2018年10月17日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国托鉢行脚を行うという大変ユニークな経歴の持ち主です。義功和尚はどういうきっかけで仏道を志し、どのような修行体験をしてこられたのでしょうか。WEB限定の当連載では、ご自身の修行体験を軽妙なタッチで綴っていただきます。
温かい湯船で至福の一時
ドアを開けるとすぐに受付がある。
「宿泊をしたいのですが。素泊まりでおいくらですか」
「1,500円です。1階に大きなお風呂がありますから、御利用ください。2階の広い座敷で毛布をかけて、御休みください」
ハキハキと明快な返事が返ってきた。思わず唾を飲み込んだ。4,000円か、5,000円か。もしくは8,000円かと。料金が頭の中でクルクル回転していた。その想定が粉砕されて1,500円。胸に抱えていた悩みの種が瞬時に消えた。そして、有り難い、有り難いという感謝の思いが、私の体の中からドッと繰り返し繰り返し衝き上げてくるではないか。地獄に仏ぞ! もう嬉しくて嬉しくてどう表現していいか分からない。
支払いを済ませて2階に上がると真っ赤な絨毯が大広間に敷き詰められている。リュックをその一角に下ろして時計を見るとすでに8時を回っていた。朝7時45分に出発して12時間。さすがに疲れた。腰をおろしてホッと一息。それから痛い足をグイと引き寄せてその裏を見た。何と大きなまめが、水を含んで膨らんでいるではないか。それも両足だ。横5センチ、縦6センチもあるか。
「痛い筈だ」
すぐにリュックから針を取り出して突き刺し、膨らんだ皮膚をグイグイ押して水を抜いた。処置をすませて歩くとまだ痛みは残るが、大変楽になった。これなら大丈夫だ。ともかく暖まろうと1階に下りて風呂に入った。体を洗い湯船に肩までどっぷり浸り足を伸ばすと、一日中歩いた疲労と満足感が複雑に入り混じり心地良い気分となった。改めて感謝の念が腹の底から湧き上がってきた。
「良くぞここに安い温泉があった」
やはり神仏のご加護か。有り難い、有り難い。その実感が全身を包み至福の一時となった。
体が十分温まり脱衣所で着替えていたら、頭から血がスーと引くのが分かった。眩暈(めまい)だ。疲れと長湯のせいか。慌てて近くにあった長椅子に横になった。どうやら一時で収まったので立ち上がり、自動販売機のカップラーメンを買って2階に上がり、ポットのお湯をそそいで頂いた。もはや何もする元気もありません。毛布を被り横になるとそのままぐっすり眠ってしまった。
部屋の片隅に泊めて頂こうか、それとも・・・
朝も暗い中からトラックの運転手だろう。1人2人と起きては出て行く。朝日も上がり部屋も明るくなってきたので周囲を見ると私だけである。しかし、起き上がる気力がない。10時までは大丈夫とそのままじっと横になっていました。とはいえ、いつまでも寝てはおれません。起きて洗面を済ませ、仕度を整えて出発しました。
錦江湾の海岸線は弧を描いている。そのほぼ中央あたりに加治木町がある。そこから北に進路を取る。平坦な道、小さな町を托鉢しながら歩いて行くと珍しいのでしょう。網代笠、大きな袖を翻した黒衣、さらには長い錫杖。その姿だけでも奇抜である。しかも数珠を手にして1軒1軒の家の前でお経を唱えるのだから、道行く人々が振り返る。
ただ、来客の多い商店街で声を張り上げるのは、やはり恥ずかしい。しかし、臆してはいられない。自分との戦いである。托鉢を止めれば行そのものが破綻する。全国行脚を宣言した母たちに合わせる顔がない。
ともあれ、こうして何百軒と托鉢が出来るのも禅宗、真言宗で修行をしてきたお陰である。生長の家の玄関で醜態を曝してからすでに30年経つか。軟弱な自分はどうやら消えたようだ。しかし・・・そう、しかしである。私の内面はというと、依然としてオドオド、ビクビクしている。それに引き換え師匠は恰幅もよく堂々としている。それは仏はこれだという確信があるからか。さらには霊感という武器があるからか。ともかく炎の行者としての自信に満ち溢れている。
悲しいかな、私には、まだまだ行が足りないのか、・・・霊感もない。霊感がなくとも僧侶は出来るのだが・・・。僧侶であるからには仏はこれだという確信があればと思うが・・・私にはそれがない。だから、衣を着てもその自信がない。格好だけの僧侶である。これが辛い、どこかで自分を偽っている。これでは僧侶としてのプライドも、尊厳もあったものではない。
陽も落ちて木立に包まれた国道は闇になった。ポツポツ歩いていると家の灯りが見えた。横川町に入ったなとほっとしたのも束の間のこと。人家がまばらで、旅館があるのか不安になった。道路沿いに1軒の家が見えた。玄関のガラス戸から明かりがもれている。思わず足が止まった。
『声を掛けて部屋の片隅に泊めて頂こうか。待て、待て。こんな托鉢僧が突然訊ねたらびっくりして・・・。それに家族の布団はあっても、余分はないだろう。なくともいいが・・・』
足がペタリと道路に貼り付いて動かない。玄関の戸を叩けばいいのだが、その勇気がない。自分はやはり弱い。とても無理だ。また疲れた足を引きづって先へ進む。すでに人間としての表情はない。ただ黙々と歩いていた。
木立に覆われた暗い車道をゆっくり左に曲がる、その2、3メートル先。そこだけが妙に明るい。お店だ。喫茶店か、スナックか。
つづく