8 月号ピックアップ記事 /インタビュー
生かされて生きる 山髙龍雲(大本山 須磨寺 大仏師)

20歳の時に入った仏像彫刻の道を、77歳のいまもなお倦まず弛まず歩み続けている大仏師・山髙龍雲氏。90歳までの彫刻の材料を確保しているという山髙氏を突き動かすものは何か――。これまでの歩みと信念を交えてお話しいただいた。

山を登ったと思ったらまたさらに高い山があることに気づく。
いまの山を一所懸命登らないと、次の山は見えてこないし、一つの山の頂上に立って「よしできた」と思うようでは、それ以上の成長はありません
山髙龍雲
――山髙さんが仏師の道に入られたいきさつをお話しください。
(山髙)
私の場合、父が仏師でした。父は愛媛県の松山市に生まれ、子供の頃、図工の授業でつくった竹細工等の作品のほとんどを、先生が見本として校内に飾ってくれていたそうなんです。それだけ手先が器用だったということですね。
――幼い頃から才能があった。
(山髙)
それで彫刻家を志し、16歳で兄を頼って大阪に出た父は、竹細工店に職人として働いていた時、商品を納めに行った先で仏師・彫刻家の高村光雲師のお弟子さんと出逢い、即日入門するんですね。父が21歳の時のことでした。
しかし、やっと出逢えた師匠は高齢だったこともあり、師事して3か月ほどで亡くなってしまわれました。
――ああ、師事してすぐに……。
(山髙)
それでも残された奥様のことも考え、父は師匠が抱えていた仕事を1年半かけて必死にやり遂げるんです。その仕事ぶりを関係先の仏壇屋さんなどが評価、応援してくださったことで、父は仏師の道を歩み始めました。
父はほぼ無から独力で学び一人前の仏師になりました。ですから父の仕事ぶりを見ても、その生き様にも男として到底真似できないほど実力差がありました。父は天才的な仏師だったと思います。……(続きは本誌にて)
~本記事の内容(全4ページ)~
◇教えることは教えられること
◇「仕事は好きで決まるんや」
◇最初で最後の褒め言葉
◇いまできるベストを尽くす
◇すべてに感謝して生きる
本記事では仏師の道一筋に歩んできた山髙龍雲さんに、一道を極めていく要諦、心の支えにしてきた信念を伺いました。
プロフィール
山髙龍雲
やまたか・りょううん――昭和23年香川県生まれ。高校卒業後、民間企業の営業職を経て、20歳の時に父・山髙松雲に師事、仏像彫刻の道に入る。全国の寺院に仏像を納めると共に、須磨寺彫刻会、南蔵院彫刻会、NHK文化センター、朝日カルチャーセンター、産経学園、東京上野の杜彫刻会などで仏像彫刻を指導。仏像彫刻薫風会主宰。
編集後記
大本山須磨寺大仏師の山髙龍雲さんの取材は、須磨寺参道(兵庫県)にある工房にて行われました。お若い頃のお写真では、髭を生やした精悍なお顔が印象的でしたが、77歳になる現在の山髙さんは、ご自身が彫られる仏そのもののような柔和な表情でインタビューに応じてくださいました。いかに人々の祈りの対象となる仏像を彫り上げていくか、その道の厳しさを教えらえると共に、仕事を通じて「楽」の境地に至る要諦を教えられるお話です。

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