『致知』に寄せられたお客様の声
『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。
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人間学を貫く『致知』に鼓舞されて
広島県在住 論語普及会元副会長 池田弘満さん(71歳)あれは平成14年頃のことです。広島で小学校教員をしていた私は、浅学非才ながら統合予定の小学校長を命じられ、やがて準備の学校責任者を任されました。子供の教育・通学がどうなるのかという切なる思いから、地域の方々の関心は決して薄くはなく、期待は大なるものがありました。私は責任者として、「誰もが通いたくなる学校、誰もが通わせたいと思う」学校経営計画を立てたいと切に念じました。先賢の地を訪ね、イメージを膨らませ、その実現プロセスを法規法令・学習指導要領に基づいて纏めたりもしていました。しかし休日も学校で何かと調べたり纏めたりするうち、ストレスで身も心も油切れ状態になっていました。ふと、以前新幹線で移動中に頭が冴えたことを思い出し、電車で岡山市や倉敷市等に遠出して仕事をするようになりました。
そんなある日、図書館へ行く前にふらりと訪れた岡山駅の地下街の書店で、寺田一清さんが編纂した森信三先生の語録『一語千鈞』(致知出版社)が目に留まりました。そこに封入されていた『致知』の小さなチラシを見て、何かしらと気になり、電話をして購読を始めました。すると、いろいろな人が腹の底からの言葉を発しておられる文章に感動し、惹かれていきました。特に「特集総リード」には毎号、一頁完結ながら魂から発せられる言葉が見事に鏤められており、幾度となく鼓舞され、教員として大いに指針とさせてもらいました。
また筑波大学名誉教授の故・村上和雄先生はゲノム解析の見地から「笑顔」の大切さを説かれていました。後の赴任校で私は学校に来られない子など苦しんでいる児童たちに出逢いました。そこで、職員と共に教育計画を練り直す際、「笑顔であいさつ○○○(学校名)」を合言葉に様々な意見を纏めて、素行自得、教職員それぞれが自分の持ち場で誠を以て実践していったのです。半年が経った10月のある日、欠席者ゼロが2日間続きました。そこで、月ごとの欠席者数をグラフ化してみると、7月から前年比約半減が続いていたのです。それは年度末まで続きました。これはほんの一例です。学校は生き物で、日々問題を突きつけられますが、『致知』で学ぶ人間学、古典や諸科学、学習指導要領を本に毎年原点に還り皆と取り組むとなぜか、知徳体一体、文武一致の結果がついてきました。
『致知』で知った安岡正篤先生の著書から山田方谷先生も知りました。平成20年には致知出版社主催の講演会で伊與田覺先生に邂逅。論語普及会に入会し聴講する中で『仮名論語』30年の大改訂に携わったり運営の末席を汚したりもしました。
未熟ゆえ『致知』をすべて読めない時もあります。それでも購読を止めなかったのは、身近に置き、時に読むだけでも元気が出て、潜在意識に新たなものが積まれていく気がするからです。
これまで同様、これからも人間学誌『致知』や地元福山藩の藩主を務めた阿部正弘公、山田方谷先生ら先賢、『論語』『大学』『中庸』をはじめとする古典、諸科学、法規法令などに学び、論語普及会での講座や人物・古典に学ぶ会等を通じて縁ある方々と一隅に燈を点していきたいと念じています。
人生の火種を抱くや致知の本
福岡県在住 健康道場コスモポート主宰 吉丸房江さん(89歳)『致知』を読み始めたのは、藤尾秀昭社長が社長になられる前、かれこれ40年以上昔のことだったと思います。福岡県糸島市で私が始めた「健康道場コスモポート」に取材にお見えになった時、藤尾編集長のお人柄やその言葉の深さに魅せられ、以来、毎月の『致知』を楽しみに購読するようになりました。当時、私はまだ40代。取材前に見本としてお送りいただいた『致知』を目にした時、そこに登場する錚々たる顔ぶれに圧倒されながら、自分とは無縁の月刊誌だと思っていました。それまで私が読むものといえばもっぱら女性雑誌ばかりだったからです。
