2019年01月09日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。広島に到着した和尚はそこで何を考え、何を感じたのでしょうか。
あけましておめでとうございます!
新年の幕開けに際し、本連載の著者・小林義功和尚から揮毫をいただきました。
今年も笑顔いっぱい、よい年にしてまいりましょう。
本連載も引き続きよろしくお願い申し上げます。
平家の滅亡と厳島神社の繁栄
厳島神社ほど大掛かりな建造物となると、掛かる費用は膨大である。それを平清盛とその一族の寄進によって、神社は今日も多くの参拝客で賑わっている。しかも世界遺産に登録され、隆盛を誇っている。その意味では清盛の念願は実現したと言える。
また、一武門の平家が保元平治の乱を制圧し、1167年には清盛が貴族社会の最高位太政大臣に上り、辣腕を振るった。権力の重要ポストには平家一族を綺羅星のごとく配置し独占した。
この破格な出世は異例中の異例。前代未聞である。それを実現したのは清盛の才覚と、この厳島神社の神が幸運を呼び込んだ。おそらく清盛の胸中にはその二つが一つとなって働いていたのではないか。だから、この神社に格別な思いを抱き、平家一族を引き連れて参拝し、膨大な寄進をしたのだ。
しかし、清盛の死後平家は滅亡した。かくも膨大な寄進をし平家の守り神として信仰の誠を尽くしたのに、何故滅亡したか? それは平家物語に記されているように、平家一門の繁栄。そればかりを願い権力を濫用したからではないか。
つまり、驕れる平家に神仏の鉄槌が下された。天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず。天の采配は誤魔化すことは出来ないということか。
犠牲者のために祈る
宮島の風景を十分堪能し、次に広島駅を目指した。
たまたま駅近くのカプセルホテルを見つけ、宿泊したのは夜8時を過ぎていた。へとへとである。読者の中には予約をして泊まれば楽なのにと思うかもしれない。
しかし、それはクルマに乗る人の発想である。行脚とは本質的に異なる。私たちには見えない。掴もうとしても掴めない。その仏にともかくあずける。あずけて行脚する。天にまかせるというか。まかせて全国が廻れるか、廻れたら何か掴めるのではないか。それが行脚する理由だ。この原点を変えたら、仏を捉えることを最初から放棄することになる。
翌朝、カプセルホテルを出発した。広島は大都会である、巨大なビルが林立している。どうにも馴染めない。早朝のためか・・・。クルマの交通量、人通りも少ない。また、托鉢するといってもするところがない。
托鉢僧には無縁の世界である。原爆ドームとも思うが、どこにあるやら、見当もつかない。観光ならぶらぶら歩いてもいいが、そうもしていられない。先に進んだ。が、ここはともかく広島である。広島といえば原爆。なにげなく空に視線を移すと、昭和20年8月6日にタイムスリップした。
* * * * *
上空から原子爆弾が投下される。それが見える。
落下した爆弾は炸裂し、すさまじい爆音とともに周辺の建物を吹き飛ばす。その中心から大きな黒炎がうねるようにもくもくと立ち上る。そして、その上空で広がり巨大なキノコ雲が出現した。
その日、この広島は阿鼻叫喚の地獄と化した。私はいつの間にか、歩きながらお経を唱えていた。
このことについては膨大な著書が出版されているので、あえて私が取り上げる必要もない。ただ、ここは戦場でもなければ、また軍需基地でもない。その地に投下された。その犠牲者14万(1945年年末資料)。一般市民である。寝たきり老人、家事に励んでいた女性、乳飲み子もいただろう。何故そこに原子爆弾が投下されたのか。
これは虐殺である。俗世だからといえばそれまでだが、仏道修行者にとって
「はい、そうですか」
と素直にうなずくことも出来ない。
神があるなら、仏があるなら悪には鉄槌を下し、善に励むものには恵みを与える。それが明解なら、神仏の存在は論争するまでもない。明白である。人間にしても神仏を畏れ敬い正しい道を歩むは必定である。ところが現実はどうか、善悪の明確な線引きは極めて不透明、不明である。また、不明であるから神仏の存在が稀薄になる。
仏教の説くところは、ある意味明快である。悪いことをしてはいけない。善いことをしなさい。そこに尽きる。ところが神仏が善と悪との明快な基準を提示しないので、人間は迷いに迷う。
お釈迦さまは
「怨み怨み怨み 恨み続きて恨み止むことなし 忍び忍び忍びて怨みなくなれば 怨みは消える(発句経)」
と説いている。その通りである。すばらしいと思う。ただ、神仏が裁きを放棄した。その結果、悪行に対して善人は常に耐える。耐えて耐えて相手の恨みがなくなるまで耐える。いかなる悪にも従順で無抵抗。たとえ自分の生命が奪われても・・・。それが仏教の悟りだろうか・・・? 果たしてそこまで人間は徹底出来るものだろうか? 分からぬ。