天皇陛下の祈りと、一般人の祈りはどこが違うのか?

 

天皇陛下のご即位に際し、国民こぞって祝意を表するため、即位礼正殿の儀が行われる本日を迎えるに当たり、弊社刊『日本は天皇の祈りに守られている』の中から一般にはあまり知られていない天皇陛下のご本務に関する内容を一部ご紹介させていただきます。

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天皇陛下のご本務とは?

天皇陛下のお仕事は、たくさんあります。よく知られているところでは、国会を開会したり、大臣を任命したり、いろいろな式典に出席されたり、戦跡や被災地を訪問されたりするなどのお仕事があります。また、外国の要人たちと親交を深められたり、「歌会始」「園遊会」「晩餐会」などを主宰されたりすることも、もちろん大切なお仕事です。けれども、さまざまなお仕事のなかで、これこそ天皇陛下の「ご本務」といえるものは、何でしょうか?

それは、「皇室(宮中)祭祀」です。わかりやすくいうと「神々をお祭りすること」、日本の神々への「祈り」です。

その「お祭り」は、初代天皇である神武天皇から、現在の今上陛下(今の天皇陛下)まで、一貫して変わりません。つまり、アマテラス大神(おおみかみ)をはじめとする、わが国の天の神々と地の神々、また「皇霊(ご歴代の天皇の神霊)」に「祈り」をささげられることが、天皇陛下の「ご本務」なのです。

神職さんの中の最高位におられるのが天皇陛下

「祈り」というのは、つまるところ「この世を超えた何か」が存在している「目に見えない世界」と、今のこの「目に見える世界」をつなぐ、大切な〝行い〟です。

神主さんのお仕事を、日本では古くから「なかとりもち(中取持)」と言っています。「なかとりもち」とは、「なか」を「とりもつ人」ということです。

似たような言葉に「なこうど(仲人)」というものがあります。結婚式の時の「仲人」は、男女の「仲をとりもつ人」ですが、それでは、神職さんは、何と何の「なかをとりもつ」のかというと、「神」と「人」の「仲をとりもつ」のです。「神」と「人」の「仲をとりもつ」ことの、いわば〝プロ〟が神職さんなのです。

そしてその「仲をとりもつ」ための方法が「祈り」です。

それでは日本で〝祈りのプロ〟ともいうべき神職さんのなかでも、頂点に位置する神職さんとは誰なのかというと、それが天皇陛下です。「最高位の祭り主」ともいえます。天皇陛下とは、そういうご存在なのです。

天皇陛下は、古来「神」と「民」をとりもつ「祈り」をささげてこられました。歴史上、外国にも似た例がないでもありませんが、日本の場合は、それが世界でも、もっとも本来のかたちで、もっとも純粋なかたちで、もっとも正統なかたちで、今日にいたるまで、しっかりと継承されています。

アマテラス大神の御子孫である天皇陛下が、天の神々、地の神々、御歴代の皇霊に、古来のかたちを厳格に守って、「祈り」をささげていらっしゃるのです。こんな国は今、世界中を探しても、もうどこにもありません。

天皇陛下の「祈り」は激務である

さて、ここで注意しておかなければならないのは、両陛下の「祈り」は、私たち一般人の「祈り」とは、ずいぶんちがうということです。私たちふつうの者は、自分や自分の家族や職場や組織などのために、つまり、「自分のために祈る」ことが少なくありません。それらは結局のところ、自分や自分のまわりの人々の〝現世での利益〟を求める祈りです。しかし、天皇陛下の「祈り」は、それとはまるでちがいます。

天皇陛下の「祈り」は神武天皇の昔から、ともに生きてきた国民の幸福を、さらには世界の人類の幸福を、ひたすら願う「祈り」です。目に見えない神々の世界と、目に見える国民の世界を結ぶ、はてしなく広い「祈り」です。

私たちの「祈り」と天皇陛下の「祈り」の大きな違いは、まだあります。それは、天皇陛下の「祈り」は〝激務〟であるということです。

たとえば、新嘗祭は、毎年1123日の夕方から24日の未明にかけて行われる長時間のお祭りですが、この時は、寒い時期であるにもかかわらず、おそばで奉仕する人々も、汗だくになるそうです。

たとえば、私たちも〝偉い方〟の前では緊張します。しかし、考えてみれば、神々というのは〝これ以上ない偉い方々〟で、お祭りとは、〝その方々〟に御奉仕することなのですから、その間、肉体も精神も、極限にまで緊張するというのは、ある意味、当然のことでしょう。

ご聖徳は「祈り」の中で保持されてきた

今の私たちは、天皇陛下というと、すぐにお洋服をお召しになった姿を想像します。けれども、それは〝世俗〟のお仕事をなさっている時のお姿なのです。ご本務のお祭りの時は、神職さんのお姿をされています。そして、その神聖なお仕事をされている時の天皇のお姿こそが、じつは建国以来変わらない、いわば〝永遠なる天皇〟のお姿なのです。

天皇陛下の「祈り」は、たしかに〝激務〟です。けれども、その〝激務〟を日々、ご誠実に、かつ厳しく実践されているからこそ、これまでも天皇は天皇でありつづけてこられたのでしょうし、また、これからも天皇は天皇でありつづけられるのであろうと、私は拝察しています。

そもそも、ご聖徳(天皇陛下や皇族方などの徳)とは、どこから生じるものなのでしょうか? いろいろな知識や経験も、もちろん必要でしょう。

けれども、それらだけでは〝ご聖徳〟は生まれないはずです。〝ご聖徳〟は、日々の慎みに満ちた「祈り」のくり返しによってのみ生まれ、また保持されるもので、それゆえ、御歴代の天皇陛下は、くりかえし「宮中祭祀」の重要性を強調されてこられたのではないでしょうか。

(本記事は弊社刊『日本は天皇の祈りに守られている』〈松浦光修・著〉から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇松浦光修(まつうら・みつのぶ)
昭和34(1959)年、熊本市生まれ。皇學館大学文学部を卒業後、同大学院博士課程に学ぶ。専門は日本思想史。歴史、文学、宗教、教育、政治、社会に関する評論、また随筆など、幅広く執筆。現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。著書に『日本は天皇の祈りに守られている』(致知出版社)がある。

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