ソ連の進攻を食い止めよ——戦車隊の神様・池田末男と占守島の戦い

日本の危機を救った21人の偉人たちの生き方を、知の巨人が紐解いた人物伝『忘れてはならない日本の偉人たち』(渡部昇一著/弊社刊)。本日は本書の中から戦争終結後に日本への侵略を開始したソ連の蛮行に対し、身を盾にして日本を守った名将・池田末男少将のエピソードをご紹介いたします。

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日ソ中立条約を破って突然攻めてきたソ連軍

1945(昭和20)年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲に攻め入りました。そしてその10日後の18日、今度は北方の千島列島に数千の兵を送り込んできました。スターリンは北海道の北半分を掌中に収めようと企てたのです。

もし、この計画がそのまま実現していれば、日本列島は大きく侵食されていたはずです。だが、スターリンの思惑どおりにはなりませんでした。

ソ連軍と戦い、その力を消耗させ、圧倒的な勝利を手にした日本の勇士たちがいたのです。その中心となったのが陸軍戦車第11連隊の兵士たちであり、その連隊長は「戦車隊の神様」とも言われた少将・池田末男(当時は大佐)でした。

「神様」が率いる組織は強力です。実際、11連隊は十一が「士」になることから、「士魂部隊」という異名を持つほどの精鋭揃いで、敗戦前には千島列島の北方に位置する占守島(しゅむしゅとう)で軍務に当たっていました(いまの自衛隊にも士魂部隊があります)。

群を抜いていたのは戦闘能力だけではありませんでした。池田連隊長は部下からの信望もすこぶる厚く、極寒の地において、自分の下着を決して部下に洗わせるようなことはしなかった、というほどの人格者でした。兵たちには「おまえたちは私に仕えているのではない。国に仕えているのだ」と諭していたといいます。

そういう連隊長との絆が兵士たちの志気を高め、11連隊の組織力をより強固にしたことは想像に難くありません。

日本兵の死者800名、ソ連兵の死者3000名~北海道の盾となった占守島の戦い~

敗戦の報。それは兵士たちにとって辛いものでしたが、同時に家族が待つ故郷に帰れるという希望の報せでもありました。

占守島の兵士たちも武装解除に動き、故郷の両親や妻子との再会に胸を膨らませながら復員の準備を始めていました。ソ連が多数の船艇を連ねて占守島に押し寄せたのは、まさにそういう時でした。日本軍の不意を突いて一気に占拠しようという作戦です。

急報を受けた池田連隊長は、島内の天神山に集結した部隊に「諸子は赤穂浪士のように恥を忍び後世に仇を報ずるか、白虎隊となって民族の防波堤となるか」と呼びかけます。全員が白虎隊となる意思を確認するや、勇ましく出撃するのです。

戦いは熾烈を極めました。21日の停戦までの4日間で日本兵の死者は約800名、一方のソ連兵は3000名の兵が戦死しました。この数だけを見比べても力の差は歴然というべきでしょう。

それは即「戦車隊の神様」である池田連隊長の統率力を物語っています。池田連隊長は乗っていた戦車が攻撃され、亡くなってしまいましたが、確かに日本を圧勝へと導いたのです。

日本軍の力に圧倒されたソ連は自分たちが一方的に侵攻していながら大きく後退し、音を上げて停戦を求めたくらいですから、いかにタジタジの状態であったかが分かります。

だが、悲しいかな、日本軍が占守島の戦いに勝利しても、敗戦国という動かすことのできない事実からは逃げられません。ソ連軍の監視下で武装解除し、日本の兵士たちは捕虜となり、シベリア抑留となるのです。

マルハニチロの女子従業員400名の命を守る

占守島の戦いを巡っては、一つの感動的な話があります。

ソ連が侵攻を開始してきた時、日魯(にちろ)漁業(現マルハニチロ)で働く約400名の女子従業員たちがいました。日本軍は彼女たちをすぐに漁船に分乗させ、北海道へと避難させました。

戦闘やソ連兵による暴力行為の巻き添えとならないために、ソ連軍の爆撃が続く中、高射砲で命懸けの援護を行い、彼女たちの命を守るのです。

我われが忘れてはならないのは、日本のために戦ってくれた将や無名の兵士たちの存在です。彼らがいなかったら、日本が今日のような繁栄を築くことは決してできなかったでしょう。ペリリュー島の激戦で米軍を追い詰めた中川州男(くにお)しかり、ノモンハン事件やインパール作戦で数々の軍功を挙げた宮崎繁三郎しかりです。

私は戦史上、このような隠れた偉人が多数いたことを、1人でも多くの日本人に知ってもらいたいと願ってやみません。

(本記事は弊社刊『忘れてはならない日本の偉人たち』〈渡部昇一・著〉から抜粋・編集したものです。『致知』にはあなたの人間力・仕事力を高める記事が満載です! 『致知』の詳細・購読はこちらから))

渡部昇一(わたなべ・しょういち)

昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年より現職。著書多数。最新刊に『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社)。平成29年死去。

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