2021年11月08日
「高級ベビー・子供服」というジャンルを開拓し、日本発の世界ブランドとして国内外で不朽の人気を誇るミキハウス。その創業者である木村皓一さんに、これまで歩んできた道のりを振り返りながら、数々の苦難を乗り越えた経営哲学について語っていただきました。対談のお相手はお好み焼専門店「千房」社長・中井政嗣さんです。※記事の内容や肩書は掲載当時のものです
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行く先々で門前払いに
〈中井〉
先ほど、最初から高級志向で行くと決めていたと話されていましたが、そういうポリシーでずっとやってこられたのですか。
〈木村〉
はい。まずサンプルを作りましてね。それを全国に売りに行きました。僕はラグジュアリーブランドを目指していますから、地域一番の高級店だけを回る。始めは鹿児島から熊本、長崎と、そうやって営業しました。
〈中井〉
どうでした?
〈木村〉
いやどこに行ってもさっぱりでした。
アクリルやポリエステルがもてはやされる時代に、僕の商品は綿100%、ウール100%の天然繊維です。ちょうど『an・an』や『non・no』の雑誌が出て綿素材が注目されかけた頃でニーズは先取りできていたと思います。
でも、商品に自信はあっても、サンプルすら見てもらえない。「大阪の八尾から来ました」と言うだけで「いや。うちは東京製品しか置いていない」と。悔しくて「絶対に次は落としてみせる」と思うんだけど、結局、九州を何日も歩き回って、1件の契約もいただけなかったんです。
さすがにショックでした。もう一度、証券業界に戻ろうかとまで思いましたね。博多まで来た時、「なぜ商品を見てもらえんのかな」と考えました。
そうしたらやっぱりね。独立して絶対に事業を成功させなくてはいけないと思って必死になっているから、商品を押し売りしていたんです。そこで翌日、小倉で営業する時は、自分の考え方は抑えて、商品の魅力を伝えようと決めました。
小倉のある店で「いま子供服のニーズは化学繊維から天然素材に変わっています。僕の考え方はこうです」と説明したら「君の言うとおりだ。しかし、世にそういう製品がない」とおっしゃる。すぐにサンプルを見せたら「あ、探していたのはこれだ」と、その場で大量注文をいただけたんです。
お礼を言って帰ろうと思ったら「木村さん」と呼び止められまして、「下関に同業者がいるから、ちょっと寄っていきなさい」と。早速訪ねて行ったらいきなり応接間に通されて大量注文ですよ。この下関の人が宇部の同業者を紹介して、ここでも「飯食いに行こう」と誘われた後に大量注文。
商圏がバッティングしないところに皆さん仲間がいらっしゃるんですね。防府でも今治でも新居浜でも広島でも同じことが繰り返されました。
心の支えはお客様の笑顔
〈中井〉
私が経営でピンチに陥った時、もし「千房物語」が映画だったらどうだろうかと考えたことがあるんです。
私が直面するピンチは、言ってみたら映画の一番おいしいところですよね。そこでドラマの主人公や脇役の人たちが悲愴な顔をして愚痴や文句ばかり言っていたら、そんな映画は面白くも何ともないじゃないですか。
逆に能力があるなしにかかわらず、皆が一所懸命にやっているドラマは面白い。つまり大変な状況に直面したとしても「自分たちは人生の中で一番面白い局面にいるんや。もっとドラマチックにしよう」と考えを切り替えることが大事です。
私自身、そう頭を切り替えてから、責任が重いのと心が重いのは全く別だということに気づきました。責任は重くても心、つまり考え方は軽くなかったらいけません。その意味でも、試練に遭って軸がぶれることのない木村社長のお話には、大いに学ばなくてはいけないと思っています。
〈木村〉
いや、僕はただ自分がやりたいことをやっているだけ。仕事が楽しいんです。
志に向かって歩いていったら、いいことも起きるし、悪いことも起きますよ。そしてそれを楽しむ。それでいいのではありませんか。
〈中井〉
志の強さが木村社長の自信の源泉なのでしょうね。
〈木村〉
僕は自分たちが作った商品を喜んでいただくこと。贈って喜ばれ、贈られて喜ばれ、使って喜ばれる。創業から今日までそれだけを考えて事業をやってきました。
それはいまも1つも変わっておりません。それから、国内だけでなく世界の富裕層を対象とした日本発の子供服のブランドが1社くらいあってもいいのではないかという思いも常にありました。
〈中井〉
そういえば、私が千房を創業して大きな借金を抱えていた頃、常盤薬品創業者の中井一男さんから「政嗣さん、あんたは大きな借金を抱えているけれども、金が欲しい時に金を追うたらあかん。人を追いなさい」と言われました。
人を追えというのは人を捕まえるのではなく、人を喜ばせること・人を集めることに専念しろという意味なんですね。この一言に救われたことは、いまも忘れられません。
では、どうしたらお客様に喜んでいただけるかを考えると、その前提となるのはやはり従業員がニコニコとお客様に接してくれることですし、従業員が幸せだと感じてくれる会社でなくてはいけません。
と同時に会社自体の発展もなくてはいけない。お客様の満足、従業員の幸せ、会社の発展。経営とはこの三本柱だと思っています。ですから、いまの木村社長のお言葉には大いに納得し、共感するものがありました。
〈木村〉
ありがとうございます。私の哲学は「自分が2、相手が8」の精神なんです。
確かにうちの商品は原価率は相当高いし、それだけに常にクオリティーの高さを実感してもらうことが大事だと思っています。ミキハウスの商品を取り扱ってくださる販売店さんに「ミキハウスには借りがある」と感じてもらえたら嬉しいですね。
たとえ会社にファンドが入っても、小売店がなくなっても、世界規模で見たら所詮は日本の中だけの話ですから必ず短期間に解決できると自分に言い聞かせて乗り越えてきました。
そんな時、何よりの心の支えはやはりお客様の喜ばれる笑顔でしたね。
(本記事は月刊『致知』2015年6月号 特集「一天地を開く」より一部を抜粋したものです)
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◇木村皓一(きむら・こういち)
昭和20年滋賀県生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村證券入社。その後、父親が経営する浪速ドレスに入社、46年子供服製造卸会社・三起産業を創業。53年三起商行を設立、61年ミキハウスを設立。平成10年ミキハウス&小学館プロダクションを設立、12年ミキハウス子育て総研を設立する。オリンピック選手を育成するスポーツ支援にも力を注いでいる。著書に『惚れて通えば千里も一里』(三起商行)。
◇中井政嗣(なかい・まさつぐ)
昭和20年奈良県生まれ、中学卒業と同時に乾物屋に丁稚奉公。48年大阪ミナミ千日前にお好み焼専門店「千房」を開店。大阪の味を独自の感性で国内外に広める。その間、40歳にして高等学校卒業。現在自身の体験を踏まえた独特の持論で社会教育家としても注目を集め講演も行う。著書に『できるやんか!』『それでええやんか!』(ともに潮出版)『社長の教科書』(日本実業出版社)がある。