2018年12月12日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。関門トンネルを抜けて山口に入った義功和尚が体験した世界とは……。
山口県防府市大道に向かう
山口県はもともと長門と周防(すおう)の二ヶ国からなっていた。関門海峡を渡ったところが長門。山口県西部地区である。そこから山陽道を東に進むと周防。東部地区になる。その周防の最初の川が椹野(ふしの)川。そこに架かる橋が周防大橋である。全長180メートルであるから結構長い。そこを渡ったところで、大道までどのくらいの時間が掛かるか尋ねた。
「自転車で15分。すぐですよ」
とのこと。『おかしいなあ』とは思ったが、地元の人が言うのだからそうなのだろうとのんきに考えていた。人間とは現金なものだ。一日の疲れで足取りは重かったが、自転車で15分と聞いた途端、足が軽くなる。可笑しなものだ。
しばらくは快適に歩いた。ところが現実はそうそう甘くはない。それからどのくらい歩いただろうか? 一向に大道らしき標識が見えてこない。周囲は畑ばかり。夕日も沈んでしまった。
何時着くのやら・・・。頼りになるのは自分の足だけだが、その足も疲れが溜まっている。空はまだ明るいが周辺はどんどん暗くなる。歩いているのは私一人だけ。なにやら心細い・・・心配と不安が交錯する。複雑な心境だ。ともかく先へ先へと急いだ。たまたまリヤカーを引いている老夫婦に出合った。
「大道駅までどのくらいかかりますか?」
「20分ですよ」
返事は明快だし、お二人の顔がいかにも実直そうだ。『歩いて20分なら、今度は大丈夫』と自分を励まして歩いたが、それからまた1時間。周防大橋から実に3時間。ようやく大道に到着した。
次は宿泊だ。行脚しながら『大道に旅館がありますか?』と訊ねながら来た。返事は『ある』と確認しているから、安心していたが、駅は無人駅で誰もいない。周辺を見ても店は少ない。しかも、8時を過ぎている為か全部閉まっている。またしても不安がアタマをもたげた。通りかかった中年の男性に問い掛ける。
「旅館がありますか?」
「う~ん」
と目を宙にむけて絶句した。そして、
「やっているかな」
この言葉にドキッとした。
「そこなんだけど」
と指をさした。なるほど、すぐそこである。が、何故か玄関は真っ暗である。『駄目か』と右手を見ると窓があって明かりが洩れている。
「すいません。泊めてもらいたのですが・・・」
声を張り上げると窓から奥さんが顔を出した。
「うちは旅館を止めました」
返答は明快である。それでも泊めてくれとは言いにくい、
「他にありますか?」
と問うと
「ここにはありませんが隣町なら・・・」
と親切に道の解説を始めた。しかし、私のアタマはうわの空である。そこまで行ったから泊まれるという保障はない。気持ちはスッカリ落ち込んでしまったが、それなら駅だと密かに腹をくくった。
眠気が飛んだ瞬間
再び、駅に戻り椅子に腰掛けてようやく一息ついた。無人駅だが降りる客は意外と多い。時刻表を見ると最終便は23時20分。それまでは横にはなれないと荷物を下ろし、椅子に座った。
まだ3時間はある。寒い。日記をつけたがまだまだ時間はある。如何するか? お経だ。真言宗の経典は理趣経だ。これを早めに唱えたら15分。4回で1時間、12回で3時間だ。他にすることはない。低い声で始めた。疲れているから瞼は自然に下がる。間違えそうなところだけ経典でチェック。もともと読経は好きだ。2時間は繰り返したか。眠気と寒さと疲れとで意識は混濁してボーとしてきた。
その時、『ここは防府市』。どこかで聞いた名前だが、記憶が浮かんでこない。・・・がハッとした。そうだ、山頭火。種田山頭火の故郷だ。
一瞬に眠気がとんだ。乞食(こつじき)をしながら漂泊流転の生涯を終えた。あの禅僧だ。ここにいたのだ。衝撃であった。独特な俳句を作った。
乞食を望んだのではないだろう。ただ家庭生活が出来ない。その出来ない何かの為に出家し放浪した。根は優しい。・・・が心は弱い。私とどこか似ているようだ。心にスキマ風が吹く。その寂しさを埋める為に・・・。
私には会社員、商売人、役人と・・・そうした生活は肌に合わない。お坊さんがピッタリとも言われた。果たして一念発起して出家した。しかし、僧堂生活もどうも何かが・・・と。そこを飛び出して・・・自分の納得する道をと行脚している。行脚といえば格好は付くが、ただの放浪の旅。そんなものだ。
山頭火の父は大富豪であったが女に溺れて身代をつぶした。その責任は嫁にあると姑に責め立てられ、かわいそうに母は自殺した。母は優しかったという。耐えることも出来ず悲しい最後。目頭がポーと熱くなる。
最終便が到着した。乗客がドッと降りて改札口から散って行った。駅は私一人。並んだ椅子に横になったがデコボコで、眠れたものではない。座るよりはまだましと動かずに『朝はまだか、朝はまだか』と一夜を過ごした。