2018年10月26日
年間10万人に1、2人が発症すると言われるギラン・バレー症候群という難病があります。北海道在住の漫画家・たむらあやこさんは22歳の時にこの病気に罹り、想像を絶するほどの苦しみを乗り越えて奇跡の回復を果たします。いまも後遺症と闘いながら創作に余念のないたむらさんの生き方を紹介します。
24時間、間断なき激痛
──治療法はあるのですか?
〈たむら〉
2つあって、1つは免疫グロブリン大量静注療法で、もう1つは血漿(けっしょう)交換療法というのがあって、両方ともひと通り終えたのですが、症状は一向に変わることなく、ベッドからも起き上がれませんでした。
ところが、ある朝、看護師さんが私の身体を拭きに来て、いつものように身体を起こすために脇に手を入れた、その瞬間でした。皮が裂けたところを、焼酎のついた手でグウッと触られるような痛みに襲われたんですよ。
──あぁ、遂に痛みが……。
〈たむら〉
ええ。それからですね、体験したことのない痛みに襲われ続けたのは。例えば、骨から身が裂けていくような痛みや、爪がミリミリと剥がれていくような感じとか、刺さりながら身体全体が捻られるような痛みが24時間、間断なく続くんですよ。
──どれくらいの期間、その痛みが続いたのですか?
〈たむら〉
6年くらいですね。特に最初の2年は激烈で、寝ることが全くできないばかりか、食べることもできない。おかげで67キロあった体重がみるみる37キロまで落ちました。
尋常じゃない痛みの連続で、もう本当に狂いたかったですけど、発症後しばらくはじっと耐えていました。治ったら復帰するつもりだったので、しょうもない姿を晒したくないと思っていたんです。
でも、それも3か月が限界でしたね。治療法もなく、いつこの痛みが引くのかも分からない。精神的に耐えられなくなって、それからは痛みに任せて声を上げて騒いでいました。おそらく、身体が麻痺していなかったら、自殺していたと思うんですよ。
──本当によく耐えられましたね。
〈たむら〉
6年目に入ってようやく食べられるようになって、何時間か眠れるようになったんですよ。そうなると、それまでずっと「痛い」「辛い」しか考えることができなかったのが、普通でいられることのありがたさを実感するようになりましたね。
決意表明のような一枚の絵
──たむらさんが再び絵を描き始めたのはいつ頃のことですか?
〈たむら〉
発症から4年目に入った頃、少しだけ描けるようになりました。まだ起き上がることはできなかったので、寝転びながらも描き始めていました。指で描こうと思ってやってみたんですけど、腕に力が入らないので逆に体力の消耗が激しく、最初だけ指で描いて、次にポールペンで描き、1年後にようやく筆を使えるようになりました。
水彩で最初に指で描いたのは金魚です。この一枚が描ければいつか漫画が描けるようになるんだ、ここからすべてが始まるんだという、私の決意表明のような作品なんです。いまでもよく覚えていますけど、2006年4月30日、半日をかけて漸く仕上げました。
──大きな自信に繋がりましたね。
〈たむら〉
そこからは「早く描かなきゃ。描かなきゃいけない」という強烈な思いが湧き上がって、本当に追い立てられるように絵筆を走らせるようになりました。
(本記事は月刊『致知』2018年9月号 特集「内発力」より「大病を乗り越えて見えてきたもの」から一部抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら)
◇たむらあやこ
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たむら・あやこ―昭和55年北海道生まれ。22歳でギラン・バレー症候群に罹患。1年9か月に及ぶ入院生活を経て、自宅療養を続ける。平成26年講談社の漫画雑誌『モーニング』が主催するコンテストで、自身の闘病生活を綴った作品が「編集部賞」を受賞。翌年から「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」を連載。28年に単行本化。