東京大学名誉教授・月尾嘉男が読み解く、ウイルス禍と文明の相関

新型コロナウイルスがもたらした社会混乱。しかし、これは決して人類にとって初めての体験ではありません。巨視的に捉えれば、人類はウイルスと幾度も向き合い、その都度多くの犠牲を払いながら乗り越えてきた歴史が明らかになる――。多角的視点からの文明批評に定評があり、感染症の歴史に強い関心を持つ東京大学名誉教授の月尾嘉男氏に、いまこそ知っておくべき人類とウイルスの闘いの歴史、そこから得られる教訓について語っていただきます。

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古代ギリシアの叙事詩に見るウイルス禍の歴史

〈月尾〉
人類とウイルスとの闘いの歴史を辿ると、最も古い記録として、ホメロスの書いた『イリアス』に、現在のトルコ共和国のアナトリア一帯で紀元前13世紀頃に起きたと推定されるトロイア戦争(ギリシャとトロイア部族との戦い)の記述があります。

トロイアの神が怒ってギリシャ軍に伝染病を流行らせたという内容で、病名は分かりませんが3000年以上前、人類は既にウイルスと向き合っていたことが窺えます。

よく知られているのが紀元前5世紀中頃のペロポネソス戦争です。古代ギリシャ時代、アテナイ同盟軍とスパルタ同盟軍の戦いの最中、アテナイの城壁内で感染症が蔓延し、それがアテナイの敗北の原因となっていきます。

当時の歴史家ツキジデスの書いた『歴史』に、「患者から看護人へと病が燃え移り、患者に近づけばたちまち感染した。治療法はないが、一度罹患すれば再感染しても致命的にならない特徴がある」と書かれていることから、この時の伝染病は天然痘ではないかと推測されています。

人類が克服できたのは唯一、天然痘のみ

これは一都市内で流行した伝染病ですが、はるかに大規模な流行は2世紀にローマ帝国で発生し、350万人から700万人が死亡したとされる黒死病(ペスト)です。黒死病は6世紀に東ローマ帝国でも大流行し、人口の半数に相当する500万人が死亡したと見られています。

その後、ヨーロッパではペストは消滅したとされていましたが、14世紀、モンゴル帝国の軍勢がヨーロッパに進軍した時、中央アジアで流行していたペストを持ち込み、甚大な被害をもたらしました。この時の3回の大流行で当時のヨーロッパでは人口の3割に当たる2500万人、世界全体では5億人弱であった総人口のうち2割に相当する8500万人以上が死亡したと推定されます。

次なる大流行は15世紀、スペインやポルトガルが南北アメリカ大陸を征服した時です。征服民が感染症の免疫のない先住民たちに様々な感染症を伝染させ、メキシコでは人口の8割が死亡したという推計もあります。

中国に目を向けると、1644年の明の滅亡の背景にはペストと天然痘の流行があり、明を滅ぼした清もまた19世紀初頭のコレラの大流行によって国力が衰え、最後にはイギリスと日本によって滅ぼされていくのです。

このように私たち人類は遥か昔から感染症との闘いを繰り返しており、それは時として歴史をも大きく塗り替えてきました。そして、人類は科学文明を進化させたいまでも、その闘いを続けています。

完全に克服できたといえるのは天然痘ただ一つだけです。私たちに身近なインフルエンザにしても、新型となると未だに防ぐことはできないのです。つまり、ウイルスとの闘いは苦闘の連続であり、多くの人たちがウイルスに感染し集団免疫を得る共存というかたちで付き合ってきたわけです。

ウイルスの感染拡大と文明発展の相関

以上のことを文明史から見るとどうなるでしょうか。ここでは4つの観点でお話をさせていただきます。

1つ目は数千万種と推定される生物の中で、人間という一種だけが異常に繁殖し、それがウイルスの感染拡大を招いたという事実です。地球の生物の歴史は約38億年といわれています。ウイルスは生物か無生物かという議論はありますが、いずれにしてもそれに近い歴史を生き延びていることは確かです。

一方の人類の歴史は600万年、直系の祖先は20万年前に登場しました。その人類が1万年ほど前に農業を発明して以降、人口は1600倍にまで増え、いまや80億人になろうとしています。人口の増加によって、伝染病は瞬く間に広がるようになりました。

2つ目は世界規模で人や物の移動が増加してきたことです。具体的な数字を示せば、世界各国で国境を越えて移動した人が1950年には30万人だったのに対して2018年には14億人にまで膨れ上がっています。約70年間で実に4700倍という驚くべき増加です。

しかも、空路の発達によって移動の速度が圧倒的に速くなりました。これは利便である一方、それだけ感染症が広がりやすいリスクを人類が負ったことを意味します。

〈中略〉

このように見ていくと、人口の増加にしろ、人の移動にしろ、我われが何となく進歩や発展と幻想を抱いていた文明が様々な災いをもたらしてきた事実を知ることができます。地球環境は明らかに私たちに警鐘を鳴らしているのです。

文明の進歩をこのままただ手放しで喜んでいていいのか。私たちはここで一度立ち止まり、よく考えてみる必要がありそうです。

(本記事は『致知』2020年7月号 特集「百折不撓」より一部を抜粋・編集したものです。詳しくは本誌をお読みください)

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◇月尾嘉男(つきお・よしお)
昭和17年愛知県生まれ。40年東京大学工学部卒業。46年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。53年工学博士(東京大学)。都市システム研究所所長、名古屋大学教授、東京大学教授などを経て平成15年東京大学名誉教授。その間、総務省総務審議官を務める。著書に日本が世界地図から消滅しないための戦略(致知出版社)など。

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