2021年02月19日
鹿児島県の南東に位置する柳谷集落・通称やねだん。準限界集落に指定されながらも、住民自治によって見事集落を蘇らせたのが「地域再生の神様」と称される町内会長の豊重哲郎さんです。豊重さんはいかに人や組織を活性化していったのか。その極意を、経営破綻寸前だった群馬県の道の駅「田園プラザ川場」を蘇らせた永井彰一さんと語り合っていただきました。
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ポイントは「人」
(永井)
きょうはぜひ豊重さんの地域再生の取り組みについて詳しく伺えればと思うのですが、まずどんなことから着手されましたか?
(豊重)
就任後、私が真っ先に行ったのが325名いたやねだんの住民の人口分析でした。地域活性化の一番のポイントは何かと言ったら、やっぱり「人」です。年代層が分かれば取るべき施策も考えられますので、年代別に住民にアンケートを取り、それぞれの困りごとを一つひとつ解決していこうと考えたのです。
初めから外部講師に頼んでコンサルティングをしてもらったり、イベントを企画したりすれば一時的には回復するかもしれませんが、よそのものまねで終わってしまい、継続的な地域活性化には繋がりません。
(永井)
それはものすごくよく分かります。外部からよい研修などを単発で取り入れても、長期的な施策にはなりませんよね。
(豊重)
ええ。ですから徹底した現場主義を貫きました。その中で大切にしていたのが、「行政に頼らない地域づくり」です。
最初に3つの方針を掲げました。自分たちでできることは自分たちで行うという「住民自治」、行政の補助金に頼らなくて済むように「自主財源の確保」、そして最後が地域住民への「還元」です。
地域活性化にはもちろん財源の確保が重要ですが、それ以上に本気になって取り組む「人」の存在が欠かせません。全住民が地域づくりに参加してくれれば自然と集落に活力が生まれると考えて、町内会の充足率(参加率)を100%にするべく、一戸当たり7000円徴収していた町内会費を廃止しました。それまで125戸で約90万円の財源を確保していましたから、集めない代わりに100万円分の収益を上げる事業を興そうと。
(永井)
自ら財源を確保し、集落を再生しようとされたのですね。この考えを理解していただくのも大変だったと思います。
(豊重)
住民への認知に関しては、私が「3:3:3:1の方程式」と呼んでいる法則があります。
トップの3割は誰が町内会長になっても協力するグループ、2番目の3割は私への義理で参加する人たち、3番目の三割は無関心層、そして最後の1割が足を引っ張る人、つまり抵抗者です。この無関心層と反目者たちをいかに本気にさせ、一緒に地域再生に取り組めるかがポイントでした。
(永井)
全員に関心を抱いてもらおうということですね。
(豊重)
私にとってこの集落は大きな家族のようなものです。住民が一人も欠けることなく皆で取り組む「全員野球」が合言葉でした。
企業と同じように、集落全体を事業ごとに6つの組織に分け、年齢に関係なく全員をどこかに配置しました。それぞれの組織に5名の役員を置くと、125戸のうち30名が役職に就くわけです。それぞれの事業部で、計画や予算を決め、実行するというサイクルを回してもらいました。
(永井)
財源を確保するためにはどんな取り組みをされたのですか。
(豊重)
地域の特性を生かしてサツマイモを栽培することにしました。サツマイモは台風に強いですし、やねだんには休耕地があって、サツマイモの苗を持つ農家さんもいました。畑や苗は個人から提供していただき、住民の力を合わせて1町歩(約1ヘクタール)分のサツマイモをつくることができれば、約九十万円の売り上げになると考えたのです。
しかし、単に当番制で農作業をしても、活性化は期待できません。皆で一つの目標に向かって汗をかくことでこそ絆は育まれる、とバレーボール部の監督経験を通じて得た確信があったので、若者の労力と高齢者の経験や知恵を結集しようと思いつきました。
そこで目をつけたのが子供たちの存在です。
ちょうどイチロー選手がオリックスで活躍していた頃だったので、子供たちに「飛行機に乗って東京へ行き、イチローの試合を観に行こう」と呼びかけ、その資金を稼ぐために、サツマイモの栽培を始めたのです。
当然、農作業経験のない高校生だけで栽培はできません。慣れない手つきで子供たちが作業をしている姿を見て、案の定、両親や地域の高齢者たちが、「ぎこちなくて見ちゃいられん」と自然と協力してくれるようになりました。
そして住民の総和力によって、初年度に35万円の収益を上げ、東京は断念したものの福岡でイチローの試合を観せてあげることができました。そして4年後には畑面積は一町歩に広がり、80万円の収益を上げる事業にまで育てることができたのです。
(永井)
子供たちの力を借りて、うまく住民の協力を仰ぐことができたのですね。
(豊重)
とはいえ、やはり高齢者が多いと、精神がいくら元気だとしても体力は衰え、畑仕事は困難になってきます。将来を見越して、畑面積が減っても売り上げが百倍になる良策を考える中で閃いたのがオリジナル芋焼酎の開発でした。
サツマイモという一次産品に付加価値を加え、焼酎として販売することで、同じ労力で得られる利益を増やそうと考えたのです。当初栽培していたでんぷん用のサツマイモ畑の面積を縮小し、一部を焼酎用のサツマイモの生産に切り替えました。そして焼酎のネーミングやラベルの題字など、すべて住民たちの手でつくったのが芋焼酎「やねだん」です。
(本記事は月刊『致知』2021年2月号「自靖自献」の記事から一部抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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◇豊重哲郎(とよしげ・てつろう)
昭和16年鹿児島県鹿屋市串良町柳谷集落生まれ。35年県立串良商業高等学校卒業後、東京都民銀行入校。46年Uターンし、事業を始める。平成8年より現職。著書に『地域再生~行政に頼らない「むら」おこし』(出版企画あさんてさーな)。
◇永井彰一(ながい・しょういち)
昭和38年群馬県利根郡川場村生まれ。法政大学法学部卒業後、カナダに留学。平成元年永井酒造入社、10年社長に就任。19年田園プラザ川場の社長に就任。田園プラザ川場を関東屈指の人気を誇る道の駅へ導く。現在は米国法人R&S KawabaManagement LLC CEOと川場村観光協会会長を兼任する。