「能を知っているか」——指揮者・佐渡裕が巨匠レナード・バーンスタインから学んだこと

 

ヨーロッパの一流オーケストラで毎年数多くの客演を重ね、日本が誇る世界的指揮者・佐渡裕さん。指揮者・佐渡裕はどのようにして生まれたのか――その原点ともいうべき巨匠レナード・バーンスタインとの出逢いや教えについて、かねて親交のある大和証券グループ本社顧問で日本証券業協会会長の鈴木茂晴さんと語り合っていただきました。

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バーンスタインとの初めての出逢い

(佐渡) 

(アメリカで開催されるレッスンの)奨学生に選ばれたのは3人なのですが、自腹を切って学びに来ている生徒もいまして、30人くらいの指揮者のクラスでした。それ以外にも聴講生を合わせると100人くらいでしょうか。 

教室にはピアノが2台あって、約2時間のレッスンが毎日のように行われるのですが、そこで何がやり取りされているのか、もちろんある程度は想像しながらできるものの、9割方は分からない。 

(鈴木) 

言葉が通じないというのは大きな障壁だったでしょうね。

 (佐渡) 

もう本当に片言の英語しか喋れなかったので、何を言われても「イエス、イエス」って(笑)。だから、タングルウッドに来たばかりの頃は貝のように閉じこもり、内向的になっていました。

 で、有名な指揮者や奏者たちが順番に講義をしに来る。そして遂にバーンスタインが登場するわけです。当時彼は69歳。真っ白のオープンカーを自分で運転し、サングラスにパーカー姿でガムを噛みながらグランドピアノの上にボーンと飛び乗り、「ハイ、ガイズ」って言って始まるんですよ(笑)。もうね、格好いいというよりも、誰かが演出しているんじゃないかと思うほどでした。

 (鈴木) 

映画のワンシーンのような。

 (佐渡) 

まさにそんな感じですね。そこでいろんな話をした後、突然「ユタカはどこにいるんだ」という話になりまして。奨学生3人のことはもちろん彼は知っているわけです。「じゃあ次はユタカに振らせよう」と。「おっ来た」と意気込んでチャイコフスキーの『交響曲第四番』を振ったら、バーンスタインがひと言「渋い」って言うわけですね。

 僕は最初、まさか日本語だとは思わずに、「CV」って英語で言っていると思ったので、意味は分からないけれど、とりあえず「イエス、イエス」って返した(笑)。

 (鈴木) 

はははっ(笑)。

 (佐渡) 

そうしたら、バーンスタインは「こいつは分かってないな」と思ったみたいで、いろいろアクセントを変えて何度も言ってくるんです。「シーブイ」とか「シブーイ」とか(笑)。

 「あれっ、これはもしかすると『渋い』って日本語か」と。それが最初の会話でした。

コンプレックスを払しょくしたひと言

(佐渡) 

続けてバーンスタインは僕に「能を知っているか」と聞きました。これも最初は英語の「NO」と勘違いしたのですが(笑)、正直に「知りません」って答えると、そこからバーンスタインが全員に能のレクチャーを始めたんです。例えばいつ衣装を着るのか、どういう楽器があるのか、どういう動きをするのかなど、実によく知っている。最後に、なぜか「ユタカ、握手をしよう」と言うんです。 

(鈴木) 

握手ですか?

 (佐渡) 

「いまから握手をするけど、極力遅いスピードで握手をしよう」と言うわけです。

ものすごく時間をかけて、でも必ず動かなきゃいけない。20センチほどの距離からスタートして、段々と手と手が近づいていく。バーンスタインは「もっとゆっくり動かせ、もっとゆっくり動かせ」と。

 で、もう本当に手と手が触れそうなくらい近づいてきて、たぶん2分くらいかけていたんじゃないかと思いますけれど、どんどん相手の熱を感じて、それでも「まだ触るな。極力近づけろ」と。次の瞬間、彼がパッと僕の手を握るんですね。もう電気が走ったみたいなショックでした。

 そして彼が皆に、こう話したんです。「いまたった20センチの距離から近づいただけの運動でしかなかったのに、お互いの手と手の間に、ものすごく集中力と緊張感、エネルギーを感じただろう」と。「これこそが能であり、日本人だけが持っている特別な感覚、才能なんだ」と言うわけです。

 (鈴木) 

ああ、なるほど。

 (佐渡) 

その後に彼が言った言葉が忘れられません。

 「ユタカ、日本人の君にはこういうことができるはずだ。例えば、マーラーの『アダージェット』(『交響曲第五番』第四楽章)、こういう遅い曲はこの精神で振るんだ」

 この言葉を聞いた時に、英語が喋れないことにコンプレックスを抱いていた僕の心の内を、バーンスタインは見抜いていたんだなと気づきました。同時に、日本人であることの強みを生かせる方法がクラシック音楽の世界にもあるんだと知って、日本人としての誇りに目覚め、自信を取り戻すことができたんです。

 (鈴木) 

相手の状況に即した、本質を突いた素晴らしい指導術ですね。まさにバーンスタインは名伯楽でもあったと。

 (佐渡) 

閉じていた僕の心がパーンと一気に開いた瞬間でした。

(本記事は『致知』2019年10月号 特集「情熱にまさる能力なし」から一部抜粋・編集したものです。)

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 ◇佐渡裕(さど・ゆたか)
1961年京都府生まれ。1984年京都市立芸術大学音楽学部卒業。1989年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。1995年第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。2015年9月より、オーストリアを代表し100年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者を務める。著書に『棒を振る人生』(PHP新書)など。

 ◇鈴木茂晴(すずき・しげはる)
1947年京都府生まれ。1971年慶應義塾大学経済学部卒業後、大和證券入社。引受第一部長、専務取締役などを経て、2004年大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長、大和証券代表取締役社長。2011年大和証券グループ本社取締役会長兼執行役、大和証券代表取締役会長。2017年大和証券グループ本社顧問。同年7月日本証券業協会会長に就任。

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