無縁社会を有縁社会へ——自死志願者に寄り添い続ける篠原鋭一の思い

 

「自死志願者の駆け込み寺」と呼ばれる曹洞宗長寿院(千葉県)。その住職を務め、人生に悩める人々から寄せられる電話相談に耳を傾け続けてきた篠原鋭一さんが語る自死防止活動の実際、自死志願者へのメッセージ。

死にたい。でも、本当は生きていたい

(篠原)

私はここまで、「自殺」ではなく「自死」という言葉を使ってきました。自殺と自死は違うのです。

自殺は仏教では「ジセツ」と読み、覚悟の死を表します。武士の切腹などがそうです。

私が向き合ってきたのは自死です。本当は生きていたいけれど、生き続けることができないほど苦悩が押し寄せ、それで自ら生命を絶つという方法を選択せざるを得なかった。それが自死なのです。

「死にたい……」と私に電話をかけてくる人たちは、本当は生きていきたいのです。それでも命を絶っていくのは、社会的苦悩に押しつぶされてしまうからです。自分でつくった苦悩ばかりでなく、いまの日本社会によって構造的につくられた苦悩が、本人も気づかないうちにのしかかっているのです。

30年勤めた会社をリストラされたある男性の話を聞いていると、彼の苦悩の本質は、自分の存在を否定されたところにありました。

会社では精密機械をつくっていました。腕も確かで、自信と誇りを持って仕事をしていた彼は、その会社でビジネス人生をまっとうするつもりでいました。ところが突然閑職に回され、続いて退職勧告を受けた。まだ50歳でした。

彼にとっては、その会社で仕事をすることが、この世に生きている証しでした。クビを切られたことで、彼は自分の存在そのものを見失ってしまったのです。

人は1人では生きていけません。自分と自分以外の人とのかかわりの中で生きていくのです。自分とかかわってくれる相手は、自分の存在を認めてくれる人です。その人がいなくなった時の失望感はとてつもなく大きいものです。

私たちが生まれた時は単なる人です。自分以外の人と会った瞬間にそこに間ができ、その人とのかかわりの中で生きていくことで人間となるのです。そして自分と自分以外の人の間をどういう条件で埋めていくかによって、人間は幸福にも不幸にもなるのです。

その話を聞いた男性は言いました。ならば自分を証明してくれるのは、自分以外の人間ということになりますね。私の場合それは勤めてきた会社でした。しかし会社からクビを切られ、自分がこの世に存在する意味を証明するものがなくなりました。ならば私は消えてもいいじゃないですか、と。

この理屈は、私にもとてもよく分かるのです。だからなおさら、自死と自殺はまったく違う。分けて表現すべきだと思うのです。

無縁社会を有縁社会に

(篠原)

いま、日本で3万数千人もの人が命を絶っている責任はどこにあるのでしょうか。それはこの社会をつくっている我々1人ひとりにあるのです。連帯責任であり、決して人ごとではないのです。

「死にたいやつは、死なせろよ」

こんな電話が月に3回は必ずかかってきます。

先日も、年配の男性からそんな電話がかかってきたので、私は尋ねました。

「おじいちゃん、それじゃ聞くけど、あなたのご家族は?」

「俺たち夫婦と、息子夫婦と、孫が3人いる」

「ほう、お孫さんがいらっしゃるの。かわいいでしょう」

「かわいいに決まってるだろう」

「じゃあそのかわいいお孫さんがイジメにあって、苦しいから死にたいって言ったら、おじいちゃんは『苦しいなら死ねよ』って言えるの?」

電話はガチャンと切れました。

人は、自分にかかわることでなければ本当に理解しようとしません。自死の問題も、ほとんどの人が人ごとだと思っているのです。

いまの日本で回っていないものが2つあります。1つは経済。もう1つは温かな心です。

夜中の2時頃、仙台に住むあるおばあさんから電話がかかってきました。

「失敗しました。丈夫な綱を送ってくれませんか」

とおっしゃるのです。喜寿を迎えたそのおばあさんは、夫に先立たれて1人でひっそり暮らしていました。独立した子供たちはもう5年も顔を見せない。寂しくて、夫の元に旅立とうと思い、首をくくろうとして失敗したのでした。

たまたま仙台で講演の予定があったので、すぐ飛んでゆきました。おばあさんは、子供や孫から「喜寿おめでとう」と一言でいいから声を掛けてもらいたい、と泣くのでした。短歌を習っているというおばあさんは、こんな句を詠んでいました。

「来るはずの ない息子とは 

 知りつつも 

 車の音に ベランダに駈け」

私はおばあさんに、息子ができたと思っていつでも電話をくださいと言いました。いまも週に2、3度はお話をしています。

日本がいずれ高齢化社会を迎え、孤立化するお年寄りが増えることは、早くから分かっていたはずです。なぜもっと前から真剣に対策を考えなかったのか、悔やまれます。

ある84歳のおばあちゃんが、お孫さんを連れてスイミングプールに行きました。インストラクターが、どうしていまになって泳ぎを習いに来たのかと尋ねると、子供の頃から水が恐くて、このままでは三途の川を渡れないから、とおばあさんは冗談交じりに答えました。そばで聞いていたお孫さんがすかさず言いました。

「先生、おばあちゃんが三途の川を渡り切ったら、もう1度私の所に帰ってこられるだけの力をつけてあげて」

こうした温かい言葉をかけ合える世の中になれば、無縁社会を脱して、有縁社会に回帰していけるに違いありません。だからこそ、自死の問題を人ごとと思わず、まず身の回りの人に温かな声掛けをすることから始めてほしいのです。

幸い、悩める人の相談窓口を増やしたいと考え、NPO法人「自殺防止ネットワーク風」を立ち上げて呼びかけをしたところ、趣旨に賛同する方々のお申し出により、現在全国54か所に相談所が設けられました。ハワイのお寺もあれば、キリスト教や天理教といった異なる宗教の方も含まれています。

悩みを抱えている方にお伝えしたいのは、1人で悩んでいないで、とにかくこうした窓口にご連絡をいただきたいということです。日本のお寺はお葬式のイメージが強いけれども、本当は、お寺は死んでから来ても遅い。生きている間にこそ来ていただきたいのです。

(本記事は月刊『致知』2011年2月号「立志照隅」から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、経営・仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

篠原鋭一(しのはら・えいいち)

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昭和19年兵庫県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗人権啓発相談員、同宗千葉県宗務所所長を歴任。「できることからボランティア会」代表を務め、少数民族地域を中心に様々な国の教育支援を展開。平成6年カンボジア国王より国家建設功労賞受賞。7年自死志願者の救済活動を始める。

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