2020年12月07日
小惑星探査機「はやぶさ2」。地球から約3億キロメートル彼方に位置する小惑星「リュウグウ」でのサンプルリターンミッションを果たし、12月6日に地球へ帰還しました。約600人の多国籍のスペシャリストで構成される一大プロジェクトを5年半にわたり牽引し、世界初となる偉業を7つも成し遂げたのが津田雄一氏です。津田流のチームマネジメント手法やリーダーとしての心得から、成功の扉をひらく要諦を学びます。
太陽系の歴史や生命の起源に迫るミッション
12月6日未明、オーストラリア南部の砂漠地帯クーバーペディで、オレンジ色に輝く小さな塊が夜空に舞いました。小惑星探査機「はやぶさ2」から切り離されたカプセルが無事に帰還を果たした瞬間です。
「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャを務める津田雄一さんは「美しい大気圏突入でした。我われも感動しています」とコメント。日本はもとより、世界中が歓喜に沸きました。
「はやぶさ2」とは、「初代はやぶさ」の後継機として小惑星サンプルリターンミッションを担う小惑星探査機のこと。「初代はやぶさ」が探査した小惑星「イトカワ」(S型)とは別の種類の小惑星「リュウグウ」(C型)を探査したわけですが、その目的とは何でしょうか。
Cというのはカーボン(Carbon)の頭文字で、S型よりも太陽系初期の情報を多く持っているとされ、地表の岩石の中に水や炭素などの有機物が多く含まれていると考えられています。
私たちが生きていく上で不可欠の物質である水や炭素が宇宙にどう散在しているのかを調べることによって、太陽系の歴史や地球における生命誕生の起源に迫ることができる。そういうことを期待して生まれたミッションだといいます。
取材で津田さんにそのことをお聴きし、「我われはどこから来たのか」という根源的な問いを解決する手がかりになる、まさに夢の溢れる壮大なプロジェクトだと感じ、胸が高鳴りました。
2014年12月3日に種子島宇宙センターからH-IIAロケット 26号機で打ち上げられ、2018年6月27日に「リュウグウ」到着。2019年2月22日に第1回タッチダウン(着陸)を果たし、地表物質のサンプル採取に成功。同年4月5日に人工クレーター生成、同年7月11日に第2回タッチダウンを果たし、地下物質のサンプル採取にも成功。2019年11月13日に「リュウグウ」を出発し、今日を迎えました。
なお、探査機本体はその後も宇宙空間で飛行を続け、次の小惑星「1998KY26」を目指すといいます。
禍福は糾える縄の如し
「禍福は糾える縄の如し」――災禍と幸福は、より合わせた一本の縄のように表裏一体であり、災いが転じて福となれば、福が転じて災いとなるものだから、人智で計り知ることはできない。
津田さんの取材を通して、この言葉はまさに至言であるとしみじみ噛み締めています。
長引くコロナ禍で暗いニュースが多く、不安と混迷の増す状況下で、未来に希望を持って前向きに生きていく活力を得ていただきたい。そんな願いを込め、月刊『致知』新年号(1月号)の特集テーマは「運命をひらく」にしようと編集会議で決定。その頃、地球帰還を目前に控えていた「はやぶさ2」はコロナ禍にあって日本全国に明るい話題をもたらすばかりか、先述の通り人類の運命をひらくといっても過言ではないプロジェクトであり、まさに特集テーマにぴったりだと思い、企画しました。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)に取材依頼をしたところ、新型コロナウイルス感染拡大を考慮して取材はオンライン、なおかつ地球帰還直前で忙しく、1時間30分の時間を希望していたものの、先方の指定した日に1時間だけアポイントが取れました。
ところが、です。取材当日、広報の方から「申し訳ないのですが、緊急の会議が入ってしまったので、時間を再調整させていただけませんか」と電話があり、さらに、「JAXAのインターネット環境がダウンしてしまった」とのこと。その瞬間、予定していた号では掲載できないかもしれないという考えが頭をよぎりました。
幸いそれは杞憂に終わりました。その後、広報の方から再度連絡を受け、同日の夜に1時間の取材時間を確保してもらうことができ、無事にオンラインで津田さんと対面を果たすと、思いのほかカジュアルな服装の津田さんの姿がそこにはありました。
