2020年04月14日
「ガラガラドン」。そう聞いて有名な童話を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。実は、これは重い病を抱え、小児病棟で寂しく過ごす幼い子どもたちの毎日を「遊び」で彩り、輝かせていく人たちの活動名です。1991年、37歳でこの活動を始めた坂上和子さんに、そのきっかけとなった病気の男の子との出逢いから、人生を振り返っていただきました。
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ゆっ君が教えてくれたこと
人生を大きく変える出逢いが訪れたのは1984年、30歳の時でした。当時、私は育児や義父の介護と仕事の両立に疲れ、天職と感じていた保育士の仕事を泣く泣く辞め、専業主婦をしていました。
そんな折、養護学校に勤める友人から「産後間もない自分の代わりに、国立国際医療研究センター(東京・新宿)に入院している同僚の子どものお見舞いに行ってほしい」という相談を受けたのです。
そこで出逢ったのが、悪性リンパ腫(血液のがん)を患う一歳のゆっ君でした。生後八か月で小児病棟に入院したゆっ君はお母さんと個室で寂しそうにしていました。ある時、ゆっ君が吐血して真っ赤に染まった衣服を洗うお母さんの姿を目の当たりにし、病気に苦しむ子どもとその親が、いかに辛い日常を送っているかを知りました。
それから私は、ゆっ君が亡くなるまでの3年間、週5日病室へお弁当を届け、自宅から絵本や玩具を持ち込み一緒に遊ぶようになったのです。ゆっ君は私が行くと見違えるような笑顔を見せてくれました。私はゆっ君との交流を通じて、たとえ重い病気であっても、子どもは最期まで楽しく遊びたいのだということを実感していきました。
砂漠の中の一滴の水
ゆっ君との悲しいお別れの後、家庭の状況が落ち着いたこともあり、私は訪問保育士として「新宿区立あゆみの家」に就職することになりました。そして、奇しくもゆっ君がいた国立国際医療研究センターを訪れることになったのです。これには不思議な導きを感じずにはいられませんでした。
そこで最初に出逢ったのが、小腸形成不全という難病を患う1歳の由記ちゃんでした。由記ちゃんは生まれてから一度も家に帰ったことがなく、個室から一歩も出られなかったので、私はお母さんと看護師に相談し、院内のプレイルームで遊ぶ時間を設けてもらいました。
すると由記ちゃんにお友達ができ、お喋りすることも増えていきました。さらに当初他の子と遊ぶと病気を移されると心配していたお母さんも、「坂上さんの仕事は砂漠の中の一滴の水ほど価値があります!」と、次第に理解してくださるようになったのです。
私はこの経験を「由記ちゃんの訪問保育事例」としてまとめ、東京都の福祉局へ報告。それを知った看護師長が共感してくださったことで、国立国際医療研究センターの小児病棟全体へ取り組みを広げることになりました。
とはいえ、私一人で全員と遊ぶことはできません。そこで私は「あゆみの家」の同僚と共に、遊び専門のボランティア団体「ガラガラドン」を組織しました。1991年、37歳になる頃でした。
「ガラガラドン」では、絵本や玩具をたくさん揃え、病気や障碍、年齢が違っても、どんな子どもでも安全に楽しく遊べる工夫を凝らしました。
けれども、活動を後押してくださっていた看護師長の異動などで、院内で「専門知識もないボランティアに任せていいのか」という声が上がったことで、組織の体制も少しずつ整えていきました。例えば会報を発行したり、継続的な活動のため学生や社会人から広くメンバーを募集し、子どもとメンバーが必ず一対一になるよう安全に遊ぶ対策も徹底しました。
そうした取り組みを地道に続けたことで、活動は順天堂医院をはじめ他院にも徐々に広がっていったのでした。
悲しむ者は幸いである
しかし、設立15周年を目前に大きな問題に直面します。すべて持ち出しで活動していたため、資金が底を尽いてしまったのです。私は当時離婚をしており、ボランティアはおろか、明日の生活費すらままならない状況に追い込まれていました。
自分はいったい何をやっているのだろう……。活動をこのまま続けるかどうか、とても悩みましたが、そんな私の心の支えとなってくれたのは、幼い頃のある記憶でした。
実は、私は早くに親を失い、東京の赤羽にあるカトリック系の児童養護施設で修道院の修道女たちに育てられました。入所日のことはいまも忘れません。
それまで親戚の家を転々としていた私を、彼女たちは「よく来たわね。お待ちしていましたよ」と抱き締めてくれたのです。戦後間もない貧しい時代の中、子どもたちに温かい手を差し伸べる修道女たちの存在に、私は魂が救われる思いがしました。
そして彼女たちと暮らす中で、『聖書』の教えにも触れていきました。特に心に強く残っているのが、次の言葉です。
「悲しむ者は幸いである。彼らは慰めを受けるであろう」
修道女たちの教えを思い返すと、私は苦しい中でも祈ることができました。そうしてあちこちの企業・団体に会報を送ると、幸いにもある大手製薬会社が、CSRの一環で私たちを支援したいと申し出てきてくれたのです。
こうして2006年、私たちは認定NPO法人として再始動、現在まで延べ300人以上の子どもたちに寄り添い、笑顔にしてきました。
子どもの命は遊んで笑顔になった時に最も輝きます。けれどいま日本では病院も家族も治療に精いっぱいで、なかなかそれに気づけないでいます。私は今後もガラガラドンの遊びを少しでも多くの病院に届け、子どもたち、そして家族を笑顔にして差しあげたい。これは神様に定められた、私の使命だと思っています。
(本記事は『致知』2020年4月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです) ◎最新号申込受付中! ≪人間力を高めるお供に≫
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