2020年08月29日
高校時代のバイク事故で頚髄を損傷し、歩けない身となりながらも、車椅子で世界一周を成し遂げた三代達也氏。その前人未到の挑戦を後押ししたものがありました。事故後の絶望からどう立ち直り、世界へと旅立ったのか、その軌跡を追いました。
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絶望から立ち直るまで
――世界一周を思い立たれたきっかけをお話しください。
〈三代〉
世界一周はいきなり思い立ったのではなくて、いろんな出来事に導かれ、一つひとつ階段を上るようにしてそこに至ったんです。
高校の頃は自分の将来が全く見えなくて、気持ちも荒んでいました。学校を中退してバイクを乗り回している時に、先ほどお話ししたように事故に遭って頸髄を損傷してしまいました。最初は首から下がほとんど動かなかったんですけど、何だか夢を見ているみたいで、お医者さんから「あなたは一生自分の足では歩けません」と言われても、全く現実味が感じられませんでした。
でも、リハビリが始まっても体がなかなか思うように動かなくて、何をやるにも「こんなに時間がかかるんだ」という現実を思い知らされました。トイレで用を足したくなっても、ファスナーを下ろすのに手間取って間に合わなくなったり。
周りにも随分当たり散らしましたね。お見舞いに来てくれた母親の顔も見ずに「洗濯物を持って早く帰れ!」とか。自分は生きててもしょうがないと思って、毎日階段から下を見下ろしては、ここから飛び下りたら死ねるかなと……。
――そこからどのようにして立ち直られたのですか。
〈三代〉
静岡県の伊東市にある頸髄損傷者のリハビリ施設に移った時に、当時50代の、僕より障碍の重い男性が入所していましてね。20代から工務店を経営してこられただけあって人間的にとても迫力があって、甘ったれた僕の心にグサグサ響く言葉を容赦なく投げかけてこられるんです。
帰省する時に親に車で迎えに来てもらおうと思っていたら、「電車で帰れば?」。退院後は家でDVDでも見て暮らそうと思っていたら、「東京に一人で出てこいよ」。最初は「無理でしょ」と思ったけど、やってみたらどれも何とかなりました。その方とはいまも交流がありますけど、「人間として本当にそれでいいのか?」と常に厳しく問いかけてくださる人生の師匠です。近況を報告する時はいまだに緊張するんですよ(笑)。
――師匠の導きのおかげでいまがあると。
〈三代〉
師匠からいただいた「チャンスはいくらでも足元に落ちている。それに気づけるかは自分次第だ」という言葉はいまも大切にしています。
師匠ばかりではありません。上京後にしばらく引きこもりになっていた時期に、スーパーで手の届かない商品を近くにいた女性がスッと取ってくれたことから外へ出る勇気を取り戻したり、車椅子バスケの仲間の紹介で会社に勤めるチャンスをもらったり。一つひとつの出会いの積み重ねで道が開けていったんです。
一回死んでいるから後の人生はボーナス
――海外へ目を向けるようになった直接のきっかけは。
〈三代〉
夏休みが近づいた頃に会社の同僚から「海外旅行とか行ってみたら?」って言われたんです。最初は「無理でしょ」と思いました。でも、ハワイならバリアフリーで日本語も通じると聞いていたので、旅行会社で「一人でも行けますか?」と相談したら、「もちろん行けますよ!」と言われて決意が固まりました。23歳の時でした。
――初めての海外一人旅はいかがでしたか?
〈三代〉
バーに入った時の体験が印象的でした。カウンターで飲んでいた男性が、「なんで車椅子なの?」とストレートな質問をぶつけてきて、「一緒に踊ろうぜ」と。不躾な態度でしたけど、バリアが感じられなくて逆に心地よかったんです。
途中でトイレに行きたくなってホテルに戻ろうとすると、「バーのトイレに入れば」と。行ってみたら車椅子でも問題なく入れる広さで感動しました。
とにかく現地の人は、車椅子であることを忘れてしまうくらい自然に接してくれました。日本で当たり前だったことが、世界ではそうでもない。自分が小さな世界に生きていることに気づいた僕は、もっと他の国も見たいと考えて会社を辞め、ロサンゼルスやオーストラリアに滞在した後、これもチャレンジだと考えて、健常者しかいない商社で働き始めたんです。
――視野が広がり、人生が大きく開けてきたのですね。
〈三代〉
ただ、そこでしばらく働くうちに、毎日同じようなことを繰り返しているだけの自分に気がついたんです。周りはエリートばかりなのに、自分は体が不自由でパソコンの入力すらおぼつかない。会社にいる意味が分からなくなって、仕事の度に強い吐き気に悩まされるようになったんです。
――それでどうなさったのですか。
〈三代〉
このままではヤバイと思って自分会議を繰り返しました。「これからどうする?」「俺は本当は何をやりたいんだ?」と自問自答を続けるうちに、やっぱり旅をしている時が一番楽しかったことに思い至りました。
もう28歳になっていましたから「また会社を辞めるのかよ」「いい加減に落ち着けよ」というためらいもありました。でも冒頭でお話ししたように、車椅子の自分が世界を回ることで、人に一歩踏み出す勇気を持ってもらいたい。自分が楽しむ旅ではなく、誰かのための旅だったら意味があるんじゃないかと考えて、世界一周を決意したんです。
――不安はありませんでしたか。
〈三代〉
確かに「死ぬかもな」という思いは頭の片隅にありました。でも、僕は高校の時にバイク事故で一回死んでいるから、その後の人生はボーナスのようなものだと思っています。だから、死ぬのが怖いっていうのは諦める理由にはなりませんでした。
(本記事は『致知』』2020年4月号 特集「命ある限り歩き続ける」より一部を抜粋・編集したものです。) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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◇三代達也(みよ・たつや)
昭和63年茨城県生まれ。18歳の時にバイク事故で頸髄を損傷。車椅子生活となる。会社員時代に一人でハワイ旅行。海外の暮らしに憧れ、ロサンゼルスやオーストラリアに短期滞在。その後世界一周を決意し、約9か月間に23か国42都市以上を回る。帰国後は講演を通じて車椅子だから“こそ”の旅の魅力を伝える一方、旅行会社のスペシャルサポーターとして国内外観光地のバリアフリー調査やツアーの企画などに関わっている。著書に『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)がある。