【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第21回〉私を養っている〈あるもの〉がいる

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。安芸の国では古に思いを馳せる義功和尚の姿がありました。

頭に浮かんだ聖書の言葉

 托鉢するにも家がなければそれまで。行くところ、初めての土地であるから、皆目見当がつかない。

 道路に沿って家がある。商店街があれば托鉢をする。道路が山道に変わり畑になることもある。全ては出たとこ勝負。だから、宿泊して、その翌朝、旅館の玄関から歩き始めると必ず不安がよぎる。

「今日の托鉢は大丈夫だろうか?」

その後でまた思う。

「何とかなる仏さまが守って下さるから」

この二つの心が常に同居して揺れ動く。一日の托鉢を終え、宿泊が決まると、ホッとしてこの葛藤が消える。日々この繰り返しである。

 それにしても鹿児島を出てからすでに20日。この葛藤の連続のようには思うが、ともかくここまで来た。まだまだ先は長い。何年、かかることか?

周囲の風景をぼんやり見ながら、ふと聖書の言葉が頭に浮かんだ。行脚していると・・・、どうやら記憶を収めている壷のようなものがあって。それが、何かの弾みで蓋がとれる。すると、思いがけない過去の記憶がフト蘇る。この時もそうだ。

 イエスが飛ぶ鳥を見なさいと云っていた。鳥は種を撒くこともしない。収穫もしない。それなのに神が養っているではないかと。また、野の百合を見よとも。紡いだり織りもしないのに着飾って美しいではないかと。

 私にとっては神でも仏でも構わない。私を養っている、〈あるもの〉がいるという事実。そうだろうか。私は鹿児島から一軒一軒お経を唱えて歩いてきた。それだけだ。

確かに聖書の鳥と同じではある。クルマで移動するように楽ではないが・・・。ともかく、ここまで養われて来たといえば、事実養われてきたとも云える。だが、果たして、これからもそうであろうか。その保証はない。

 加治木の温泉のこと、冷水峠のこと、思い出すと切りはない。あの時は、この時は・・・と何とか乗り越えてきた。さまざまな人が現れ助けてくれた。ラッキーといえばラッキーだが、不思議といえば不思議なことだ。これも仏が采配しているのだろうか。

瀬戸内海に立つ真っ赤な大鳥居

 岩国の国民宿舎で一泊。翌日、宮島に来た。青い海、瀬戸内海にポッと立つ真っ赤な鳥居。遠くで見ると小さく見えるが、近くに寄ればどれほど大きいか。そこを清盛と平家一門の公達(きんだち)の船がくぐり抜け、海の参道を進めて厳島(いつくしま)神社に参拝、祈願した。その情景を想像するだけでも胸がときめいて来る。

 ここは観光地である。商店街の托鉢を終え、海の上にある回廊を歩いた。その回廊は板と板の間に一定の隙間がある。聞くと高波が来襲した時に、海水の圧力を分散減少してこの社殿を保護しているとのこと。

欄干から建造物の下を覗くと無数の柱が海に浸かっている。

「腐らないのか?」

と思ったが、海水には塩がある。塩の殺菌力には防腐効果があるから、心配無用と勝手に解釈していたが、後々調べてもらうとやはり腐る。腐った柱は適時交換しているとのこと。

 それにしても、千年からこの作業を根気よく続けていることはさすがである。それはそれとして、この柱の下はズブズブの砂地である。砂地に社殿、大丈夫か?

これも分かった。答えは単純明解である。というのはその砂地の下は岩盤なのだ。その岩盤の上に柱を立て、そこに社殿が載っている。面白い。

 すでにこの稿の最初に簡単に記した大鳥居であるが、これがまた凄い。1167年に平清盛が太政大臣になった。律令制最高の官職である。その翌年、平家一族の守り神である、この神社を大幅に改修した。その折のこと、清盛の発案で海に浸かったこの鳥居が建立されたのである。その鳥居の規模を見ると、清盛の権勢がどれほど強大であるか如実に分かる。

 鳥居の左右には朱の柱が立つ。その一本の楠の柱であるが、その太さがほぼ10メートルであるから、直径が約3メートル。巻尺でその寸法を実測してみたらいい。とにかく太い。高さが16メートルであるから、ビルなら5階建てか。

その太い柱の上部、ほどほどのところに横木を渡して2本の太い柱を連結し、抜けないように楔を打ち込んでいる。さらにその柱の上端にその寸法に合わせた横木(笠木)が載る。総重量、何と60トン。唖然とする。

 まだある。この60トンを支える基礎である。ここも気になるところ。松の杭が50本、100本と打ち込まれているという。その杭の上に平板にした部厚い花崗岩が載っている。その花崗岩の切り出しとその移動。海水の浮力を利用したとしても。あの時代にと仰天するばかり。巨大な鳥居はその基礎の上に立っているのだ。

 それだけではない。2本の柱だけでは倒れる危険がある。そこで太い柱の前後に、ほどほどの太い柱を立てて3本を連結する。それを添え木とし固定している。それが左右にあるから3本づつ合計6本の柱で支えているのだ。

 後々何回か修復されたが、清盛当時の巨木はもはやない。そこで今日のものは工夫が施されている。笠木や貫が箱状にくり抜かれ、そこに玉石が7トン詰め込まれているのだ。ともかく壮大な建造物である。

つづく

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小林義功
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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

〈第22回〉昭和20年8月6日にタイムスリップ

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