ミドリムシで世界を救うために:ユーグレナ社長・出雲充が語る、上場のために必要だった500回の失敗

世界初のユーグレナ(和名・ミドリムシ)食用屋外大量培養に成功し、貧国の栄養事情解決の切り札として、さらにはクリーンな新燃料や化粧品、飼料としての事業化を手掛けてきた株式会社ユーグレナ。社長の出雲充氏による同社創業は2005年、若干25歳の頃でした。その後2012年に東証マザーズ上場、2年後には東証一部上場を果たし、若手世代を代表する経営者として注目されてきた出雲氏ですが、創業当初の経営は困難の連続だったといいます。TBM社長・山﨑敦義氏との対談の中で、それらの壁をどう乗り越えてきたのか、その熱意の原点をお話しいただきました。

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退路を断つ覚悟が道をひらいた

〈出雲〉 
山﨑さんはいつも「自分は学校を出ていないから」と謙遜されますが、お話を伺っていると本当に羨ましいなぁと思います。経営者が大成するためには、戦争と大病と投獄の3つの経験が必要だとよくいいますよね。いまの我われの世代は、そういう生死を問われるような逆境に直面する機会はなかなかないのですが、山﨑さんは非常に濃い経験をたくさんなさってきている。

それに比べて私は、サラリーマンの父親と専業主婦の母親のもとで東京の多摩ニュータウンに生まれ育って、明日死ぬかもしれないというような強烈な体験を何一つすることもなく生きてきたわけです。ゼロの状態から台湾に飛び込んで行かれたり、周りから狂ったと言われる中で新しい事業を立ち上げられたり、そういう山﨑さんの波瀾万丈な人生をとても羨ましく思います。

〈山﨑〉 
出雲さんの場合は、バングラデシュに行かれたことが大きな転機になったわけですよね。

〈出雲〉 
そうですね。大学1年の夏休みに行ったのですが、現地の人々が栄養失調に苦しんでいる現実を目の当たりにして、ここで自分が何もできなかったら、この先ずっと平凡なままの人生で終わってしまうと思いました。バングラデシュの人たちに、栄養満点の食べ物を持っていきたいと考えたのがすべての始まりでした。

それで、日本に帰っていろいろ模索したのですが、大学3年の時に、後に一緒に会社をつくることになる後輩の鈴木が教えてくれたのがミドリムシでした。実用化するのは大変かもしれないけど、一生懸けて頑張れば絶対できるに違いないと思って、その時からミドリムシ人生を一直線に歩んできたわけです。

〈山﨑〉 
ミドリムシの研究は、どのように進めてこられたのですか。

〈出雲〉 
ミドリムシに関する研究論文に目を通しているうちに、大阪府立大学の中野長久先生のことを知りました。中野先生は当時、ユーグレナ(ミドリムシの学名)研究会の会長をされていて、鈴木と2人で会いに行ったのですが、「ミドリムシだけはやめたほうがいい」と言われました。

ミドリムシを培養できれば世界中の栄養失調をなくせることは、既に1980年に分かっていたのですが、ミドリムシはすごく栄養があるため、増やしていく途中でバクテリアやプランクトンに食べられてしまって、まだ誰も培養に成功していないというんです。それでも私が「何十年かかってもミドリムシをやりたいんです」と食い下がると、「諦めないで頑張りなさい」と励まされ、全面的に協力していただけることになりました。

〈山﨑〉 
すぐに会社を立ち上げられたのですか。

〈出雲〉 
いえ、経営の勉強にもなると考えて、大学卒業後はいったん銀行に就職しました。ただ、仕事をしながら鈴木と一緒に実験を続けたのですが、なかなか上手くいきませんでした。

一方の銀行の仕事はとても楽しくて、このまま銀行に身を埋めようかという思いが頭をよぎったこともありました。けれども、もし他の人がミドリムシの培養に成功してバングラデシュの栄養失調を救ったら、きっと後悔するだろうと思い止まりました。

それに、私は中野先生の紹介で日本中のミドリムシ研究者に会いに行っていたのですが、銀行勤務の傍らミドリムシの研究をしていると言うと、先生方もなかなか本気になってくださらない。結局銀行は1年で辞めて、退路を断ってミドリムシに専心することにしたら、研究も上手くいくようになりました。

乗り越えられない課題はない

〈出雲〉 
困難というのは、その時は確かに大変に感じます。でも、乗り越えられない課題というのはないんです。どんなに大きな困難に直面しても、それを細分化してやるべきことを明確にすれば、最初の一歩を踏み出すことができます。

ミドリムシの食用屋外大量培養だって、上場だって、いきなりはできません。それでも、もう1回実験してみる。上場したことがある人に話を聞きに行ってみる。そうやってすべきことを積み重ねていくうちに、だんだん「できるかもしれない」という気持ちになっていくものです。

〈山﨑〉 
僕もそう思います。

〈出雲〉 
確かに、最初はすべてが大変に思えるものです。私も会社をスタートして3年は売り上げが全く立たなくて、500回営業に行って500回ダメでした。501回目に営業した伊藤忠様でようやく「そんなに言うなら買うよ」と言っていただいて、そこから次第に契約先が増えて、上場まで果たすことができたわけです。

私がこういうお話をすると、多くの人が「どうしたらその伊藤忠に1社目で会えますか」と聞かれるのですが、そんな方法は私も知りませんし、求めてもいません。500回断られる中で、ミドリムシの何が足りないのかをたくさん教えていただいて、ミドリムシに対する理解も格段に深まりました。ミドリムシの説明内容もどんどんよくなった結果、伊藤忠様との契約に結びついたわけですから。

〈山﨑〉 
本当におっしゃるとおりだと思います。もし出雲さんが1社目に伊藤忠様に出会っていたら、501社目に巡り合えた時のようなバリューは絶対に感じられなかったでしょう。

僕も資金調達で苦労していた時には、「そこまで言うのか」と思うくらい酷いこともたくさん言われましたけど、後々考えてみると、「あの時、あの人が言っていたことはもっともだ」と納得できることがたくさんあります。当時の自分にはまだ分からなかったけれども、いろんな苦労をして成長させてもらったいまは、本当にありがたく思える。自分がそう思えるように成長できたことは、一番大きな財産かなとも思うんです。

〈出雲〉 
伊藤忠様に助けていただくまで500社営業したという話ですが、本当はこれ、戦争も大病も投獄も体験されたような先輩方の前では、恥ずかしくてとてもできません。

先日参加したシンポジウムで、青色LEDでノーベル賞を受賞された天野浩先生とご一緒しました。天野先生は、青色LEDの開発に成功するまでに、1500回も実験に失敗したそうなんです。私はこれまで取材などで、伊藤忠様に辿り着くまでの話をよくさせていただいたのですが、その話の載った雑誌を見るのが恥ずかしいです(笑)。


本記事は『致知』2018年1月号特集「仕事と人生」より一部を抜粋・編集いたしました


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