逸話に見る安岡正篤師 道縁は無窮
先生の最晩年、昭和五十八年の話です。 病気により全国師友協会会長を退任された先生は、実兄の堀田真快大僧正が管長を務められた高野山大本山で静養されていました。 このお兄さんは生き仏のような、人品骨柄、非常に優れた方でした。 安岡先生には何人か兄弟がありましたが、この堀田大僧正とは非常に親しかったんです。
それで初めは静養のつもりで高野山に上がられて、しばらくそこにおられたんです。 そこで吐血されたようです。 高野山では十分な療養ができないからというので急遽帰ることになりました。 しかし東京に帰って入院となると、各界の指南役を称せられた先生のこと騒ぎが大きくなるのは必定です。 それで大阪にということになり、幸いに新井正明さんが住友病院の理事長をしていた関係から特別室をあけてくれて、そこで療養されたのです。
この先生の入院は秘密裏に進められました。 主治医などごく限られた人を除いては、医師も看護師も、その患者が安岡先生であることを知らなかったのです。 病室も秘密にしていましたし、名前も出していませんでした。 我々は当初、そんなに病が重いとは思っていなかったのですが、そっとお見舞いに行くときには必ず山の霊水を持参しました。 ところが、看病のかいなく、先生は同年末(昭和五十八年十二月十三日)、そのまま大阪の住友病院で息を引き取られるのです。
私は山で汲んだきれいな水を一升瓶に入れて、しばしば見舞いにうかがいました。 先生も大分気弱になっておられたのか、私が行くと「道縁は不思議だねえ」と口ぐせのように言われておりました。
最後にお話ししたのは十二月十二日です。 ちょっと弱ってはおられましたが、まだ大丈夫と見えました。 私が先生の手を揉んでおると、先生が「道縁は無窮だねえ」と言われたことをはっきり覚えています。 私はその日、後ろ髪を引かれるような気持ちで病室を辞去しました。 その翌日、先生の容態が急変したんです。
(伊與田覺著『安岡正篤先生からの手紙』より)