「人間力で闘いなさい」日本女子柔道初の金メダリストを育てた講道学舎の勝負哲学(北田典子)

「女の子が柔道なんて……」「女性がやるスポーツではない」。東京オリンピックでも素晴らしい活躍を見せ、日本中を沸かせている女子柔道ですが、かつてはこのように揶揄された時期もあったようです。

女子柔道が初めて公開競技として採用されたのが1988年のソウルオリンピック。弱冠22歳にして、その大舞台で銅メダル獲得の快挙を成し遂げたのが北田典子さんです。現役時代もさることながら、引退後もコーチとして恵本裕子選手を日本女子柔道史上初の金メダリストに育てるなど、手腕を発揮されています。そんな北田さんの柔道を導いたのは何だったのか。日本女子柔道の強さの秘密とは――。今回は女子プロ野球界の〝女イチロー〟こと三浦伊織さんの対談から勝負の真髄に迫ります。

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「日本一厳しい練習」の中で掴んだもの

〈三浦〉
先ほどご実家は柔道の私塾を運営されていたとおっしゃっていましたが、幼い頃から柔道をしていらしたのですか?

〈北田〉
祖父・横地治男(はるお)が私財を投じて柔道の英才教育の場として創設したのが講道学舎(こうどうがくしゃ)です。実家と隣接していたため柔道に親しみはありましたが、当時は「女の子が柔道なんて……」という雰囲気もあり、幼い頃はバレエやピアノといった女の子らしい習い事をしていたんです(笑)。

中学1年生の頃に陸上部に入ってからは、100メートルの選手として練習に励んでいたんですが、その年の教育実習生に

「おまえの体は100メートル向きではない。砲丸投げをやれ」

と言われ、乙女心が傷つきまして(笑)。自宅に戻って陸上部をやめたいと相談したところ、ちょうど女子柔道の第1回世界大会が行われていたこともあり、「それなら柔道をやってみないか」と。それで中学1年の終わり頃から、講道学舎で男の子たちに交じって柔道を始めたんです。

〈三浦〉
講道学舎は、これまでオリンピック選手を何人も輩出している柔道の名門塾だと伺いました。

〈北田〉
男子の金メダリストでいうと、古賀稔彦(としひこ)や吉田秀彦、瀧本誠、大野将平が講道学舎出身です。

講道学舎は「勝つ」ことを主軸に置いた私塾だと思われがちですが、理念の中には勝つとか、強くなるということは一切書かれていません。最終目的は人間教育だと明記しています。戦後日本の荒廃した精神を立て直すために、祖父が永野重雄氏や桜田武氏ら経済界の重鎮方、作家の井上靖(やすし)氏と発案し設立する運びとなったそうです。

運営に当たっては年間何億円という資金が必要でしたが、スポンサーを集めたり、寄付を募ったりしていては長期の継続は難しい。そう判断した祖父が、自分が経営していた会社に仕事を斡旋してもらう代わりに、そこで得た利益で講道学舎の運営を行っていました。

結局、社会のためにとの考えに基づき活動をしているため、会社の発展と青少年の育成、両方を追い求めることができたんです。この祖父の考え方は、私の中で大きな影響を与えてくれましたね。

〈三浦〉
素敵なお祖父様ですね。

〈北田〉
祖父から直接柔道の技を教わることはなかったものの、柔道に向き合う姿勢は厳しく指導を受けました。特に心に残っているのは、「世の中の役に立つ人間になりなさい」と。これが講道学舎の教えの柱でもありました。

一方で、講道学舎は「日本一厳しい練習」でも有名でした。男子中高生45~60名が寝食を共にしながら共同生活を送ります。毎朝5時40分に起床し、一時間半の朝練から一日がスタートするんですけど、この練習では大腰という打ち込みをひたすら行います。

若い頃は「なぜ試合であまり使うことのない技ばかりを練習するのだろう?」と疑問に思っていましたが、この特訓のおかげで柔道の基本となる体幹が鍛えられ、個々の多様な技の形成に繋がりました。

寮生活では掃除、洗濯、食事当番など、自分たちですべきことはすべて自分で行いますし、日中は学校に行っているため実質の練習時間は2時間半ととても短いのですが、そうした規律のある生活の中で、選手としてのベースを鍛えることができたと思っています。

祖父から教わった勝負の極意

〈北田〉
講道学舎では、「負けは死を意味する」という暗黙の了解があるほど勝利に対する強いこだわりを選手全員が持っていました。

といっても、敗北したこと自体で怒られることはありませんでした。要は、「負け方」なんです。勝っても勝ち方が悪ければ怒られましたし、負けても勇気をもって一歩踏み込んだために負けたのであれば、逆に褒められました。

