逸話に見る安岡正篤師 無私無欲の人
先生との交流を振り返って私が思うのは、先生には表と裏があまりなかったということです。 私は先生が大阪に来られたら必ず車をご一緒して、宴会なども含めてたいがい行動を共にしました。 東京での先生の動静は知りませんけれど、大阪ではもう数十年にわたって公私いずれも見せていただいておったわけです。 表(公)の先生の姿は皆さんよく存じているかもわからんけれども、裏(私)の先生を見て、私は尊敬の念がますます強くなりました。 実のところ私が先生から離れなかったというのは、そこを見てからなんです。
先生を一言でいえば、なんといっても無私無欲の方でありました。 もちろん、学問的に東西古今の学に通じた、類まれな学識を持っておられたというのも一面です。 先生をして五百年に一人しか出ないような人物であると評する東大の先生もおられました。 また、先生は人を大事にしましたし、人と競うということもなかった。 私はこうした部分についても非常な尊敬の念は持っていましたけれども、なんといっても一番は、どこを突いても無私無欲であったところです。 出世欲というものもなければ、世の中にもてはやされたいというような態度も微塵も見えなかった。 それが先生を語る上で一番忘れてはならないところでしょう。
先生は国家社会のために働きましたが、それに対する償いというか対価は一切要求しなかった。 政界にも大きな影響力を与え、あるいは歴代総理からも尊敬されたというけれども、彼らから先生は何も経済的な恩恵を特に受けていません。 家族の人たちも、有名人や高位高官の家族といった感じはまるでないし、またそういう贅沢な生活はしていなかったですね。
戦争で家は灰燼に帰し、その後、新たに建て直しましたけれど、それは粗末なものでした。 応接間すらなかった。 ちょっと広い廊下があるくらいで、来客とはそこに椅子を置いて話をされていました。
私生活において、先生はまことに質素でした。 だけれども、どこに行っても大事にされましたね。 あれが徳というものでしょう。
(伊與田覺著『安岡正篤先生からの手紙』より)