一時は自死を試みた〝7本指のピアニスト〟西川悟平は、いかにして音楽を取り戻したか

「一生ピアノを弾けない」。1999年、24歳で単身渡米後、生命線の指を難病に侵され、医師からジストニア罹患を告げられたピアニスト・西川悟平さん。アイデンティティを失い、一度は自死すら試みたほどの絶望から起き上がり、現在は世界を股にかけて活躍しています。逆境をプラスに捉え、道を切り開く思考法、心術に学ばされます。

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原因不明の「違和感」を抱えて

〈西川〉
渡米して1年もしないうちから徐々に指に違和感を覚えるようになりました。ピアノに向かって、あるポジションを取った時だけ、両指が曲がって動かなくなるんです。こむら返りのような症状で、「ドレミファソラシド」は弾けるのに「ドシラソファミレド」は弾けないなど、自分でも不調の原因が分からず悩まされました。

その間もコンサートは続けていたんですけど、指がうまく動かないところはごまかしながら演奏するしかありません。毎回できないのが分かっていながら舞台に上がるので、死刑台に向かっているような気持ちでしたね。

しかも、ピアノ以外の日常生活では普通に指が動くため、先生からは練習不足だと思われていました。自分でもこれが病気なのか分からず、鍼灸・マッサージ・瞑想など、ありとあらゆる方法を試みましたが、改善するどころか1本、1本と動かせる指が減っていき、最終的には両手合わせて5本しか動かせなくなりました。

――日常生活には支障がないのに、ピアノを弾く時だけ異常が出てしまうと。

〈西川〉
自分でもこれはおかしいと感じていたので、インターネットで検索を続けていたところ、どうもジストニアという病気ではないかと思い当たりました。そこで専門医のところに行き、初めてジストニアと診断されたんです。違和感を抱いた頃から4年ほど経った2005年のことでした。

藁にも縋る思いで他の病院にも行きましたが、5人の医師から医学的根拠のもと、「二度とピアノを弾くことはできない」と通告されました。

――ああ、5人の医師から。

〈西川〉
ジストニアは命に関わる病ではないため、僕よりも辛い経験をされた方は世の中に大勢いらっしゃると思うんです。ただ、僕にとってピアノは自分の声だったんです……。ピアノが弾けなくなるというのは、自分のアイデンティティを失ってしまった感覚でした。

15歳から数えて、それまで2万7千時間以上練習していたので、ピアノを弾くという未来が失われただけでなく、これまで努力してきた過去もすべて無駄になってしまった……。自分を見失い、一度自殺未遂をしたこともあります。

病に感謝したら病が味方に変わった

――苦しい時期でしたね。

〈西川〉
当然ピアノが弾けないため収入もなくなりました。幸い、コズモ・ブオーノ先生が持ち家を無償で提供してくださったため、ホームレスになることはありませんでしたが、近所の家の清掃や介護の仕事をしながら小銭を稼ぎ始め、その後、知人の紹介があり幼稚園で働くようになりました。

その時に僕の考え方が180度変わる出来事がありましてね。幼稚園児たちにせがまれて、当時動かせた5本指だけで「きらきら星」を弾いたんです。当然、指は曲がっていましたし、変な指づかいでした。でも、子供たちはそんなこと全く気にせず、単純に演奏を楽しんでくれていました。その姿を見て、「いま動く指だけで弾けばいい」とハッとさせられたんです。

それまではどうすれば再び10本指で弾けるようになるかと考えていたものの、その時以来、「5本指しか動かない」のではなく、「5本も指が動く」と意識が変わりました。そして心から自分の指に「ありがとう」と感謝した瞬間、この病気が僕の味方になって、翼として羽ばたき始めてくれました。

――病気が味方になってくれた?

〈西川〉
本当に不思議なもので、そういう思いでリハビリを続けるうちに、7本の指が動くようになりました。そして、10本指が動く時には成し遂げられていなかった夢が、皮肉にも7本指になって次々と叶えられていったのです。


(本記事は2020年7月号 特集「百折不撓」より記事の一部を抜粋・編集したものです)

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◇西川悟平(にしかわ・ごへい)
昭和49年大阪府生まれ。15歳からピアノを始め、平成11年に巨匠デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークへ。同年リンカーンセンター・アリスタリーホールにてデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。17年両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断される。20年7本指で演奏し、ヨーロッパデビュー、以来世界各国で活躍する。令和元年銀座に専用サロン「GINZA 7th Studio」オープン。著書に『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版)がある。

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