昭憲皇太后をご存じですか

明治という激動期にお后として明治天皇を陰で支え、医療、福祉、女子教育などの面において大きな功績を残された昭憲皇太后さま。苦しむ人々を慈しまれたばかりか、生き方の指針となる御歌や詩も残されています。日本赤十字社社長の近衛忠煇さんと、五井平和財団会長の西園寺昌美さんに、その人となりを語り合っていただきました。

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昭憲皇太后の原点

〈西園寺〉
女性が学びたくとも学べなかった時代、自由に社会に出ることも許されなかった時代に、昭憲さまが歴史に残る活動をなされたことは大きな驚きです。これらはすべてご自身のご意思によるものであったのでしょうか。

〈近衞〉
そう思います。昭憲さまの人生を見ますと、嘉永(かえい)2(1849)年、五摂家(近衛家、九條家、二條家、一條家、鷹司(たかつかさ)家)の一つ、一條家の三女として京都でお生まれになりました。

父親の忠香(ただか)は教育熱心な方でしたが、寿栄君(すえぎみ/昭憲皇太后の幼名)が13歳の時に亡くなります。母親はもっと早くに亡くなっていましたので、幼くしてご両親を失われたのです。

その頃、京都では禁門の変など血生臭い事件が相次ぎました。寿栄君も戦火を逃れた経験をお持ちです。戦争の悲惨さを身近に感じ、心を痛めていらっしゃったことがその後のご活動に繋がっていったのではないかと私は思います。

〈西園寺〉
昭憲さまが発想なさることは、私たちには到底想い浮かばないことばかりですが、そのルーツはご自身の幼い頃からのご体験にあったということですね。

〈近衞〉
一條家もそうですが、江戸時代の公家は決して生活が豊かではなかったんですね。ですから、庶民感覚とも乖離(かいり)することなく、昭憲さまご自身が深窓の令嬢というイメージとは少し違っていらっしゃったのではないでしょうか。

明治元(1868)年、18歳で明治天皇にお輿入(こしい)れされ、翌年に東京に出ていらっしゃるわけですが、京都では大変な反対運動が起きました。

この時の昭憲さまのご心労は想像に難くありませんし、一方で汽車も車もない時代に19日間もかけて東京に向かわれる時は、各地で民情に触れる機会もおありになったようです。東京に住まわれた後も昭憲さまはいろいろな場所にご自分の足で出向かれ、明治の錚々たる人物ともお会いになっていらっしゃる。

〈西園寺〉
様々な体験をとおして、ご自身の感性が磨かれていったのだと思います。

〈近衞〉
当時、宮中には両陛下のお世話をする女官たちが大勢いました。中には権勢を誇ったり旧弊を引き摺(ず)ったままの人もいました。それをご覧になった昭憲さまはそれまでの多くの女官を辞めさせ、人柄のいい人たちを新しく採用されるんです。固定観念に縛られない昭憲さまの考え方が柔軟な発想を生み出し、改革に繋がっていったことは確かでしょう。

少し話は逸れますが、昭憲さまはご自身の生活にいち早く西洋文化を取り入れられ、洋食を最初に召し上がっているんです。明治10年代後半には衣服も寝間着を除いてすべて洋服に切り替えられ、周囲にも洋服を着用するよう勧められました。ただ、日本の生地を必ずお使いなさいと。

〈西園寺〉
日本の生地を。

〈近衞〉
昭憲さまは産業振興のために養蚕や製糸を奨励され、御自ら吹上御苑に養蚕所を設け、指導者を招いて蚕を生産なさいました。群馬県の富岡製糸場をご視察になり、そこで働く女性たちを激励することもなさっています。人々に日本の生地を使うようおっしゃったのもそういう女性たちに対する温かい慮(おもんぱか)りなのでしょう。

〈西園寺〉
本当に素晴らしい御心ですね。昭憲さまが当時としては考えられないことをご発想になり、それを実行された理由は何なのだろう? そのことがなかなか掴めませんでしたが、本日お話を伺い、「ああ、なるほど」と腑に落ちるものがございました。

金剛石も みがかずば

〈西園寺〉
昭憲さまは救護活動の一方で、女子教育にも大変力を入れておられますね。

明治18年にはご自身の発案で華族女学校を開校なさいました。これが現在の学習院女子中等科・高等科です。これとは別に女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の教育も熱心にご支援なさっておられます。

