〝1本5000円〟のレンコンに夢を託して——野口憲一

1本5000円。そんな驚くような価格設定ながら売れているのが茨城県・野口農園のレンコンです。その成功を支えているのは、単なるマーケティング戦略を越えた深い覚悟でした。農家としての伝統と悲しみを背負いながら、それでも前に進もうとする野口さんを動かすものとは——

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「絶対に農業は継ぐな」

〈野口〉
「絶対に農業だけは継がせたくねえ。絶対に大学に行げ」

これが父の口癖でした。

茨城県南部の農村でレンコン農家の長男として生まれた私は、父の口癖から「農業は貧しく恥ずかしいものだ」という強迫観念を抱いて育ち、実際に民俗学の研究者の道を選びました。ところが現在は、実家の野口農園で〝1本5000円〟という日本一高級なレンコンをつくっているのですから人生は分からないものです。

「1本5000円レンコン」の着想を得たきっかけは、とある学会の席で恩師が何気なく口にした次のひと言でした。

「1本1万円で売ってみたら」

レンコン1本1万円、まさか本気で言っているはずはない。そう思いながらも、冗談として聞き流すことはできませんでした。というのも、当時、私は大学院での民俗学・社会学の研究を通じ、両親や自分が家業に抱いてきた劣等感を、日本の近代農業のあり方に由来する根深い問題として認識し始めていたからです。

大型機械や農薬により、少ない耕作面積で多くの収穫を得ようとする戦後の「生産力主義」だけに偏った農業。これは生産性向上をもたらす一方、農家が伝承してきた様々な技術や知識の重要性を低下させ、農家自身の仕事への自信と誇りを奪ってきました。

しかし、そんな中でも父は「うまいレンコンをつくるんだ」という信念の下、一貫して生産性よりも質、食味を重視した品種をつくり続けていました。

恩師のひと言で燻っていた劣等感に火がつき、うちのレンコンの味はどこにも負けない。このレンコンで「生産力主義」とは異なるモデルで立派に稼げる仕組みをつくってみせよう! と闘志が湧いてきたのです。

農家の悲しみと伝統を背負って

〈野口〉
夢は1本1万円で海外輸出。ただ、現実的な目標として、まずは国内に1本5000円で売り出そうと考えました。

しかし、それでもお店に並んでいる一般的なレンコンの5倍の値段です。味のよさを訴えるだけでは到底売れません。そこで着手したのが、「老舗」としての農園のブランド化でした。野口家の歴史を辿ると、祖先は江戸時代から現住所に住み続け、既に大正年間にはレンコンをつくっていたことが判明しました。即ちきょうから「大正15年創業の老舗レンコン農家」と名乗っても差し支えないわけです。

急拵えの老舗看板でしたが、特注の化粧箱を誂え、見た目にも差別化を図り、2014年、アジア最大級の国際的な食品・飲料専門の展示会に意気揚々と出展しました。ところが、展示期間4日間の売り上げはなんとゼロ本。その後の注文も一切なく、出展費用として投じた500万円はそのまま赤字に転じました。しかし、この挫折体験が私の覚悟を真に固めてくれたのです。

その500万円は、実は母が老後の資金から捻出してくれたもの。農家という職業で満たされない自信を、とにかくがむしゃらに働くことで埋めようとする父と、それをリウマチに罹るほど無理を押して支えてきた母――。両親が血を吐くようにして貯めた資金を回収できないまま諦めることは許されない。そう肚が固まったのでした。

それに加えて、実家の仕事に携わるうち、私は自分の身体に深く刻まれたレンコン農家の伝統を実感し始めていました。跳ねるような変わった歩き方や汗かき体質は、ハス田で泥に足を掬われずに歩き、炎天下でも農作業をこなせるよう遺伝子レベルで受け継いだものなのでしょう。また、レンコンの質や似通った品種を瞬時に見分ける直感力も、私個人の経験値を超えて先祖から受け継がれた素質でした。
そんな自分の中の「伝統」を自覚した時、家格の低いレンコン農家として先祖が味わった悲哀を自分が引き受けよう。そしてこのレンコンを何としても5000円で売り、価値を世間に広めて誇りを取り戻そうと心が定まったのです。

身を捨てる覚悟が一道をひらく

〈野口〉
それから、展示会や調理イベントへの参加、講演会やテレビの撮影協力など、広報に繋がることは労を厭わず引き受け、あらゆる手を打ち続けました。すると、不思議な巡り合わせ、幸運が重なり、じわじわと知名度と売り上げが伸びていったのです。

中でも大きかったのは、ミシュランで星を獲得し続ける「銀座 小十」店主・奥田透さんとの出逢いです。パリ初の懐石料理店「OKUDA」へレンコンへの思いを込めたパンフレットつきのメールを送ってみたところ、奥田さんから直接お電話をいただいたのです。そして実現したパリへの輸出が話題を呼び、さらなる広報や受注へと繋がっていきました。

また、それ以上に、世界の舞台の最前線で戦う人の覚悟に触れられたことが何よりの学びでした。銀座への出店では敢えて4000万円の借金を背負い、パリでは鮮魚調達のため魚屋を一からつくった奥田さん。身を捨ててでも自分の信じた価値を世に広めていく覚悟が一道を拓いていくのだと改めて実感しました。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ――。この言葉を胸に、1本5000円のレンコンに心血を注いで売り続けた結果、2020年、野口農園の年商は1億円に。しかし立ち止まる暇はありません。誇りを持てない農家の哀しみは、日本のみならず、開発途上国を筆頭に世界各地に溢れています。当園のレンコンがもっと世界に流通すれば、それはきっと彼らの大きな希望になるでしょう。その未来を信じ、世界という舞台へ向けてさらなる挑戦を続けていく覚悟です。


(本記事は月刊『致知』2021年7月号 特集「一灯破闇」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇野口憲一(のぐち・けんいち)
1981(昭和56)年、茨城県新治郡出島村(現かすみがうら市)生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学專攻博士後期課程修了、博士(社会学)。著書に『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』(新潮社)。

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