ですから、技術的なこと以上に、「なぜあの場面で攻めに行かなかったのか」といった精神面、人間育成の根幹である人間力を教え込まれました。

〈三浦〉
ああ、技術以上に人間力を。

〈北田〉
話は少し逸れますが、古賀稔彦が金メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪の時、古賀は試合10日前に靭帯を痛めて全治1か月の怪我を負ってしまいました。おそらく、世間には「古賀はもうメダルを取れない」という諦めの雰囲気が漂っていたと思います。

しかし、講道学舎の中では、「これで条件は揃った。古賀は勝てる」と皆が確信していたんです。

というのも、オリンピックの舞台はどんなに実力があっても、0.1パーセントでも油断があれば勝てない世界です。古賀の場合、技術面はこれまで培ってきたものがありますから、最後の勝敗を分けるのは心です。

怪我をしたことによって緊張感が研ぎ澄まされますから、「これで古賀は勝てる」とスタッフたちは確信しました。試合前に祖父が古賀に掛けたのは、

「人間力で闘いなさい」

のひと言だけでした。

〈三浦〉
人間力で闘う。

〈北田〉
そして古賀も古賀ですごかったのは、「自分は足が一本ないくらいで負けるような練習をしていない」と腹が据わったこと。見事、判定勝ちで金メダルを手にすることができました。

他にも祖父からこんなことを教えられました。オリンピック直前、私は「金メダルを取って女子柔道界に貢献する」と自分を追い込んでいたため、プレッシャーに苛(さいな)まれていた時期がありました。

それを察した祖父が私に放ったのが、「だったら出るのをやめなさい」との厳しい言葉でした。

「おまえが出ることで、何百人の人間が涙を流している。そんな生半可な気持ちでオリンピックに臨むなら、やめてしまいなさい」と。

普通の家庭だったら、「まあそう言わずに頑張って」と励ましてもらえるのかもしれません。でも、結局これって私の甘えだったんですね。自分だけが苦しい、自分だけが闘っていると勘違いをしていたんです。

代表選手に選ばれたからには、出られない選手の悔しさや苦しみをすべて背負って闘っているということを忘れてはいけないと教えられました。


(本記事は『致知』2020年9月号 特集「人間を磨く」より一部を抜粋・編集したものです)

◉『致知』2023年1月号 特集「遂げずばやまじ」◉
東京2020オリンピック柔道女子52㎏級金メダリスト・阿部詩選手がご登場!

「オリンピックには魔物がいると言われますが、私の場合、畳に上がれば魔物は全くいませんでした。魔物は自分の心がつくり出すものかもしれません」
――阿部 詩

柔道女子52㎏級で五輪の頂点に立った阿部詩選手は、両肩の怪我、その手術とリハビリを乗り越え、去る10月の世界選手権でも自身3度目の優勝を飾りました。

弱冠22歳の金メダリストはいかにして心身を鍛え抜き、快挙を成し遂げたのか。

本誌では全9ページにわたり、常日頃、日本体育大学柔道部で指導に当たる小嶋新太監督との対談を掲載。これまでの努力と苦難の道のりを辿りながら、勝負に挑む極意や大切にしている人生信条に迫りました。ぜひご覧ください。

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  • 常に日本代表のトップに立ち続けたい――阿部詩

  • 柔道の名門私塾講道学舎での学び――小嶋新太

  • 「感謝の気持ちを持って柔道に取り組みなさい」

  • 高校1年、初めての挫折「負けて強くなる」

  • 厳しい練習と怪我の痛みに耐えてきた日々

  • 五輪で闘う覚悟が決まった1冊の本との出逢い

  • 五輪に魔物はいなかった。魔物は自分の心がつくり出す

  • 兄・一二三選手の背中を追いかけ続けて

  • 一流選手に共通する三条件

▲全9ページにわたるロング対談!

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◇北田典子(きただ・のりこ)
昭和41年東京都生まれ。柔道私塾「講道学舎」を立ち上げた横地治男の孫。中学1年生の時から柔道を始め、62年日本体育大学3年生の時に世界選手権で3位入賞。翌年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得。24歳で現役引退後は、コーチとして当時無名選手であった恵本裕子をスカウトし、見事日本女子柔道史上初の金メダルに導く。19年間講道学舎で指導した後、平成28年からは日本大学教授を務める。

◇三浦伊織(みうら・いおり)
平成4年愛知県生まれ。21年日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトに合格し、京都アストドリームス(現・京都フローラ)へ加入決定。22年椙山女学園卒業。26年打率5割を超え、首位打者に。令和元年女子プロ野球リーグ初の通算500本安打を達成。〝女イチロー〟の異名をとる。

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