母よ、必ず祖国へ——拉致被害者・田口八重子さん救出への思い【飯塚耕一郎】

幼い2人の子供を残し、北朝鮮の工作員によって拉致された田口八重子さん。それから40年以上の月日が流れましたが、いまなお田口さんの消息は掴めないままです。当時1歳だった田口さんの長男で、現在「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長を務める飯塚耕一郎さんに、母救出への思いを語っていただきました。次々と拉致被害者家族の方がお亡くなりになる中、一日も早い拉致問題の解決、全被害者の救出が求められます。

【1/31(月)まで】2022年、『致知』はおかげさまで創刊44周年を迎えます。ここまで歩んでこられましたことに感謝を申し上げます。そして社会が大きな変化に直面しているいま、一人でも多くの方に『致知』をお役立ていただきたい――その願いを込め、毎年恒例の「新春お年玉キャンペーン」を実施中。本誌との併読にぴったりな書籍もプレゼントしております。詳しくは下のバナーから!

込み上げてくる涙、無力感、怒り

〈飯塚〉

私の実の母、田口八重子が忽然と姿を消したのは1978年6月のことでした。その当時、離婚したばかりだった母は、東京・高田馬場のベビーホテルに2歳の姉と1歳の私を預け、都内の飲食店で働いていたのですが、「八重子さんがまだお子さんを引き取りに来ません」と、埼玉に住む兄・飯塚繁雄宅に連絡が入ったのです。

しかし、母のアパートは特に生活が荒れたような様子はなく、勤め先でも「懇意にしていたお客さんと2日、3日、旅行に行ったのではないか」と、行方は知れません。そして1週間、1か月、半年経っても母は戻らず、私は飯塚繁雄・栄子夫婦の、2歳の姉は飯塚繁雄の妹夫婦の養子として引き取られることになったのでした。

失踪した実母が北朝鮮によって拉致されたと分かったのは1985年。「大韓航空機爆破事件」の実行犯の一人である金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏(韓国で逮捕・死刑宣告を受け、後に恩赦)の証言がきっかけでした。

1981年から1983年の2年間、金賢姫氏と生活をともにしながら、彼女に日本語や日本の生活習慣などを教えていた「李恩恵」という日本人女性が、田口八重子であることが判明したのです。

金賢姫氏の証言を含め様々な調査から、実母は勤め先の飲食店から連れ出され、宮崎もしくは新潟を経由して北朝鮮に入ったと推測されています。しかし、どうやって東京から遠く離れた宮崎か新潟まで移動したのか、いまだ不思議な点が多く残されたままです。

また、これは同じ頃に福井県で北朝鮮に拉致され、一緒に暮らした時期もある地村富貴恵さんがおっしゃっていたことですが、実母は北朝鮮の港に到着した時、工作員にお腹の妊娠線を示し、「生まれたばかりの子供がいるの。早く帰して」と訴えたといいます。

北朝鮮による拉致が判明した当時、私は中学生でした。ただ養父母やきょうだいからは、私に産みの母がいること、養子であることさえ一切知らされずに育てられていたため、世間の注目を集めている拉致問題が自分に関係があるとは全く思いも寄りませんでした。

真実を知ったのは1998年、21歳の時です。パスポートを取得するために戸籍謄本を取った際に、続柄が「養子」となっており、実の母として「八重子」の名前が書いてあったのです。

どういうことなのかさっぱり理解できず、非常に驚き、また動揺しました。そして、冷静になるために1週間ほど間を置き、思い切って養父に「養子ってどういうことなの?」と聞いてみると、実母が失踪した経緯、金賢姫や北朝鮮による拉致のことをぽつりぽつりと話してくれました。

とは言え、私が1歳の時に拉致されたので、どのような声でどのような笑顔をしていたのか、実母との思い出は全くありません。本当の母がいると知っても、記憶にない母に対する感情は曖昧で、なかなか受け入れるのは難しい状況でした。せめて一緒に写った写真や洋服などが残っていればよかったのですが、それも住んでいたアパートを引き払った時にほとんどを処分してしまっていました。

実母が拉致された、自分は養子だったという事実を少しずつ受け入れていく中で、2002年9月、当時の小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日との日朝首脳会談により、5人の拉致被害者が帰国することとなりました。しかし、その中に実母の姿はありませんでした。しかも北朝鮮は「田口八重子は死亡」と発表したのです。

私はその情報を当時勤務していたヨーロッパで知りました。にわかには信じられず、すぐ実家に電話を掛けると、養父は気丈に振る舞ってはいましたが、電話の向こうから養母の泣いている声が聞こえてきました。「母さんにひと言掛けてやってくれ」と言われ、電話を代わりましたが、涙が込み上げてきて会話になりませんでした。

「死亡」の情報以来、どうしようもない無力感、虚無感が次第に大きくなり、同時に怒りが込み上げてきました。ただ、北朝鮮の「死亡報告書」に虚偽が多いことが分かっていくにつれ、彼らに振り回されるのは相手の思うつぼだと気づいたのです。

そして、飯塚家の親戚で会議を開き、養父が「拉致被害者家族連絡会」(以下・家族会)に入り、拉致問題解決を世間に訴えていくことが決まりました。


(月刊『致知』2019年3月号「志ある者、事竟に成る」)

●『致知』2022年1月号には、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」会長を務める西岡力さんに、北朝鮮のいま、拉致問題解決への道筋をお話しいただいています。詳細はこちら

 

◇飯塚耕一郎(いいづか・こういちろう)

昭和52年東京都生まれ。北朝鮮による拉致被害連絡会 事務局長。実母である田口八重子さんの救出のため、日本政府や各地の講演などにおいて拉致の実態を伝え続けている。その傍ら会社員として職責を担う。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 10,500円(1冊あたり875円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 28,500円(1冊あたり792円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

閉じる