しかし、『致知』を継続して読み続けるうちに、私が知りたかった日本の歴史や日本人の魂のことなどが繰り返し書かれていることに気づきました。さらに『致知』で紹介されている話が理論ではなく、実践に裏打ちされていることに大変共感するようになりました。 というのも、私自身が理論派ではなく実践派だからです。
私はもともと小学校の一教員でした。両親が共にがんで亡くなったことで健康への関心が高まり、西洋医学や東洋医学を自己流で学ぶようになりました。人が病気にならないために何をやりたいかを考えていたところ、酵素風呂の技術を学んだという人と偶然出会って酵素の威力を知り、思い切って教員を辞めて昭和53年、「健康道場コスモポート」をつくりました。檜のおが屑にコスモ酵素の原液を浸透させ自然発酵させると、ガスも火も使わずに70度に達します。この酵素風呂に首まですっぽりと入ると、15分から20分で体内の老廃物が出てきます。遠赤外線で熱が骨の髄まで浸透し血液の循環もよくなるのです。この酵素風呂で健康を回復していく人たちを見る度に、一大決心して事業を立ち上げてよかったと心から思います。道場を立ち上げて今年で45年。『致知』とほぼ同じ歴史を歩いてきました。
私がそうであったように、一つのことを成し遂げていく上では誰にでも様々なドラマがあります。『致知』を読む度にそれぞれのドラマや人生の中で紡ぎ出された言葉に共感し、胸打たれることもしばしばです。「お金をもらって喜ぶ人よりも、言葉をもらって喜ぶ人のほうが霊格が高い」と言われます。『致知』はまさに言葉の力によって人々の人生を豊かにする月刊誌なのではないでしょうか。
暗い言葉や不平不満、怒りなどの言葉は自分の心ばかりか体までも蝕みます。一方で明るくて温かい言葉は自分の人生や周囲を照らすだけでなく、自分自身の病気をも改善していきます。古来、言霊と言われるように、言葉の働きは実に精妙です。「素直で明るく温かく」。これは私の人生の念仏であり指針です。
『致知』を読み続けていて嬉しかったのは、 平成20年、創刊30周年に当たって募集された短歌俳句で佳作に入賞できたことです。
人生の火種を抱くや致知の本
この思いは『致知』が45周年を迎えるいまも、全く変わりません。
『致知』との出逢いが人生を豊かにしてくれた
神奈川県在住 小川由佳さん(43歳)『致知』との出逢いは30歳を迎えた頃のことでした。当時手に取ったある本をきっかけに毎日様々な名言が配信されるメルマガを購読しており、その中で「『致知』は名言の宝庫だ」と紹介された一文を目にしたのです。その言葉に惹かれ、夫にクリスマスプレゼントとして『致知』を贈ってほしいとお願いし、1年間の購読がスタートしました。
初めて『致知』を手に取った時は「難しそうだな」と思ったものの、ページを開くたびに様々な方の生き方や人生を学ぶことができ、その魅力にのめり込んでいきました。夫からプレゼントされた1年間の購読が終わった後も自分で3年購読を申し込み、今年で13年目になります。
これまで仕事で人間関係の悩みや失敗を経験するたびに『致知』を通して様々なヒントをいただいてきました。どんなに素晴らしい方も、失敗や挫折から這い上がっていまがあることに何度勇気づけていただいたか分かりません。私もこんなことで悩んでいてはいけない、もっと頑張ろうといつも背中を押してくれる存在が『致知』なのです。これまで心に残っている記事は数多くありますが、故・渡部昇一先生の連載や中西輝政先生の記事には、タイムリーな世界情勢だけでなく、その中で日本はどのように進むべきなのか、道筋を示していただき、毎月楽しみに拝読していました。
また、『致知』をきっかけに森信三先生の教えや言葉、書籍と出逢えたことも私の人生に大きな影響を与えてくれました。いまでは『修身教授録』をテキストに『致知』愛読者の方々と2週に1度輪読会を行い、学びを深めています。さらに「実践」の重要性を説かれた森信三先生の教えに倣い「致知随想」で登場された方の活動に、ボランティアで参加したこともあります。『致知』の誌面から得た感動を原動力に、実践に移すことで私自身の人生もどんどん豊かになっていくことを実感しています。
『致知』の魅力は、いろいろな方の考え方、生き方に出逢えるということ。まさに「人生の教科書」とも言える中身の濃さにあります。
これからも『致知』の体験談、登場される方の生き方・考え方に真摯に学び、森信三先生の言われる「実践」を通して自分を成長させていきたいと思います。
