2021年08月01日
史上最多。今回の東京五輪で、全日本柔道男子に5個もの金メダルをもたらし、監督退任を表明した井上康生さん。2012年のロンドン五輪でメダル獲得なしという苦渋を味わい、低迷した日本柔道の再興を牽引(けんいん)し、自身の現役当時の活躍にまさるとも劣らない熱気を日本人の心にまで届けてくれました。井上さんへの感謝の思いを込め、弊誌『致知』のインタビューで語られた、強さの原点とも言える少年期の感動的なお話をお届けします。たくさんの感動をありがとうございました――
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人より1本でも2本でも多くやる
――いま全日本柔道の指導者として重責を担われているわけですが、そもそも柔道の道に入られたきっかけは?
〈井上〉
私の父が警察官であり、柔道家でもありました。父はあまり体が大きくなかったんですが、得意の内股で大きな相手を投げる。その姿を見て非常に感激しまして、5歳の時に柔道を始めました。
身長が高かったこともあって、実は7か月で宮崎県大会の幼稚園の部で優勝したんです。そこから柔道の楽しさ、勝つ喜びを感じるようになって、のめり込んでいきました。
ありきたりな言葉になるかもしれませんが、柔道が好きで好きでしょうがない子でした。ですから、父に「厳しいことでもどんどん教えてほしい」といつも言っていましたね。厳しい練習だろうが何でも耐えると。とにかく柔道で強くなりたいという思いで毎日を送っていたように思います。
――強くなるためにどんなことをされていましたか?
〈井上〉
私の足腰をつくってくれた原点は、近くの公園にある150段くらいの石段で徹底的に走り込んだことですね。
小学校高学年になると、普通に何本かランニングをした後に、75キロくらいある父をおんぶして石段を往復していました。5往復しろと言われれば6往復する。人より1本でも2本でも多くやりたい、そうじゃないと強くならないと思っていました。
私には3つ上の兄がいまして、兄も柔道をやっていました。全国レベルの選手でしたし、やっぱり3つも離れているとなかなか勝てないんですね。その兄には絶対負けたくないと思って、兄が休んでいる時でも練習をしていました。
――お父さんという師がいて、お兄さんというライバルがいて、負けん気の強い自分がいたと。
厳しさの裏にある深い愛情
――お父さんから受けた指導で、何か特に心に残っていることはありますか。
〈井上〉
父はとても厳しく、強烈な人だったので、いろいろと思い出はあるんですけど、私が現役を引退する少し前、父がこんなことを言ったんです。「おまえが子供の時、厳しくしたのは辛(つら)かった」と。
実は父が本格的に指導してくれるようになったのは、私が小学校3、4年生の時でした。ある日、「よし、分かった。俺はおまえを本気で鍛える」と言ったんです。
それまでは本当に自由にさせてもらっていたんですけど、次に道場に行った時、私が「お父さん」という言葉を発したら、げんこつが飛んできた。で、意味が分からなくてもう一度「お父さん」って言ったら、またやられたんです。
俺は何も悪いことしていないのにと思ったんですけど、パッと兄の姿を見た時に、「先生」って呼んでいたんですね。ああ、そうやって言えばいいのかなと思って、恥ずかしながら「先生」と呼んだら何もされませんでした。
――ああ、言葉では説明しない。
〈井上〉
はい。父はその時のことを振り返って、「俺はお父さんって言われていたら、おまえには厳しく指導できなかった。やはり親と子の関係はしっかりと割らなければいけない。だから、あの時はおまえも意味が分からなかっただろうけど、それでも俺の指導は間違っていないと思っていたし、あれがあったからこそいまがあるんじゃないか」と話してくれたんです。
――父親の深い思いですね。
〈井上〉
父自身も柔道家として世界を狙っていましたけど、達成できなかった。それをやっぱり我が子に託したいという思いで、一緒に戦ってくれていたんだなと。父がいたからこそいまの自分がいるんだなと思うと、本当に父には感謝の気持ちでいっぱいです。
そういう指導のおかげで小学校5、6年の時に全国少年柔道大会で優勝し、中学でも数々のタイトルを手にさせてもらったんです。
(本記事は月刊『致知』2015年3月号 特集「成功の要諦」に掲載された井上康生さんへのインタビュー〝勝利への方程式〟より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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◇井上康生(いのうえ・こうせい)
昭和53年宮崎県生まれ。父親の影響で5歳から柔道を始める。平成9年東海大学入学。11年バーミンガム世界選手権大会100キロ級優勝を皮切りに、12年シドニーオリンピック柔道100キロ級金メダル、13年全日本選手権大会100キロ級で優勝し、22歳にして3冠王者に輝く。同年東海大学卒業。東海大学大学院体育学研究学科体育学専攻修士課程修了後、綜合警備保障入社。20年現役引退。23年4月より東海大学体育学部武道学科専任講師、東海大学柔道部副監督に就任。24年11月より史上最年少で全日本柔道男子代表監督に就任。