柔道家・井上康生が五郎丸歩に語った「敗北からの学び方」

全日本柔道男子代表監督として、低迷していた日本柔道界を見事復活に導き、東京2020オリンピックでは史上最多5つの金メダル獲得という偉業を成し遂げた井上康生さん。現役時代から数々の功績を残してきた井上さんですが、不振に陥った時期もあったと言います。その逆境をいかに乗り越えてきたのか。日本ラグビー界を牽引し、現役引退後はビジネスマンとして新たな舞台で挑戦を続ける五郎丸歩さんとともに、自らの運命を切り開く要諦を語り合っていただきました。

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母の死が自分の弱さに気づかせてくれた

〈五郎丸〉 
井上さんは現役時代、苦しかった逆境はありましたか。

〈井上〉
私も大学まであらゆる試合で勝ち続けていたのが、大学3年生になる1999年頃から急に勝てなくなり、自分の柔道を見失ってしまった時期がありました。

そして、そこからどう這い上がっていけばいいのか、もがき苦しんでいる矢先の6月、いつも私を温かく包み込んでくれ、応援してくれていた母がくも膜下出血で亡くなるという、人生で一番悲しい出来事、転機を迎えたのです。

偉そうな言い方になるかもしれませんが、私は小学生の頃からずっとチャンピオンとして歩んできました。ただ、それゆえの弱さ、柔道エリートならではの脆さがすごくあったのです。なかなかその弱さに自分では気づけなかった。

それが、母が亡くなったことをきっかけに、自分の弱さ・脆さを感じ始めて、じゃあそこからどうすべきなのかと、いろんな方の意見を聴きながら、一つひとつ工夫を積み重ねていくことで少しずつ調子を取り戻し、1999年10月のバーミンガム世界選手権で優勝、さらには2000年のシドニーオリンピック金メダルという結果に繋がっていった。

また翌年の全日本選手権でも優勝し、3冠王者になることができました。

だから、そのどん底から金メダルに至るまでのプロセスに学ぶことはたくさんありましたし、自分の人生にとってものすごく貴重な財産になったと思っています。

〈五郎丸〉
困難、逆境を糧にして専心していかれたのですね。

〈井上〉
それでシドニーオリンピック後も、海外含め、出場する試合のほとんど全部といっていいほど勝ち続けていきました。しかし2004年のアテネオリンピックでは残念ながら敗れてしまった。

ただ、このアテネでの敗北を改めて分析してみると、ああ、自分は敗れるべくして敗れたということがすごくよく分かりました。

失敗から新たな気づきを得られる

〈五郎丸〉
どこに負けの要因があったのですか。

〈井上〉
例えば、当時の私は、とにかく自分を追い込むことだけに意識が持っていかれていました。怪我を負ってもきつい練習をしなきゃいけないというように、とことん自分を追い込んで、逆に心身のバランスを崩してしまうという状態だったのです。

簡単に言えば、量と質のバランスを考えず量ばかりを求めてしまっていた。

だから、量だけではなく、質の部分を高める方向に意識を持っていくことができていれば、結果も変わっていたかもしれません。

あとは、オリンピックの舞台に臨んでいく戦略的なところでも課題がありました。

例えば、オリンピック3連覇(アトランタ、シドニー、アテネ)を達成した野村忠宏さんは、大会後に休養期間を入れて、そこからまた次のオリンピックに自分の心身のピークを合わせていく、という上手なやり方をしていました。

私の場合は、ずっと張り詰めた緊張状態に自分を追い込んでいたことで、肝心のオリンピックの舞台でバーンと弾けてしまった部分があったのです。

〈五郎丸〉
自分をあまりにも追い込み過ぎてしまっていたと。

〈井上〉
でも、そのような失敗体験が、後に指導者になった時にすごく生かされました。

金メダルを取った過去の成功体験を後進にベラベラ喋っても、「うるさいな」と思われますが(笑)、「私はこうやって失敗して敗れた。だから、おまえたちはこういう部分をもっと突き詰めなさい」って伝えると、皆にぐさっと突き刺さるのです。

単に自分が負けたのは運が悪かった、怪我をしたからだというだけで終わらせていたら、おそらくそのような指導はできなかったと思います。

やはり調子のよい時だけではなくて、むしろ失敗やうまくいかなかった時のことをしっかり分析することで、新たに見えてくることがたくさんあります。

〈五郎丸〉
私も同感で、調子のいい時ほど負けるんですよ。

指導者も選手も、調子が悪くて心配事がある時にはその分しっかり準備をしますが、調子がいい時には慢心してやるべき準備が抜けてしまうからです。

心配になったほうが逆によい結果が出る、これは長年ラグビーをやってきた実感ですね。


(本記事は月刊『致知』2022年8月号 特集「覚悟を決める」から一部抜粋・編集したものです)

◉『致知』2023年1月号 特集「遂げずばやまじ」では、東京2020オリンピック柔道女子52㎏級金メダリスト・阿部詩選手がご登場!◉

「オリンピックには魔物がいると言われますが、私の場合、畳に上がれば魔物は全くいませんでした。魔物は自分の心がつくり出すものかもしれません」――阿部 詩

 

柔道女子52㎏級で五輪の頂点に立った阿部詩選手は、両肩の怪我、その手術とリハビリを乗り越え、去る10月の世界選手権でも自身3度目の優勝を飾りました。

弱冠22歳の金メダリストはいかにして心身を鍛え抜き、快挙を成し遂げたのか。

常日頃、日本体育大学柔道部で指導に当たる小嶋新太監督と共に、これまでの努力と苦難の道のりを辿りながら、勝負に挑む極意や大切にしている人生信条に迫りました。ぜひご覧ください。

◇井上康生(いのうえ・こうせい)
昭和53年宮崎県生まれ。父親の影響で5歳から柔道を始める。平成9年東海大学入学。11年バーミンガム世界選手権大会100キロ級優勝を皮切りに、12年シドニーオリンピック柔道100キロ級金メダル、13年全日本選手権大会100キロ級で優勝し、22歳にして3冠王者に輝く。同年東海大学卒業。東海大学大学院体育学研究学科体育学専攻修士課程修了後、綜合警備保障入社。20年現役引退。24年11月より史上最年少で全日本柔道男子代表監督に就任。28年リオデジャネイロオリンピック、男子7階級でメダル獲得。令和3年東京オリンピックでは史上最多5個の金メダルに導き、9月末で監督を退任。現在はJOCパリ五輪対策プロジェクトリーダー、全日本柔道連盟の強化委員会副委員長などを務める。

◇五郎丸 歩(ごろうまる・あゆむ)
昭和61年福岡県生まれ。両親の影響で3歳からラグビーを始める。平成13年佐賀工業高校入学、3年連続で花園に出場。16年佐賀工業高校卒業。同年早稲田大学入学。1年次時よりレギュラーとして活躍し、3度の日本一を経験。17年、19歳1か月で日本代表初選出。20年早稲田大学卒業。同年トップリーグ所属のヤマハ発動機ジュビロ入団。23年、24年と2年連続でシーズンの得点王&ベストキッカー受賞。27年ラグビーW杯イングランド大会で強豪・南アフリカを破る中心選手として活躍。28年仏RCトゥーロン所属。29年ヤマハ発動機ジュビロ復帰。令和2年12月現役引退。3年に静岡ブルーレヴズに入社、クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)を務める。

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