『致知』を読める時代に生を享けた奇跡に感謝
広島県在住 兼子恭和さん(36歳)2011年の春、私は失意の真っ只中におりました。新卒でご縁をいただいた会社に就職したものの、約1年後にリストラ宣告を受けてしまったのです。
いま思い返せば、それは当然の報いでした。上司の言うことを聞かずに傍若無人な立ち居振る舞いをする、仕事で結果を出せないのにプライドばかりが高く、できないことをひた隠しにしては周囲に嘘をついてごまかす。そんな最低、最悪な新入社員でした。
『致知』と出逢ったのは、退職を告げられてから数か月後でした。直属の上司、関西致知若獅子の会(20代、30代の『致知』読者による勉強会)元代表世話人である和田真吾さんが、『致知』を1年間ギフトしてくださったのです。
和田さんがなぜ私に『致知』をギフトしてくださったのかは定かではありません。きっと私の行く末を心配してくださっていたのでしょう。「俺の言うことは聞かなくても、『致知』を通して学ぶことはしなさい」というメッセージに違いない。そう受け止めた私は、以来『致知』を12年間購読し続け、中国致知若獅子の会では世話人も務めさせていただきました。
『致知』という1冊の本との出逢いがきっかけとなり、私は次の7つの出逢いを果たすことができました。
・若獅子の会というコミュニティとの出逢い
・真剣に生きる同世代の仲間との出逢い
・人生を生きる上で大切な指針となる言葉との出逢い
・先人、偉人との出逢い
・素晴らしい感想文、美点凝視という考え方との出逢い
・自らの使命との出逢い
・心を整える習慣との出逢いおかげさまで、いまでは素晴らしい家族にも恵まれ、幸せを噛み締めながら毎日を過ごしています。学びを継続し、実践を重ねるほどによくないものが遠ざかっていく感覚があり、最期の時を迎えるまで生涯学び続けようという覚悟も定まりました。
『致知』を世に送り出し、守り続け、進化を続けてこられた藤尾社長に心からの感謝と敬意を表します。本当にありがとうございます。『致知』が読める時代に生を享うけた奇跡に感謝をし、これからも『致知』に学び続けてまいります。
『致知』は心の栄養剤
岡山県在住 山下花慧さん(65歳)『致知』との出逢いはいまから約25年前。義兄から勧められ、ハガキ道伝道者・坂田道信先生の講演会に参加したのがきっかけでした。先生の講演に感動し、教えていただいたハガキ道の実践に励んでいたところ、先生から「『致知』といういい雑誌があるから、読むといいですよ」と教えていただいたのです。さっそく申し込んだあの日から早25年が経ちましたが、これまで毎月届く『致知』を楽しみに拝読してきました。
定期購読を申し込んだ当時は3人の男の子を育てる専業主婦で忙しく、自由に外出することが叶いませんでした。そんな私の楽しみは、夜、子供たちを寝かしつけてから『致知』を読むこと。そこで出逢った記事や言葉にどれだけ励まされ、元気をいただいたか分かりません。
『致知』の魅力は、大企業の経営者などの著名な方に限らず、人知れず一隅を照らしておられる市井の方々の素晴らしい生き方から学べるところにあります。普通に生きている私たちが、どうすれば幸せに生きられるかを教えてくれる唯一無二の月刊誌なのです。特に鈴木秀子先生からは、人生にどんなことが起きたとしても、それをどう受け止めるのかは自分次第だという、大切なことを学ばせていただきました。
『致知』の購読を始めて数年が経った頃、義兄が経営するクリニックの併設ホールで働くこととなり、セミナー講演会の企画・運営に携わりました。ここでも『致知』から教わったことを「仕事の基礎」として、私にできる小さなことから実践しようと常に心掛けてきました。私たちは身体の健康のために、よいサプリや食べ物を摂ろうと意識しますが、心の栄養に関してはおざなりになりがちです。私は25年間、毎月欠かさず『致知』から心の栄養をいただいたことで、子育てにも仕事にも全力で取り組むことができました。
退職したいまは、『致知』に登場された櫻井よしこ先生などの記事に触発され、子供たちの未来のための活動に力を入れています。私にできることは小さいかもしれませんが、これからも『致知』という人生の道標に学び、お役立ちの活動を続けていきたいと思います。