2018年12月19日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。鹿児島からスタートし、本州へ。中国路の行脚はまだまだ続きます。
雨の中の行脚
朝、4時頃だろうか? 早朝の静寂を破ってガタン、ガタンと電車が止まった。目を少し開くと、バタン、バタンと荷物をホームに投げ出している。二人の男がバタバタ荷物を移動している。新聞のようだ。それを改札口から次々運び出し、クルマに積み込むと慌しく走り去った。わずか5分か。一瞬の騒動であった。また目を閉じた。
5時頃か、人の気配があった。今度はおばあさんだ。掃除に来た。ゴミらしいゴミもないが、サッサッと箒で掃いている。終わるとすぐ立ち去った。私は寝たふりをしていたが、デコボコの椅子では眠れない。横になっているのも辛い。
『我慢も限界。出発だ』
と決意して立ち上がった。外を見ると雨だ。支度を整えリュックの上からカッパで覆って、網代笠を被り外に出たが、朝とはいえまだまだ暗い。街灯が路面を照らしている。その路地を抜けて国道二号線に出たが、はて・・・徳山は左か右か? 交番はないし、人もいない。地図を見ながら東はこちら? いや、そっちは北、南か・・・。あれこれ思案したが、確信はもてない。
「左に行くか?」
と黙々と歩き始めた。が、途中、変だ・・・違う? 不安になった。国道の交通量は少ないがそれでもトラックが高速で飛ばしてゆく。しかし、人はいない、どの家もサザエの蓋のように戸が固く閉ざされている。時間がまだ早いからか。ならば、しばらく待つか・・・といっても、待機する場所がない。
前方にオレンジ色の街灯が周辺を照らしていた。その空間が一段と明るい。・・・とその時、路地から雨具を被った人物が自転車を引いて出現した。そして、交差点の横断歩道をこちらに向かって来るではないか。
とっさに体が反応した。駆け寄って道を確認すると、果たして方向が逆であった。すでに30分歩いていたから、また、30分戻らなければならない。この雨の中、同じ道を往ったり来たり、実に情けない。でも歩かざるを得ないのだ。国道二号線を雨のなか行脚しながら、夕方徳山で一泊した。
「旅館はありますか?」
翌日は海岸線を避け、岩国に抜ける直線コースを取った。高森という駅に着いたのが夕方である。そこから一番近い旅館の玄関のベルを押した。3度押したが応答がない。戸惑いながらもう一度押したら、ようやく玄関に出て来て、
「お休みです」
の一言。旅館に休みがあるとは知らなかった。ならば近くにあるビジネスホテルかと。そのフロントで尋ねると、素泊まり5600円。これも駄目だ。
「旅館はありませんか?」
と尋ねると
「玖珂(くが)町にあります」
とのこと。距離も3キロですから1時間あったら行ける。気を取り直して、また、歩き出した。まもなく暗くなったが右手に一軒の旅館があった。
玄関に立つと若奥さんから
「今日は休みです」
「寝るだけでいいんですが・・・」
とお願いしたら女将さんが出てこられ
「休みがずっーとなかったものですから・・・」
と済まなそうに何度も頭をさげる。私も観念して再び外にでたが、すぐに二軒目の旅館が目に止まった。しかし、どの窓にも明かりがない。またまた休みである。
そのまま通過して玖珂町商店街に入ったが、今度は商店街のシャッターが全部下りている。街灯だけが寂しく道路を照らしている。不安が危機感へ。神経が弥が上にも高ぶってくる。
そして、信号機のある横断歩道を渡りきった。その時のこと。一台の軽トラックが交差点の中央に止まると窓から男が顔を突き出し大声で私を呼び止めた。私は慌てて近寄った。すると右手に持った1000円札をいきなり看板袋の中に捻じ込んだ。
「後ろにある菓子。好きなだけ取れよ」
トラックの荷台にはお菓子のブリキ缶がいくつも並んでいるが、お菓子はお断りして、尋ねた。
「旅館はありますか?」
「あるよ。この道を行った先だ」
言われるままに歩いて行くとあった。玄関のガラス戸から明かりが外に漏れている。営業は間違いない。ところが玄関に入ると沢山の靴が並んでいる。満室か・・・?と不安になる。その予感は的中して、女将さんに断られたが、お願いした。
「旅館が全部休みでした。寝るだけでいいんですが」
女将さんはちょっと天井に視線を移し思案していたが
「どこでもいいですか」
といって部屋に案内してくれた。布団部屋だ。ただ布団が積んであるだけできれいなものだ。ほっと一息。
風呂に入って戻ると素泊まりなのに、女将さんがおにぎりと味噌汁をお盆に載せて持って来られた。感謝の思いが胸いっぱいに広がった。腹の底から次々湧き上って来る、有難う有難うと。