〈朝ドラ『虎に翼』モデル〉日本初の女性弁護士・三淵嘉子の人格はいかに育まれたのか

公然とした女性差別が存在した1940年、日本初の女性弁護士の一人としてキャリアをスタート。戦中戦後の激動の時代を生き抜き、女性法曹の道なき道を切り拓いたのが法律家・三淵嘉子です。その波瀾万丈の人生は、2024年に放送されたNHK連続テレビ小説『虎に翼』の主人公・猪爪寅子のモデルとなり、一躍脚光を浴びました。自身も長年弁護士業に打ち込んできた佐賀千惠美さんに、三淵嘉子の原点となったエピソードを語っていただきました。【写真=©三淵邸・甘柑荘/アマナイメージズ】

(本記事は月刊『致知』2025年3月号 特集「功の成るは成るの日に成るに非ず」より一部抜粋・編集したものです)

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

「私は精いっぱい生きたと思って死にたいの」

三淵嘉子は1914(大正3)年、5人きょうだいの長女としてシンガポールで生を享けます。父親は台湾銀行に勤め、嘉子が6歳の時からは一家揃って東京に住まい、何不自由なく育ちました。

幼い頃から正義感が強く、学業はきょうだいの中で一番優秀でした。おまけに元気溌剌で、よく敷地内で弟たちとキャッチボールをしていたそうです。そうした博学多才な嘉子の人格形成のベースとなったのは、父親の教えでした。

「男と同じように政治や経済も理解できる人間になれ。そのためには何か専門性のある仕事をしなさい。弁護士はどうだ」

戦前の日本社会は良妻賢母こそ女性の鑑であるといわれた時代です。おまけに当時の法曹界では、女性が弁護士や裁判官になる道は開かれておらず、法律を生業とする術は事実上ありませんでした。

ただ、東京帝国大学の穂積重遠先生の尽力によって1929年、女性も法律を学べる明治大学専門部女子部が創設。海外赴任の長かった父親はそうした状況に鑑み、いずれ女性法律家の必要な時代がやって来ると確信していたのでしょう。嘉子が物心つく頃から自立を促していたのです。その先見の明には脱帽する他ありません。

父の勧めに背中を押された嘉子は、女の幸せは結婚だと信じる母の反対を押し切り1932年、明治大学専門部女子部に進学しました。嘉子が在学中の1936年には、女性にも司法科試験(現・司法試験)が解禁。意気揚々と学校へ通いましたが、世間の風当たりは相当冷ややかなものでした。

近所では「女だてらに法律を勉強している」と聞こえよがしに噂され、知人には法律を勉強していると伝えただけで怖がられる。「日陰の道を歩いているような口惜しさを覚えずにはいられなかった」と当時を述懐しています。

それでも、嘉子は明治大学法学部をトップの成績で卒業した1938年、多くの男性に交じり合格率10%の難関に挑みます。なぜ自らの信念を貫くことができたのか。その答えは、後年に後輩弁護士に語った次の言葉から窺えます。

「私は精いっぱい働きたい。死ぬ時は『ああ、私は精いっぱい生きた』と思って死にたいの」

自分の実力を遺憾なく発揮できる仕事に巡り合い、それに熱意を注ぎ続けること。それが嘉子の何にも代え難い幸せだったのです。

もう一つ、嘉子の大きな原動力になったのが後輩の存在でした。実は、母校の明治大学女子部は志願者が年々減少の一途を辿り、存続の危機に陥っていました。自分が司法科試験に合格すれば、後輩たちが学ぶ場所は潰されずに済むのではないか。その強い責任感から、エネルギーが沸々と湧き上がってきたのだと思います。

半紙を二つ折りにして、考えうるすべての問題と解答を対比させたサブノートを作成する。その数十冊に及ぶ膨大なノートを手垢がこびりつくまで繰り返し暗記し続けました。何度も挫けそうになりながらも、父や次第によき理解者へと変わった母に支えられ、司法科の合格を掴み取ったのです。

嘉子の並々ならぬ努力はもちろんのこと、運の強さには驚嘆させられます。もし女性も法律を学べる大学がなければ、もし改正法の施行が数年遅れていたら、嘉子は全く別の人生を歩んでいたでしょう。時代や人との巡り合わせもまた、人の生き方を決める大きな要素だと思わずにはいられません。


~本記事の内容~(全4ページ)
◇激動の時代を生き抜いた女性法曹の草分け
◇「私は精いっぱい生きたと思って死にたいの」
◇夫、父母、弟の死を乗り越えて
◇「家庭に光を 少年に愛を」 5,000人の少年少女に向き合う
◇逞しくも愛に溢れた〝家庭裁判所の母〟

本記事の詳細・購読は下記バナーをクリック↓

〈致知電子版〉でも全文お読みいただけます

◇三淵嘉子(みぶち・よしこ)
大正3年シンガポール生まれ。昭和13年明治大学法学部卒業後、高等試験司法科試験合格。15年弁護士登録、中田正子、久米愛と共に日本初の女性弁護土となる。24年東京地裁判事補、石渡満子と共に女性裁判官に就任。27年名古屋地方裁判所で初の女性判事となる。47年新潟家庭裁判所で初の女性家庭裁判所長に就任。54年退官。59年骨がんのため69歳で逝去。

◇佐賀千惠美(さが・ちえみ)
昭和27年熊本県生まれ。52年司法試験に合格。53年東京大学法学部卒業後、司法修習生。61年弁護士登録。平成13年佐賀千惠美法律事務所を京都で開設。著書に『三淵嘉子の生涯』(内外出版社)『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社』)など。

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。

1年間(全12冊)

定価14,400円

11,500

(税込/送料無料)

1冊あたり
約958円

(税込/送料無料)

人間力・仕事力を高める
記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 11,500円(1冊あたり958円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 31,000円(1冊あたり861円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

閉じる