『論語』に学ぶ人物の判断基準(SBIホールディングス社長 北尾吉孝)

日本を代表する経営者の一人、SBIホールディングス社長・北尾吉孝さん。その経営人生で指針とされてきた本の一冊が、中国の古典『論語』だといいます。組織で上に立つ者に欠かせない人物判断の基準――実体験を交えて語っていただきました。

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自分の徳目や徳性をどう高めていくか

〈北尾〉
私と『論語』との出合いは古典への造詣が深かった父の影響もあって非常に早かったが、本格的に読み始めるようになったのは中学生の頃だった。「吾十有五にして学に志す」という孔子の言葉を父から何度も聞かされ、それが耳に残っていたことも大きかった。
 
私が幼い頃から教えられてきたのは、人間として守るべき徳目とされる「仁・義・礼・智・信」の五常である。自分という人間を育てるためには、この五常を磨かなければいけないと、学生時代から常に意識をしてきた。
 
そうした中で着目したのが『論語』にある「仁」という言葉である。そもそも仁とは何だろうかと字義を調べてみると、人偏に二と書くことから、複数の人が意思疎通を図り、助け合っていくことを意味していると分かった。
 
すると今度は「恕」という働きが起こってくる。恕は「如」に「心」と書くように、我が心の如く相手を思うということ。すなわち、思いやりということになる。
 
さらにもう少し深く仁について考えてみると『論語』に「曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ」とあるが、この忠恕と仁とはどういう関係があるのかと疑問が湧いてきた。
 
「忠」の字は「中」の「心」と書き、人間の真ん中にある心、すなわち嘘がない心、良心となる。その良心が曇ってしまわぬよう心の調節を図っていくこと。つまり仁には相手に対してだけでなく、自分自身の心を正す意味合いもあることが分かった。
 
また「義」という字は「羊」に「我」と書く。「羊」は中国では最も貴重な家畜といわれており、「我」は鋸を意味する。よって羊を鋸で切って生け贄にし、神に供えるという極めて厳粛で神聖なものが義。天に対する嘘偽りのない気持ち、道理を表したものだろう。

「礼」については当初、礼儀やマナーのことかと考えていたが、人間が群れとして生きるために必要な社会的秩序も意味すると思い至った。こうして『論語』は自分の知識や経験が増えるにしたがって、その本当の意味するところが分かってくるものである。
 
そうしたことから、私が『論語』から学ぶべき一つの方向性は、五常を中心として、自分の徳目や徳性をどう高めていくかにあると考えた。

人物の判断基準

次の言葉は私が人物判断をする上で、大事にしてきたものである。

「君子は諸を己に求む。小人は諸を人に求む」

何かできないことがあった時、こんなことは教えてもらっていない、などと言って上司や会社のせいにしてしまうのが小人。一方、これは自分が至らなかったからだと省み、あらゆる責任を自ら取るのが君子。

上司から咎められ、「いや、部下にやらせたので……」と責任を擦りつけているようでは上司たる者の資格なし。君子と小人を見分けるのにこれほど分かりやすい基準もない。

こんな言葉もある。

「君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る」

「畏」の言葉の裏には、「敬」という意味がある。「天命を畏る」とは天から与えられた絶対的かつ必然的な使命をいかに成し遂げるかを常に考えなければいけないということ。

「大人を畏る」とは立派な人を畏れること。相手に敬の気持ちを持つのは、至らない自分に対して「恥」の気持ちを持つことでもある。つまり敬と恥とは一対で、だからこそその人に追いつくよう頑張ろうという思いが湧いてくる。「聖人の言を畏る」もまた然りである。

大事なのは『論語』に書かれてある言葉を単に文章的な理解で済ませてしまうのではなく、その裏に一体何があるのかを考えながら読むということだろう。

「徳」を持っていることがいかに強いかということも、私が『論語』から学んだ大事な教えの一つである。

「徳は孤ならず。必ず隣あり」とあるように、徳を持っている人は決して孤独になることはなく、必ずその周りに徳性の高い人たちが集まってきてくれる。

一方、徳を持っていない人は人間的魅力に乏しく、何をするにも人の協力や賛同を得るのが難しい。あらゆる事業は自分一人でできるわけではなく、その人のもとに様々な人の力が加わって結実する。徳を持っていることがそのための大きな原動力となることを、私は『論語』を通じて学んだ。

要するに五常とは、この徳を習得するための方法論であり、五常を一つひとつ身につけていくことによって徳が備わり、大きな武器になっていくということだろう。


(本記事は『致知』2011年12月号 特集「孔子の人間学」より一部を抜粋・編集したものです)

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 また、中江藤樹の言に「天下得がたきは同志なり。」とあるが、小生は『致知』を通じて道を同じくする多くの「道友」にめぐり合うことが出来た。そうした人達から、勇気づけられたり、励まされたりした。これからも致知出版社の出版物が我が人生の指南書となって導いてくれると信じ、頼りにしている。

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