400年語り継がれた恩

感動する話


☆ あなたの人間力を高める ☆
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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.8.17


本日は400年の時を超えて
語り継がれる感動実話ご紹介!

感謝報恩に生きた偉人の物語に
心が温まります。

────────[今日の注目の人]───

☆ 400年語り継がれた恩 ☆

白駒 妃登美(ことほぎ代表)

※『致知』2016年9月号【最新号】
※特集「恩を知り 恩に報いる」P24

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続いてご紹介するのは、
戦国武将・宇喜多(うきた)秀家と
その妻・豪姫(ごうひめ)。

日本史上、ひときわ輝く
夫婦の物語です。

前田利家とまつ夫妻の四女・豪姫は、
子のなかった豊臣秀吉と
ねね夫妻のもとで、養女として
大切に育てられました。

一方、宇喜多秀家は10歳で
父・直家を病で失うと、
後を託された秀吉の手で立派な
武将に育て上げられます。


二人にとって秀吉は
育ての親であるとともに、
結婚をとりもってくれた
恩人でもあったのです。


(略)


慶長五(1600)年、
関ヶ原の合戦においても、
秀家は何の迷いもなく
石田三成率いる西軍につくと、
その中軸として約6時間に及
ぶ合戦を戦い抜くのです。

しかし秀吉への恩返しを
誓った秀家の奮闘虚しく、
相次ぐ裏切りの末に西軍は敗北。


敗軍の将となった宇喜多秀家に
科されたのは、八丈島への流罪でした。


豪姫は夫とともに八丈島に
渡ることを切望しますが、許されません。

当時は夫婦が何らかの理由で
別れて暮らす場合、息子は父方に、
娘は母方に引き取られるのが常でした。

そのため豪姫は娘とともに前田家へ、
二人の息子は秀家に伴われて
八丈島へと向かったのです。


自然環境の厳しい八丈島での暮らしは、
秀家にとって苦難の連続でした。

そんな秀家を何とか助けたいと
願った豪姫は、前田家を通じて
幕府の許可を得ると、毎年のように
米や金子、衣類、雑貨、
医薬品などを仕送りしたのです。


ある時豪姫は、絵師に描かせた
自分の肖像画を荷物の中に
紛れ込ませ、八丈島に送りました。

その肖像画はいまも秀家の
子孫がお持ちだそうですが、
その肖像画の写しが、
豪姫の菩提寺である
大蓮寺(石川県金沢市)にあります。

色使いも含めて実に綺麗に
描かれているのですが、
よく見ると額の辺りだけ色が薄く、
消えかけているのが分かります。

これは八丈島に流された
まだ幼い息子たちが、
毎日のように涙を流しながら
「母上、母上……」と額の辺りを
撫でていたためにそうなったのです。

若くして秀家と離れ離れと
なった豪姫でしたが、その後は
再婚話をすべて断り、
金沢で61年の生涯を閉じました。

いつかまた愛する家族と
一緒に暮らしたいという
豪姫の祈りは、残念ながら天に
届くことはありませんでした。


もっとも、彼女のもう一つの
祈りを天は聞き届けてくれたようです。

来る日も来る日も……



※豪姫のもう一つの願いとは?
 歴史に埋もれた感動秘話の
 続きは本誌でお楽しみください。