実はJAXAのネット環境がダウンしたことで、津田さんは会議後に自宅へ戻り、リモートワークに切り替えられていたそうです。結果として、落ち着いた環境の中で時間的にも精神的にも余裕を持ってインタビューに答えていただくことができ、当初の予定を15分ほど超過してお話を拝聴する機会に恵まれました。
緊急の会議、ネット環境のダウンという一見不運に思えた出来事が、却ってよりよい取材へと繋がったのです。
「私の伝えたかったことを正確に捉えていただいている」
津田さんは2015年に39歳の若さでプロジェクトマネージャに抜擢。自分より年齢もキャリアも上の人たちが数多くいる上に、JAXAの職員以外に企業や大学など様々な分野の専門家、それも日本人のみならず、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、オーストラリア人などで構成されている。
国籍も年齢も所属も専門分野も異なる約600人のスペシャリスト集団を束ね、小惑星探査の分野において見事に新たな金字塔を打ち建てました。
お目にかかるまでは、根っからの技術者で、朴訥なイメージがあったものの、いざお話を伺うと、専門的なことについても平易明快に分かりやすく噛み砕いて丁寧にご説明くださり、なおかつ、ユーモアたっぷりの語り口にどんどん惹き込まれました。
そこで語られた内容は、9ページに及ぶトップインタビューとして掲載されており、ご本人からも「事実関係含め、非常に正確に書かれていてとてもすんなり読めました。短時間のインタビューでしたが、私の伝えたかったことを正確に捉えていただいていると思いました。よい記事をありがとうございます」とお墨付きをいただきました。
主なテーマとしては、
「地球帰還を目前にしていま心に抱く思い」
「はやぶさ2のミッションとは」
「宇宙工学の道に進んだ原点」
「高校3年生の時に目が見えなくなる――逆境の中で支えとなったもの」
「恩師・中須賀真一先生から学んだチャレンジ精神」
「39歳でプロジェクトマネージャに――最初は嫌だった!?」
「600人のプロ集団を束ねる上で心掛けたこと」
「組織をまとめる基本は知識とコミュニケーション」
「指示待ち集団ではなく自律的に考える集団にする秘訣」
「最強チームをつくり上げた二つの訓練」
「着陸方法の変更という試練をいかに打開したか」
「意見が分かれた2回目のタッチダウン――その決断の拠り所」
「はやぶさ2が達成した世界初となる7つの偉業」
「物事を成就する人とできない人の差」
「リーダーの条件・心得」
「プロジェクトマネージャとして貫いてきた信念」
「より大きな運命の扉をひらくには」
など、仕事や人生を発展繁栄させるヒントに満ちた教えが凝縮しています。
プロジェクトチームを成功に導いた最大の要因
とりわけ深く感銘を受けたのが、「はやぶさ2」のプロジェクトチームを成功に導いた最大の要因は何か、との質問に対する津田さんの発言です。
「自分たちはできないとちゃんと自覚していたことだと思います」
この答えはとても意外でした。津田さんはさらに続けます。
「もちろん我われはきちんとミッションを果たせるように『はやぶさ2』をつくりました。ただ、こういう障害があったらできないよねとか、あるいはパーフェクトな人間が操作すればできるかもしれないけれども、我われはパーフェクトな人間じゃないよねって。人間はミスをするものだし、100%完璧というのはあり得ない。『はやぶさ2』のチームにはそういう自覚が醸成されていました」
そして、こう締め括られました。
「だからこそ、過信せず驕らずに謙虚であること。常に現状に安心したり満足したりしないで、よりよいものを探究し続けていくこと。それと同時に、仕事を楽しむ、隙さえあれば面白いことをやってしまう遊び心が大切ではないでしょうか」
世界初の偉業を成し遂げた要諦をここに見る思いです。
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1975年広島県生まれ。2003年東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻博士課程修了。同年JAXA(宇宙航空研究開発機構)に入る。小惑星探査機「はやぶさ」の運用に関わると共に、ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」のサブプロジェクトマネージャを務め、世界初の宇宙太陽帆船技術実現に貢献。2010年より小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクトエンジニアとして開発を主導し、2015年4月同プロジェクトマネージャに就任。