2022年11月号 特集「運鈍根」掲載 田口佳史氏の「安岡正篤『百朝集』に学ぶ人間学」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇田口佳史(たぐち・よしふみ)
昭和17年東京生まれ。新進の映画監督としてバンコク郊外で撮影中、水牛2頭に襲われ瀕死の重傷を負う。生死の狭間で『老子』と運命的に出会い、「天命」を確信する。「東洋思想」を基盤とする経営思想体系「タオ・マネジメント」を構築・実践し、1万人超の企業経営者・社会人・政治家を育て上げてきた。配信中のニュースレターは海外でも注目を集めている。主な著書(致知出版社刊)に『「大学」に学ぶ人間学』『「書経」講義録』他多数。

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