2018年08月08日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国托鉢行脚を行うという大変ユニークな経歴の持ち主です。義功和尚はどういうきっかけで仏道を志し、どのような修行体験をしてこられたのでしょうか。WEB限定で新たに配信する当連載では、ご自身の修行体験を軽妙なタッチで綴っていただきました。仏教に関心のある方も、仏教はよく分からないという方も、ぜひご一読ください。
禅僧たちの必需品
禅宗修行の第一歩がはじまった。昭和56年8月のことである。私は神戸市の北部地域、山麓にある祥福僧堂に向かった。道場で修行するからには僧侶の服装は無論。また最低限必要なものは持参する。それが鉄則である。禅門ではなかなかに喧しい。
簡単に説明しておく。まず服装であるが、なかなかに見応えがある。ファッションとして見ても可笑しくないし、描けば一幅の絵になる。が、着物はいたって地味で、その上に黒、もしくは濃紺の衣を羽織り、手巾(バンド)で腰を締める。その手巾であるが太さが五センチもあるか、輪状になっている。それを2本にしてぐるりと腰に巻き付け、正面で組紐の様に次々差し込んで楕円の形状にする。誰が考案したものか、発想が大胆で面白い。人の目を惹く。さらに絡子(略式の袈裟)を首に掛けて前に垂らす。これが雲水の通常の姿だ。
日常の必需品は自分の単箱(ロッカー)に保管しているが、入門前の修行者はその必需品を袈裟文庫に入れて持って来る。中には経本、袈裟、坐具、針糸など裁縫道具等が入っている。その文庫を袋に入れ紐で結わえる。さらに持鉢(食器を四つ重ねたもの)を風呂敷に包んでその文庫に縛り付けるのだ。文庫が入った袋には紐が付いている。それを首に掛けるが、その首に掛かった紐(背中の上部)の部分に着替えの着物を風呂敷に包んで帯で括り付ける。手甲、脚絆に草鞋履き。頭には網代笠は申すまでもない。大そうな格好である。
時にはその姿をカメラがしばしば狙う。その心理は良く分かる。ともかく、私はそのスタイルで勾配のある石畳の参道を上って行った。するとその正面に石の階段が見える。20ばかりはあるか。そこを上ると山門である。大きな扉が左右に開かれ右手の太い柱には『祥福僧堂』と墨痕鮮やかに書かれた看板が掛かっている。ここからが境内になる。網代笠を取り前に持ち替え一礼して山門の片隅から中に入る。修行させて頂く人間が中央を堂々と入るなどは・・・禅門では以ての外。要注意である。するとまた階段。やはり20はあるか。そこを上がってようやく僧堂の中庭に出た。
掃除は行き届いている。清清しい。その庭を静かに歩き、正面右寄りにある本堂の大きな玄関前に立った。これからが勝負と気を引き締めて一呼吸した。一抹の不安がよぎり、緊張感が走る。
「頼みま~しょう~」「ど~れ~」
玄関口を左よりそっと中に入って網代笠を隅に立てかけ、『掛塔願い』(当道場での修行の為の願書)を床板の上に置いた。左側には壁に沿って幅50センチほどの上がり段(通路)がある。そこに座って上体だけ正面に向ける。つまり左にねじったまま腰を曲げるのだ。妙な格好である。この時、袈裟文庫を倒して、その上に両手を添え、額をペタリ押し付ける。だから、尻は半分浮いた状態になる。そして、腹の底から大声を発するのだ。
「頼みま~しょう~」
すると
「ど~れ~」
僧堂の雲水が徐に出てくる。願書を見てから、
「当道場はただいま満室で御座います。足元の明るいうちにお引き取り下さい」
と慇懃に拒絶して姿を消す。ここらは歌舞伎役者の舞台のようなものだ。真剣そのものである。
これからが本番だ。たとえ満室だろうとそこに捻じ込むのだ。その為に断固座り込む。といってこの奇妙な姿勢で、ジッと長時間動かずにいるのだから甚だきつい。であるが額を擦り付けてとことん誠意を尽くす。尽くして尽くして耐える。そして、夕方4時まで頑張ると旦過寮に移される。旅の修行者の宿泊する部屋である。これで今日は終わりか、ホッと出来るかと思いきやとんでもない。薬石(夜の食事)を頂いてからは座禅である。夜は9時、夜座があるから10時まで5時間はぶっ通しで座るのである。そして、始めて開枕(就寝)になる。
翌朝は振鈴の合図で跳ね起き、朝課(4時の勤行)に出頭。粥座(朝の食事)を頂くと、早速玄関に廻って座り込む。昨日と同じ姿勢で。1日に2回ほど玄関から引きずり出されるが、この時多少の休憩とトイレはある。後はひたすら座る。苦しいだの痛いだの辛いだの。ブツブツ言おうものならそれまで。余程、意志が強固でなければ勤まらない。これが庭詰めである。3日間やり抜くと骨はありそうだと評価される。しかし、入門はまだまだ。
次は旦過詰である。つまり、寝泊りしている旦過寮に籠る。朝課、粥座後1日中座りっぱなしである。食事とトイレ以外、背骨を伸ばして徹底して座る。これは辛い。背後の障子が左右に開いているから、部屋は丸見えである。痛いからと足を崩す、上体が揺れると雲水に激しく怒鳴りつけられる。これもきつい。時間がともかく長い。夜座があるから夜は10時まで。これが4日間。大変である。ともかくここまでやり抜くことで道場に入門したい熱意が伝わる。修行の意志は堅固であると認められて、初めて許可が下りる。私も何とかやり遂げて祥福僧堂で修行することになった。
ここで何故出家したのか? 何で僧侶の道を選んだのか? 簡略に経過を述べることにする。
つづく
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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。