〈拉致の現実を知った21歳の記憶〉飯塚耕一郎さんが語った母・田口八重子さん救出への思い

幼い2人の子供を残し、北朝鮮の工作員によって拉致された田口八重子さん。それから40年以上の月日が流れましたが、いまなお田口さんの消息は掴めないままです。当時1歳だった田口さんの長男で、現在「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長を務める飯塚耕一郎さんに、母救出への思いを語っていただきました。次々と拉致被害者家族がお亡くなりになる中、一日も早い拉致問題の解決、全被害者の救出が望まれます。

幼い子供を残し 母は突然姿を消した

〈飯塚〉
私の実の母、田口八重子が忽然と姿を消したのは1978年6月のことでした。

その当時、離婚したばかりだった母は、東京・高田馬場のベビーホテルに2歳の姉と1歳の私を預け、都内の飲食店で働いていたのですが、「八重子さんがまだお子さんを引き取りに来ません」と、埼玉に住む兄・飯塚繁雄宅に連絡が入ったのです。

しかし、母のアパートは特に生活が荒れたような様子はなく、勤め先でも「懇意にしていたお客さんと2日、3日、旅行に行ったのではないか」と、行方は知れません。そして1週間、1か月、半年経っても母は戻らず、私は飯塚繁雄・栄子夫婦の、2歳の姉は飯塚繁雄の妹夫婦の養子として引き取られることになったのでした。

 〔中略〕

失踪した実母が北朝鮮によって拉致されたと分かったのは1985年。「大韓航空機爆破事件」の実行犯の一人である金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏(韓国で逮捕・死刑宣告を受け、後に恩赦)の証言がきっかけでした。

1981年から1983年の2年間、金賢姫氏と生活をともにしながら、彼女に日本語や日本の生活習慣などを教えていた「李恩恵」という日本人女性が、田口八重子であることが判明したのです。

金賢姫氏の証言を含め様々な調査から、実母は勤め先の飲食店から連れ出され、宮崎もしくは新潟を経由して北朝鮮に入ったと推測されています。しかし、どうやって東京から遠く離れた宮崎か新潟まで移動したのか、いまだ不思議な点が多く残されたままです。

また、これは同じ頃に福井県で北朝鮮に拉致され、一緒に暮らした時期もある地村富貴恵さんがおっしゃっていたことですが、実母は北朝鮮の港に到着した時、工作員にお腹の妊娠線を示し、「生まれたばかりの子供がいるの。早く帰して」と訴えたといいます。

込み上げてくる涙、無力感、怒り

北朝鮮による拉致が判明した当時、私は中学生でした。ただ養父母やきょうだいからは、私に産みの母がいること、養子であることさえ一切知らされずに育てられていたため、世間の注目を集めている拉致問題が自分に関係があるとは全く思いも寄りませんでした。

真実を知ったのは1998年、21歳の時です。パスポートを取得するために戸籍謄本を取った際に、続柄が「養子」となっており、実の母として「八重子」の名前が書いてあったのです。

どういうことなのかさっぱり理解できず、非常に驚き、また動揺しました。そして、冷静になるために1週間ほど間を置き、思い切って養父に「養子ってどういうことなの?」と聞いてみると、実母が失踪した経緯、金賢姫や北朝鮮による拉致のことをぽつりぽつりと話してくれました。

とは言え、私が1歳の時に拉致されたので、どのような声でどのような笑顔をしていたのか、実母との思い出は全くありません。本当の母がいると知っても、記憶にない母に対する感情は曖昧で、なかなか受け入れるのは難しい状況でした。せめて一緒に写った写真や洋服などが残っていればよかったのですが、それも住んでいたアパートを引き払った時にほとんどを処分してしまっていました。

実母が拉致された、自分は養子だったという事実を少しずつ受け入れていく中で、2002年9月、当時の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日との日朝首脳会談により、5人の拉致被害者が帰国することとなりました。しかし、その中に実母の姿はありませんでした。しかも北朝鮮は「田口八重子は死亡」と発表したのです。

私はその情報を当時勤務していたヨーロッパで知りました。にわかには信じられず、すぐ実家に電話を掛けると、養父は気丈に振る舞ってはいましたが、電話の向こうから養母の泣いている声が聞こえてきました。「母さんにひと言掛けてやってくれ」と言われ、電話を代わりましたが、涙が込み上げてきて会話になりませんでした。

