33歳でミシュラン三ツ星——「カンテサンス」オーナーシェフ・岸田周三を貫く挑戦の哲学

2007年、現役最年少のシェフとしてミシュラン三ツ星を獲得した岸田周三氏。氏がオーナーを務めるフランス料理店「カンテサンス」は以来、毎年のように三ツ星に輝き続けてきました。その類稀な手腕は、いかにして磨かれたのか――フランス修業時代の師匠パスカル・バルボ氏との貴重なエピソードを交えながら、歩みを振り返っていただきました。

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料理人はロボットではない

――フランスに渡られたのはいつですか?

〈岸田〉
26歳の時です。日本でフランス料理の基礎を学んだ後は本場フランスで3年間修業し、30歳までには料理長になろうと考えていましたから。

――伝手はあったのですか。

〈岸田〉
あったのは夢とわずかな貯金だけでした(笑)。パリに飛んだ時は宿泊先もまだ決まっていなかったんです。1か月間は一泊2,000円の安宿に泊まり、安い食パンをかじりながら、もっぱら仕事を探し回る毎日でした。生活費も切り詰めるだけ切り詰めました。

1か月後、ようやく直談判で小さなレストランで働かせてもらうことになり、約2年間は、一ツ星から三ツ星まで4つの店で修業を重ねたんです。

そんな時、パリで人気のレストランに入って料理を口にしたのですが、その時の衝撃は生涯忘れられないものでした。フレンチ独特の濃厚なソースによる味付けではなく、食材の良さが最大限に生かされていたんです。その店は当時はまだ一ツ星でしたが、僕は自分が本当においしいと思える料理を探求したいと思ったんです。

――その店が「アストランス」だったのですか。

〈岸田〉
ええ。シェフの名はパスカル・バルボと言います。僕はすぐにこの店で働きたいとパスカルに頼み込み、見習い以下の2か月限定の研修生として仕事をさせてもらいました。

――研修生として。

〈岸田〉
研修生から正社員に採用される人などまずいません。採用されるには、力の差を見せつける以外にありませんでした。それで掃除などの雑用を完璧にこなした上で、朝早く出勤してシェフの仕事ぶりを観察しながら、「この仕事をしてもいいですか」と積極的に手伝うようになったんです。

――実力は認められましたか。

〈岸田〉
2か月ほどした頃、パスカルは初めて僕に魚料理を任せてくれました。それまでフランスの三ツ星レストランで働いた経験もありましたから、僕なりに自信はあったんです。ところが僕が作った魚料理を口にしたパスカルは「客には出せない」と言って、それを僕の目の前で捨てたんですね。

――ショックだったでしょう。

〈岸田〉
プライドを叩き潰されたというのか、あまりに辛くてアパートに帰ってからも眠れない毎日が続きました。

2週間ほど経ってからだったと思います。僕が魚を焼こうとしていたら、パスカルはその魚を取り上げて自分で焼いて見せたんです。食べてみて、その味のよさに驚きました。まるで別次元のおいしさでしたから。

なぜそんなにおいしかったかというと、彼は食材の一つひとつを丹念に研究していたんですね。肉一つ取っても水分量や厚さによって火加減を微妙に調整していた。彼が言った「素材と対話しろ」「料理人はロボットではない」という言葉は、シェフの心得としていまも大切にしています。

――目から鱗でしたね。

〈岸田〉
そのとおりです。その日以来、僕は週末になると市場に通い、また休日には精肉店で働いて、肉や魚、野菜の状態が毎日どのように変わるかを観察し、それを料理に応用し続けました。

気がつくと、8か月目に副料理長であるスーシェフに抜擢されていたんです。僕が入って3年後に「アストランス」は一ツ星から二ツ星になり(現在は三ツ星)、2005年にはスペインで開かれた、料理界で最も権威があるガルシア・サントス主催の学会で、パスカルと一緒にデモンストレーションを披露したこともありました。

――フランス料理界で名を馳せるまでになられたのですね。

〈岸田〉
僕はパスカルから「この仕事をしてほしい」と言われた時に、「できます」と言い切れる準備をしていました。チャンスはたくさん転がっているものですが、それをつかみ取るには日頃の準備が必要なのだと思います。

プロ意識が困難を乗り越えさせる

――帰国を決意されたのはなぜですか。

〈岸田〉パスカルと一緒に店を大きくするか、それとも日本に帰って店を開くか、随分悩みました。パスカルの反対を押し切って帰国したのは、日本の食材を使って日本で新しいフレンチを生み出したいと考えたからなんです。

帰国して4か月後に「カンテサンス」を立ち上げました。32歳になっていて、当初の目標よりも遅れましたが、十分な実力もないまま30歳にこだわって帰国していたら、きっと後悔していたでしょうね。

――お話をお聞きしていると、岸田さんの歩みは、まさに挑戦の連続ですね。

〈岸田〉
フランスに行くにしろ、店をオープンするにしろ、それなりに労力や資金が必要になったり、いろいろな制約や壁が立ちはだかるわけですね。しかし、それは結局、その人の意志の問題で、やろうと思ったら明日にでもできることばかりなんです。フランスに行こうと思ったらチケット一枚買えば済むだけの話ですから。

僕がなぜそれをやれたかというと、自分の通過点を設定していたからだと思います。30歳までに料理長になるための一つひとつのステップを設定していると、目標に全然達していないと分かる。なんとか課題を克服しようという決意さえあれば、行動が生まれ道は開けていくように思います。

それから、こんなシェフになりたいと思える何人もの師の下で働けたのは、本当に幸運なことでした。師に近づきたいという目標があったことも、新しいことに挑戦していく大きな原動力でした。


(本記事は月刊『致知』2008年7月号 特集「不撓不屈」より一部を抜粋・編集したものです)

★『致知』2022年5月号「挑戦と創造」には、大阪のガストロノミーレストラン「HAJIME」と、東京のフレンチレストラン「カンテサンス」、東西の三ツ星店をそれぞれ切り盛りするオーナーシェフの米田 肇さんと岸田周三さんの白熱の対談を掲載。人生・仕事を発展させていく要諦がぎっしり詰まった対談です。ぜひご覧ください(電子版はこちら

◇岸田周三(きしだ・しゅうぞう)
昭和49年愛知県生まれ。三重県の志摩観光ホテルや東京のフランス料理店に勤務後渡仏。複数のレストランで修業する。現在三ツ星の「アストランス」シェフのパスカル・バルボに師事し、シェフに次ぐポジションに。平成17年に帰国し、東京・白金台にレストラン「カンテサンス」を立ち上げる。19年『ミシュランガイド東京』で、日本人最年少の三ツ星を獲得。

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