逸話に見る安岡正篤師 終戦の詔勅刪修

私も師(安岡正篤師)のお側にあって45、6年になるが、自分にその学問を語る資格はない。 ここでは、人口に膾炙(かいしゃ)されている終戦の詔勅(しょうちょく)刪修(さんしゅう)について正確に記しておきたいと思う。

毎年8月15日、終戦の日が近づくと、マスコミはその秘話を語ってほしいと、先生に面会を求めて止まなかった。 そのつど先生は決まって、「綸言(りんげん)汗の如しという。詔勅は、陛下のお言葉で絶対のものである。これがひとたび渙発(かんぱつ)されたなら、その起草にどういうことがあったかなど当事者が語ってはならない」といって決して語ろうとはされなかった。

その先生が、「この詔勅には多少の誤伝があり、私が刪修したと語られるなら、私の学者として後世より問われる悔いも残るので、君たちだけには話しておく」と、側近の者に一晩しみじみと語られたことがある。

先生はその刪修に当たって、「義命の存する所」と、「万世の為に太平を開かむと欲す」の二点を挿入されたほか、陛下の重いお言葉として文章についても手を入れられた。 「義命」については詔勅の中で、陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、とおおせられておられる宸襟(しんきん)を拝察して、それにふさわしい天子としての重いお言葉がなくてはならない。 そこで「義命」という言葉を選ばれた。

出典は中国の古典である『春秋左氏伝』。 その中の成公八年の条(くだり)に「信以て義を行い、義以て命を成す」とある。 従って、普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。

国の命運は義によって造られて行かねばならない。 その義は列国との交誼においても、国民との治政においても信でなければならない。

その道義の至上命令の示す所によって終戦の道を選ぶのである。

「万世の為に太平を開かむと欲す」も「永遠の平和を確保せむることを期す」より強く重々しい。 これは宋初の碩学・張横渠(ちょうおうきょ)の有名な格言「天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」からそのままとったものである。

いずれにしても先生は、終戦の詔勅の眼目は、「義命の存する所」と「万世の為に太平を開かむ」の二つにあると考えられた。 わが国は、何が故に戦いを収めようとしているのか、その真の意義を明確にしておかなければならない。 従って、内閣書記長官をしていた迫水氏には、どのような理由や差し障りがあっても、この二つの眼目は絶対に譲ってはならない、とくれぐれも念を押されたのだが、閣議の席で、閣僚から二つとも難しくて国民には分りにくいから変えてはとの意見が出されたのである。

結局、「義命の存する所」という一番の眼目を、「時運の趨(おもむ)く所」という最も低俗というより不思議な言葉に改められてしまった。 これは永久にとりかえしのつかない、時の内閣の重大な責任といわねばならない。 「時運の趨く所」の意味はいってみれば成り行き任せ。 終戦が成り行き任せで行われたということは、天皇道の本義に反する。 時運はどうあれ、勝敗を超越して「義命」という両親の至上命令に従うことで、はじめて権威が立つのである。

戦後、日本は大きく繁栄した。 しかしこの繁栄の基礎に、「信以て義を行い、義以て命を成す」。 義命が存していたならば、物が栄えて心が亡ぶと識者が顰蹙(ひんしゅく)するほど、人の心は荒廃せずに済んだであろう。

安岡正篤記念館名誉館長・林繁之(『致知』1984年3月号より)