「死亡」の情報以来、どうしようもない無力感、虚無感が次第に大きくなり、同時に怒りが込み上げてきました。ただ、北朝鮮の「死亡報告書」に虚偽が多いことが分かっていくにつれ、彼らに振り回されるのは相手の思うつぼだと気づいたのです。

そして、飯塚家の親戚で会議を開き、養父が「拉致被害者家族連絡会」(以下・家族会)に入り、拉致問題解決を世間に訴えていくことが決まりました。

5人の拉致被害者が帰国したことで、「これから段階的に他の被害者たちも帰ってくるのではないか」という期待があったのですが、そこから事態は一向に進まず、やきもきする日々が続きました。

そこで何とか事態を打開する手立てになればと、私は2004年2月の日本と北朝鮮の実務者協議に合わせて、「田口八重子について知っていることを教えてほしい」という内容の手紙を金賢姫氏宛に書き、外務省に託したのです。

すると、手紙を読んだ支援者の方々から、「ぜひ、あなたも表に立って拉致問題解決を呼び掛けていけば、お母さんの帰国も早まるのではないか」とのご提案をいただきました。その声に背中を押される形で、私も養父、拉致被害者家族の皆さんとともに、公の場に出て活動するようになりました。

平日は仕事をしながら、週末になればできる範囲で日本各地の集会や講演会、署名活動などに参加する――。その中で支援者の方や道行く人々から、「頑張ってください」「大変だね」「一日も早く解決できるといいね」といった励ましの声を数多くいただきました。

早くから拉致問題解決に取り組んできた横田滋さん、早紀江さん夫妻などにお話を伺うと、20年ほど前には「拉致なんかあるわけがない!」と心ない言葉を浴びせられたり、手渡したパンフレットをその場で捨てられたりと、非常に辛い状況だったそうです。

それを思えば、多くの方々が拉致問題の解決に関心を持ってくださるようになって本当にありがたい、自分は皆さんがつくってくださった道を、頭を下げて大事に歩んでいかなくてはいけないという感謝の思いを強くしています。

その後、大きな転機となったのは、日韓両政府が尽力してくださり、2009年に韓国・釜山で金賢姫氏との面会が実現したことでした。私が32歳の時です。

当初、北朝鮮の工作員であった金賢姫氏に冷たいイメージを抱いていたのですが、実際にお会いしてみるとそんなことはなく、気のよいご婦人という感じでした。

実の母がどんな人だったのか教えてほしいと伝えたところ、金賢姫氏は流暢な日本語で、「一緒に料理をつくったりして、自分にお姉さんがいたらこんな人だろうと思っていました」「大人の女性として憧れていました」といったことを話してくださいました。

また、夜にお酒を飲む機会があった時に涙をほろりと流しながら、「日本にいる子供はいくつになったのだろう」と、部屋の片隅で一人悲しんでいたという話も伺いました。

一片でも実母の面影を掴めればとの思いで面会したのですが、しばらく経って落ち着いて考えてみても、自分の中の母親像ははっきりと湧いてはきませんでした。

自分の中に記憶がないことには何も始まらない。面会後に込み上げてきたのは、やはりとにかく一刻も早く帰国させて、一刻も早く会いたいという思いでした。


(本記事は月刊『致知』2019年3月号 特集「志ある者、事竟に成る」より一部抜粋・編集したものです)

◇飯塚耕一郎(いいづか・こういちろう)
昭和52年東京都生まれ。北朝鮮による拉致被害連絡会 事務局長。実母である田口八重子さんの救出のため、日本政府や各地の講演などにおいて拉致の実態を伝え続けている。その傍ら会社員として職責を担う。

何としても取り戻す。被害者家族の親世代が元気なうちに、何としても——拉致問題のいま

▲『致知』2023年1月号では、横田めぐみさんの実弟・拓也さん(「家族会」代表)と、拉致問題にいち早く向き合い、啓発に尽力してきた西岡力さん(「救う会」会長)にお話を伺いました

◉当時中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致され、早くも45年の歳月が経過しました。めぐみさんをはじめとする拉致被害者救出運動の先頭に立ってきたのが、被害者の家族でつくる「家族会」と、それを支援する「救う会」です。
政府間の交渉は依然膠着状態にありますが、いまも解決に向けて全力で走り続けている「家族会」の横田拓也代表、「救う会」の西岡 力会長に、涙なしには聞けない苦闘の歩みを踏まえ、救出運動を取り巻く現状と解決への方策にご対談いただきました。
「高齢となった親世代が健全なうちに何としても」という一念に、一刻も早い解決を祈らずにはおれません。
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