2022年06月08日
2000社以上の経営幹部が心酔する東洋思想研究家・田口佳史さん。その原点には、若い頃に生死を彷徨う大怪我を負い、中国古典の『老子』によって救われた体験があったといいます。東洋リーダーシップ論の第一人者が語る、『老子』との出合い、『老子』の教えとは――。
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死は恐怖の対象ではない
〈田口〉
私は大学を出ると映画会社に入社し、そこでドキュメンタリー映画の監督をやっていました。昭和42年、ベトナム戦争の最中でしたが、戦争の映画を作りたいと思ってタイのバンコクに飛びました。
撮影は順調に進んでいて、その時、目の前に立派な二頭の水牛が現れたんです。私は何としてもカメラに収めたいと思って近づいて撮影し、車に戻ろうとした瞬間、後ろからいきなり襲われたんです。
鋭い角でボンと持ち上げられるように串刺しになり、内臓が飛び出す重傷を負いました。自分で飛び出した内臓を身体の中に入れて、バンコクの病院に運んでもらったのですが、そのおかげで本当に奇跡的に一命を取り留めることができたんです。
ただ、しばらくは生死を彷徨っている状態で、きょう目を閉じて眠れば死んでしまうのではないかという恐怖感に苛まれていましたね。
しばらくしたら、私の事故を伝え聞いた在留邦人の皆さんが梅干しや本などいろいろのものを差し入れてくださって、そういうものの中に『論語』と『老子』が入っていたんです。『論語』はあまり印象に残らなかったのですが、『老子』を読むと、とても心が落ち着くわけです。いま思うと、そこで説かれている死生観が私の心に深く沁み入っていったのでしょうね。
『老子』は人間は道という根源から生まれ出てきて、亡くなるとまたその道に帰ると説いています。道とは何かといえば、郷里の肝っ玉母さんのような存在なんです。つまり、死とは決して恐怖の対象ではなく、母親の温かい懐に帰ることなんだと。
そう考えることで心が穏やかになり、病状も非常によくなってきました。
古典に触れることで克己心が育った
私は重度の身体障碍者になってしまいました。どこにも雇ってはもらえない。となると自分で道を開くしかない。30歳の時に会社を立ち上げましたが、創業の志があったわけではありませんから、何をやっても上手くいきませんでした。
特に最初の12、3年は父親の死や自分の病気も重なって、まさに崖っぷちまで追い込まれたこともあります。
ある時は、電車に飛び込んで死んでしまおうかと、本気で思ったこともあるんです。
ところが、飛び込もうと思って立ったホームではほんの少し前に自殺者が出たばかりでした。しかも、その形跡が全くないくらいに綺麗に片づけられている。花束一つ、手向けられていない。
この時思いました。「ああ、社会とはこういうものか、こんなダイナミックなものなんだ」と。私がもっとふてぶてしく生きようと思ったのは、そこからです。
このように私は30、40代の頃、なかなか上手くいかなかったわけですが、ある時その理由を考えていて、それが分かりました。
最大の問題は他責にありました。何か悪いことが起きれば、全部あいつが悪い、こいつが悪いとすべて誰かの責任だと思っていたんです。それを悉(ことごと)く自責に切り替えるようになって、道が開かれてきました。
もう一つの理由は、苦労するのは嫌だと常に困難に対して背を向けていたんですね。克己心というものがなかった。
そのことに気づけたのは何といっても古典のおかげです。特に『老子』にはどれだけ助けられたか分かりません。事故にあって以来、何年かぶりに開いた『老子』は実に新鮮で、そこには人生の原理、経営の原則がすべて入っていたんです。
以来、私は『老子』の研究に取り組み、その教えをいかに経営に生かすかを説くようになりました。30代、40代の一番苦しい時期を、私は『老子』によって乗り越えてきたわけです。
(本記事は月刊『致知』2016年7月号 特集「腹中書あり」より一部を抜粋・編集したものです)
◉長引くコロナ禍、ウクライナ危機……世界はいま、未来を大きく左右する分水嶺に差し掛かっています。私たちはこの難しい状況下でいかに生き、いかにして道を切り開いてゆけばよいのでしょうか。
『致知』2022年7月号では東洋思想、哲学を通じてそれぞれに人の生きる道を追求してきた田口佳史氏と芳村思風氏に、日本人が追求すべき生き方、そして後世に伝えたい思いについて語り合っていただきました。
◇田口佳史(たぐち・よしふみ)
昭和17年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、日本映画社入社。47年イメージプランを創業。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者として知られる。著書に『人生に迷ったら「老子」』『ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義』(ともに致知出版社)『貞観政要講義』(光文社)『超訳孫子の兵法』(三笠書房)など多数。
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