〈近衞〉
おっしゃるとおり、これも側近の誰かがシナリオを書いたのではなく、昭憲さまご自身がイニシアチブを取られたことです。

昭憲さまは鹿鳴館(ろくめいかん)で外国の要人と数多く接しておられますし、日本の女性も変わらなくてはいけないというお気持ちは当然おありだったはずです。

日本赤十字社を創設した佐野常民が、国際赤十字会議に参加して帰国した石黒忠悳(ただのり)とともに、昭憲さまに会議の様子を詳しく報告するわけですが、その中で、昭憲さまは諸外国の女子教育にもいたくご関心を示されているんですね。それ以前にも、外国の宮中の女性たちの生活にも興味を持たれて、岩倉使節団が欧米に派遣される時、よく調べるようにとお命じになっている。

〈西園寺〉
岩倉使節団には、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者・津田梅子、華族女学校の設立に尽力した大山捨松のような日本女子教育の先駆者たちも参加しております。

出発に当たって昭憲さまの激励を受けていますが、女性教育向上のためにはサポートを惜しまないというお気持ちをお示しになられました。「海外のいいところを思う存分に学んでいらっしゃい」と。

〈近衞〉
実際、昭憲さまは津田梅子が女子英学塾を立ち上げた時には多額の資金を下賜なさっています。新しい時代の日本女性はこうあるべきだという確固たる信念がおありだったに違いありません。

〈西園寺〉
そう考えると、本当に人並み外れた見識をお持ちであり、女性という立場で見てもどんな遺伝子をお持ちなのか、と思うほど極めて特別な存在でいらっしゃいます。畏敬の念に打たれるばかりです。

私にとって残念だったのは、昭憲さまが設立された学習院女子中等科・高等科の時に、昭憲さまのことを知っておきたかったことです。

ハンセン病の方々の手を握って語りかけられる慈しみ深い貞明皇后(大正天皇のお后)のご活動はお聞きしておりましたが、昭憲さまのことは存じ上げませんでした。そのことがとても残念で、いま一人でも多くの人に昭憲さまの偉業を知っていただきたいと、活動を進めております。

〈近衞〉
昭憲さまのご功績はおろか、お名前すら知らない日本人が大半ですから、西園寺先生の活動は大変意義があることだと感じております。 

〈西園寺〉
ただ、これは後で知ったのですが、私たちが学習院時代によく歌っていた「金剛石」「水は器」という唱歌は、昭憲さまの御歌に曲をつけたものでした。

 金剛石
金剛石も みがかずば
珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ
まことの徳は あらはるれ
時計のはりの たえまなく
めぐるがごとく 時のまの
日かげをしみて はげみなば
いかなるわざか ならざらむ

 水は器
水はうつはに したがひて
そのさまざまに なりぬなり
人はまじはる 友により
よきにあしきに うつるなり
おのれにまさる よき友を
えらびもとめて もろともに
こころの駒に むちうちて
まなびの道に すすめかし

当時はその意味がよく分かりませんでしたが、いま読み返してみると内容の深さ高さに驚くばかりです。人のために自分を捧げ切られた昭憲さまの無私無欲の生き方、魂の美しさが心に染み入ってまいります。

私はいまの時代こそ、この歌に込められた精神を取り戻さなくてはいけないと思います。日本人だけでなく世界中の人が徳というものを失い、どこに進んでよいか分からなくなっている時だからこそ、昭憲さまの御心を汲み取って十分噛み締める必要があるのではないでしょうか。


(本記事は月刊『致知』2017年6月号 特集「寧静致遠(ねいせいちえん)」より一部を抜粋・編集したものです)


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◇近衛忠煇(このえ・ただてる)
昭和14年東京生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスに留学。39年日本赤十字社入社。平成3年同社副社長、日本赤十字学園理事長。17年社長。21年アジア人発の国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長に就任。実兄の細川護熙氏は第79代内閣総理大臣。

◇西園寺昌美(さいおんじ・まさみ)
五井平和財団会長。ワールド・ピース・プレヤー・ソサエティ代表。白光真宏会会長。ユニバーサルな世界平和運動を展開。ミレニアム開発目標女性リーダーサミット「サークル・アワード」、「バーバラ・フィールズ人道平和賞」他受賞。共著の『あなたは世界を変えられる』(河出書房新社)『遺伝子と宇宙子』(致知出版社)等著書50冊以上。

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